ラストオーダー あの直後、会議室には土方や他の風紀委員が現れ、あれ以上は事なきを得た。だが、彼女に出て行くように言おうとすると、「もう来ていたのか、」と驚くような土方の声。どうもは今年、風紀委員になったらしいのだ。それが何を思ってなのか、どんな思惑があってなのか、考えれば考えるほどぞっとしない。斎藤が険しい顔をしてが挨拶をするのを眺めていると、すぐ隣に立っている南雲がぼそりと呟く。 「あいつ、大丈夫な訳?病的な顔色してるけど」 「…あまり体が丈夫ではないらしい」 不審がられないような理由を伝えるが、ふうん、とさして興味もなさそうに相槌を打つ。確かに言われてみると、今日は四日前と比べてもまだ顔色が悪い。さっき顔色が悪く見えたのは、この教室のカーテンが閉まっているからなのかと思ったが、どうもそうではないらしい。事情を知っている斎藤からすれば、彼女は耐えているようにも見える。今にも倒れるのではないかと思うほどに。その証拠にか、ずっとと目が合わない。あの、入学式当日のように引き寄せられるようにして視線の交わる感覚を味わうことがない。それは意図的にしているようにさえ感じる。 そして委員会会議が終わってからも、はなかなか席を立とうとしなかった。後ろの方で息を顰めるみたいに座っていたが、前に立って会議の進行をしていても分かるほど、彼女の様子は普通ではない。他の委員たちが出て行ってから、斎藤は再びに近付いた。も他の生徒が全員出て行ったのを確認してか、崩れるように机の上に突っ伏した。その呼吸は荒い。 「顔色が悪い」 「少しすれば収まります」 「委員会が始まる前からだ」 「いつものことです」 「だが、」 「やめて下さい…っ!」 肩を掴もうとすると、乾いた音と共に振り払われる。今ののどこにそんな力が残っていたのか、大きな音を立てて椅子も同時に倒れた。投げ出される鞄、その外ポケットから飛び出したのは小さなピルケースだ。透明なプラスチック製のピルケースの中には、見たこともない赤い錠剤が詰まっている。まさか、と思いそれを拾い上げ、の方を振り向く。ふらふらとした足取りで近付いて来ると、はピルケースではなく斎藤の手首を掴んだ。「想像している通りのものですよ」と言い、斎藤を見上げるの目は、虚ろ。 「話の続きをしましょう」 「しかし、」 「斎藤先輩、私は先輩の血が欲しいです。それは、好きです愛して下さいって言うのと同じなんですよ。それに応えてもらえないなら要りません」 「しかしそれではが、」 「っまだ分からないんですか!?」 叫び、斎藤の肩に手を置くとぐいっと自分の方に引き寄せる。そのまま有無を言わさず唇を重ねた。何度も角度を変え、執拗に斎藤の唇を求める。呼吸する隙など好きには与えず、更には唇を割って舌を滑り込ませた。こんな華奢な少女一人、どうにか押しのけようと思えば押しのけられたはずだ。それなのに、気がつけば斎藤の背には冷たい壁が当たる。いつの間にか追いつめられており、逃げ場がないのは自分の方。「ん、ぅ…」「、やめ…っ」「ん…っ」文字通り奪うように、吸い尽すように、何度も何度も繰り返す。こそ息が苦しいだろうに、それでもまだ斎藤を離そうとしない。言葉で分かってもらえないなら実力行使するしかない、とでも言っているようだ。けれどなぜか、からは先程の言葉のような苛立ちや怒りではなく、焦りが含まれているような気がする。 「ん、は…ぁ……」 「っ、あんた…!」 「先輩、分かりますか?血が欲しいから好きなんじゃないんです、好きだから血が欲しいんです。生かして欲しい、満たして欲しいって思うんです」 これまで大きく表情の動くことのなかったが、初めて泣きそうな顔を見せる。悲痛な表情を浮かべて、乞うようにそう斎藤に伝えた。立っているのもまだ辛いだろうに、離すまいと斎藤の手に指を絡めて来る。そこから伝わる低い体温が、彼女の状態の悪さを示していた。普通、こういった状況では赤くなるものなのだろう、しかし互いにそのような余裕などなかった。今にも倒れそうなと、そんなを前にして戸惑う斎藤。けれど時間は待ってくれない。先輩、と最後に呟くと、とうとうの体は重力に従って崩れ落ちた。 *** こうしてを保健室で見守るのは二回目だ。倒れた彼女を保健室へ連れて行くと、山南は焦った様子で処置を始めた。意識がないため薬の経口投与はできず、今、の左腕には点滴のルートが繋がれている。輸血とは違うらしいが、その輸液バッグの中身は、さっき見た錠剤と同じように赤い色をしている。山南が事情を知っていることにも驚いたが、斎藤を追い出そうとせず、寧ろ留まるように言ったことには驚いた。 「は私の妹です」 斎藤にお茶を手渡しながら、山南はそう切り出した。自身もまた、まだ湯気の立っているお茶に口をつける。斎藤はを見、そして山南を見た。兄妹にしては、少しばかり年が離れているような、いや、あまり似ていないような気もする。するとそんな斎藤の心内を察したらしく、「義理の、ですが」と付け足す。そこでようやく、斎藤もお茶を口にした。 輸液を繋がれてから、ようやくの呼吸は落ち着いて来た。顔色もさっきよりは大分ましだ。それでもあまり血色がよくないのは元々なのだろうか、それとも体を侵しているという毒のせいだろうか。剥き出しの左腕を見て、こんな細い腕に自分は抗えなかったのだと思うと複雑な気分にもなる。 「は斎藤君の血を飲みましたか?」 「……いえ」 「この子は吸血と言う行為に特別な思いを持っている子です。だからこれまでも、決して人の血を口にすることはなかったんです。早ければ早いほど、良かったのですが…」 「同情なら、やめてくれと。はそう言っていた」 「の気持ちなど、人間には理解できないかも知れませんね」 まるでが人間ではないとでもいうような言い方が引っ掛かった。こんな、何の力もなさそうな少女が、一体なんだと言うのだろう。さっきのキスを思い返してみても、皮膚を破るための牙があるわけでもない。そうだ、さっきだって唇を噛んでしまえばは斎藤の血を飲むことができたはずだ。それをしなかったことは、が斎藤に対して本気なのだと証明していた。 斎藤自身、どうすれば良いのか分からない。一度事情を知り、関わってしまった彼女のことを放っておく訳にも、見殺しにする訳にも行かない。けれどそれだけでははきっと自分の血を飲むことはしない。見殺しにしては後味が悪い。けれど今は、それだけなのだ。突然、自分が人一人の命を握っているだとか、愛してくれだとか言われた所で、簡単に返事をできる話でもない。だからといって悠長に答えを先延ばしにできるわけでもない。彼女はリミットが十八だと言ったが、生まれてから一度も他者の血を口にしていない彼女には、もうそこまで持つかどうかも分からないと言うのだ。 「義理とはいえ、私はに薬を与えることしかできません。は家族の血さえ飲まない。家族が求められていないというのは、悲しいことですね」 「………………」 まだ出会って日の浅い斎藤には、の事情も山南の事情も理解できない。事情が分からなければ、気持ちも分からない。ただ、生半可な気持ちで首を突っ込んでいい問題ではないことだけは悟った。そして、安易な考えでハサミに手を伸ばした自分を、酷く悔いたのだ。 ← ![]() (2011/5/9) |