ラストオーダー 翌日、斎藤はが登校する頃に教室を訪れた。上級生の訪問に教室は少しざわめき、を呼び出すとややざわついた。しかし顔色一つ変えず、は斎藤について来る。向かった先はあの会議室だ。ここで倒れているを見付け、そして彼女の核心に触れて行ったのだ。黙ったままのを振り返ると、やはり酷く落ち込んでおり、元々表情には乏しい彼女だったが、それ以上に彼女の纏う雰囲気は真っ暗なのだ。は今、何を思って斎藤の前に立っているのだろうか。後悔か、申し訳なさか、背徳感か―――いずれにせよ、斎藤はそういった負の感情は何も持っていなかった。 「、俺は後悔などしていない」 「…………」 「お前を生かすことができるなら、俺の血などいくらでも」 「そうじゃない、そうじゃないんです」 斎藤の言葉を遮ったの目から、ぽろぽろと涙が零れた。耐えるようにきつく唇を引き結ぶが、それでも止まらない彼女の涙が、会議室の床を濡らした。そして、それと共にはぽつりぽつりと少しずつ気持ちも零し始めた。 「斎藤先輩の血を飲みながら、私、人間じゃないんだって、気付いてしまったんです…っ」 人間と同じように生かして欲しいと願った、の母親。そんな母と同じ気持ちになったのだとは言う。自分は化け物だ、人間じゃない、生きてなんかいない、泣きながらしきりにそういった類の言葉をは繰り返す。やがて言葉も消え、彼女のすすり泣く声だけが会議室に響いた。肩を震わせるの髪に触れると、一歩後ずさる。その瞬間、彼女の細い腰を引き寄せた。 「生きてくれ」 「斎藤、先輩…」 「弱音なら俺がいくらでも飲み込んでやる、だから、生きてくれ」 血だとか、呪いだとか、そんなものと無縁のまま生きて来た斎藤には、これからもきっと彼女の苦痛の全てを理解することなどできないのだろう。斎藤に出来ることは限られている。彼女に血を与えること、彼女の傍にいること、その程度だ。もしかすると、傍にいることでまた傷つけることもあるかも知れない。現に、は自分と斎藤との違いを知って苦しんでいる。けれどもうは斎藤以外の血を飲めないことも、十分理解していた。反する考えに引き裂かれそうになる心に、彼女自身どう収拾をつければいいのか分からないのだろう。 それならば尚、の傍にいなければならない。何かあった時に支えられるように、すぐに手を差し伸べられるように、救い出せるように。が一人で生きているのではないと実感できるように。 「良いんですか、私、こんな、」 まだしゃくり上げるの唇を、返事をするより先に手で塞ぐ。そして「構わない」と答える代わりに唇を落とす。最後に一筋涙を流すと、泣いたせいで赤くなった目をしながらぎこちなく微笑む。ありがとうございます、小さなその言葉が聞こえたと同時に、は斎藤の首に噛みつく。まだ痛みを感じるその行為に耐えながら、斎藤もを力いっぱい抱き締めた。 *** 「さんに血をあげたの、土方先生でしょう」 「ああ」 は土方がそこにいることを見越して入室し、開口一番聞いた。人の寄りつかない土方の住処、国語科準備室は、内緒話をするには持って来いなのだ。 学校で瀕死の発作を起こしたを見付けたのは土方だ。事情を知る土方の対応は早かった。拒否する力も残っていないの口に、自身の血を流し込むなど容易なことだったのだ。結果、の命は救われた訳だが、彼女にとっては苦い思い出になったかも知れない。それだけが土方の唯一の懸念だった。 「久し振りに痛かったんじゃないですか?」 「ほどじゃねぇよ」 「あ、酷い。今は上手じゃないですか」 「時間はかかったがな」 土方はのパートナーだ。契約を交わして二年にもなれば慣れたものだが、当初は散々な目に遭ったと今でも零すことがある。ただ、そう誤魔化すこともせず土方が言ってくれることはにとっては救いだった。耐えられること、誤魔化されること、嘘をつかれることは何よりも辛い。血の契約など脆いものだ。相手に拒絶されればその瞬間に全てが終わる。また新たにパートナーを探さなければならない。口で言うのは簡単だが、血を欲するのは恋愛の情と何も変わらない。そう簡単に見つかるものではないのだ。だから、嘘のない誠実な関係を、魔女の呪いを引く彼女らは何よりも求める。 「怒ってるか?」 「さんにあげたこと?まさか」 「そうか」 「助けてくれてありがとうございます、て言いたいくらいです」 「なら、良い」 同じ魔女の血を引く彼女は、にとって妹も同然。彼女を見殺しにしていたら、それこそ許せなかっただろう。 土方のお陰ではまた生きられた。そして、これからは斎藤をパートナーとしては生きて行くのだ。昨日の斎藤の言葉を聞いて、はもう大丈夫だろうと確信している。も土方をパートナーにして良いのかと何度も悩んだことがあった。土方と口論になったこともあった。死んだ方がましだと叫んだこともあった。 その度に、生きてくれと乞われた。それを跳ねのけることなどにできるはずがない。 「生きてくれ―――この言葉に敵うものはありませんね」 きっと、斎藤がに願うのもその一つだけだろう。 Fin. ← ![]() (2013/02/16) |