私は後悔した。


「…って言っても、結局仲良くやってんでしょー?」
「まさか!この間だって私のハンカチをさぁ」
「それくらい可愛いもんだって!うちなんて…」


 女子大生が四人。うち三人が彼氏持ち。ただでさえ恋だなんだと遊びたい盛りの大学生が集まれば、こういった話題になることは避けられないのだ。私は、それがとてつもなく憂鬱であった。いや、三人とも悪い子じゃない。だから友達やってるんだし、こうして遊んだりもする。ただ、恋愛話だけは一人アウェーを存分に楽しむことができるため、四人で休日に集まって遊ぶ(って言ってもお昼ご飯食べに来ただけだけど)、なんてことはよくよく考えれば私のみ楽しめないことだったのだ。


(ああ、こんなことなら…)


 家に帰って斎藤教授の課題をやりたい。…すっかり勉強癖のついてしまったらしい私は、三人の話を聞き流しながらそんなことを考えていた。言っておくが、私だって別に勉強が好きな訳ではない。でもあの教授の課題、一時間二時間でできるようなシロモノじゃないんだ。手を抜いたらすぐにばれるし、あの教授相手に上手く嘘をつけるとも思えない。

 既に相槌を打つことすら放棄した私は、ずずず、と空っぽになったコップのストローをすすった。つい先日、眼鏡と言う大きな出費をした私にとって、ドリンクバーは強い味方だ。もうこれだって何杯目か分からない。話の途切れない三人の倍以上飲んでいるだろう。それに、私がここにいても無意味な気がする。辛うじて続けている愛想笑いも疲れて来たのだ。適当に理由付けて帰ってやろう。うん、そうしよう。だってせっかくの休日、もっと有意義に使いたいじゃないか。彼女らだけが友達なわけでもないし、生憎今日は本当にやることがある。…まあ、課題だけど。


「ごめん、私そろそろ帰るね」
「え?何か用事でもあった?」
「課題出てるの忘れてて…あはは…」
「えー!いいじゃん、それくらい怒られないよー」
「うーん、それが随分大量に出されてるし、教授怒ると怖いから。ごめんね」


 怒られたことはまだないけれど、嘘も方便。だけど怒ると本当に怖そう、すっごく怖そう。

 私は自分の代金だけ置いて、そそくさとお店を出た。まるで逃げて来たみたいだ。けれどこのまま真っ直ぐ家に帰るだけ、というのも、せっかく外に出たのだし勿体ない。本屋でも寄って行こうかな。そういえばこの間、雑誌の発売日だったはず。買いはしないけど、立ち読みくらいして少し時間を潰そうか。

 そんなことを考えて、帰り道の途中にある本屋へ入る。大体本屋に来ると思わぬ出費をしてしまうものだ。好きな漫画や小説の新刊が出ていたり、本だけでなくCDに手を出してしまったり。毎度反省はするものの、後悔しないから繰り返す。本に返しては周りの倍、出費している気がする。バイト代だっておよそは本に充てられるのだ。今回みたいに眼鏡を買うなんて(私にとっては)大きな買い物、そう滅多にない。小さな出費を繰り返して財布が空っぽになるタイプである。


(…分かってるけど)


 新刊コーナーで立ち止まって、漫画の山と睨めっこ。嫌な予感はしていたが、集めている単行本の新刊がなんと三冊。できれば出費は抑えたいと言うのに、なぜ発売日が被った。出版社を呪いたい。…大袈裟だけど。

 駄目だ、一度憂鬱になったり気分が沈むと、とことん後を引く。いっそ三冊とも買って気分転換しようか。うん、それがいい。そう思って三冊とも手に取り、何をする訳でもないのに「よし!」と心の中で気合いを入れる。これで家に帰ってからの私の気分は上々になるはずだ。それはもう、今日のことなんて全部吹っ飛ぶくらいに。

 しかし、新刊コーナーに背を向けてレジに向かおうとすると、帰宅に思いを馳せてあまり前をよく見ていなかった私は人にぶつかってしまった。お互い商品を落とすことはなかったのが不幸中の幸いか。「す、すみません…」「いや、こちらこそ、」ん?何か聞き覚えのある声。


「…?」
「あ、え、教授!?」


 こんな所で会うなんて。ぶつかった相手は、日頃から大変、非常に大変お世話になっている斎藤教授だった。まるでプライベートの見えない教授だけど、まさか近所で会うなんて、教授もこの近くに住んでいるのだろうか。斎藤教授ほどであれば、少々時間がかかってももっと立派で、いかにも書店って感じの本屋に行きそうなものなのだけれど。ここはそれほど大きな書店でもなし、専門書の数だって少ない。

 …専門書。


(しま…っ!私、持ってるの全部漫画!!)


 課題をたっぷり出された私が、本屋で、漫画。テキストならともかく、漫画。これは私の運の悪さを呪うしかない。どこまで巻き戻ればこんなことにならずに済んだだろうか。本屋に寄らずに真っ直ぐ帰れば?友達と遊びに行かなければ?いや、そもそも約束しなければよかったのか。…そんなことを後悔しても遅い。私はさりげなく漫画を背中に隠して、必死で笑顔を作った。「こ、こんにちは!」ああ、顔が引きつるのが分かる。


「奇遇ですね!私、近所に住んでいるのでよく来るんです!」
「そうか」
「教授も本をお探しですか?いいの見つかると良いですね!それじゃあ!」



 まさかこんな所で生活指導?教授に背を向けた私は、機械であればギギギギ、と奇妙な音を立てるようなぎこちない動きで首だけ振り返る。「何でしょうか…」と気まずさマックスで返事をする。すると教授はわざわざ私に近付いて顔をしかめる。お願いします、こんな所で説教だけはやめて下さい。私、この本屋はよく来るから店員さんと顔なじみなんです。見られたら恥ずかしくて二度と来ることができない。

 けれどそんな私の予想を見事に裏切って、突然教授は私の額に手を当てた。…はい?


「ままままま待って下さいなんですか!」


 その手から逃れるべく勢いよく身を引き、触られたばかりの額を押さえて叫ぶ。しかし教授は教授で訳が分からないとでも言いたげな顔をした。私は何かおかしいリアクションでもとっただろうか。いや、今のは教授の行動の方がおかしいだろう、どう考えても。すると「熱でもあるのかと思った」「はい?」「様子がおかしかったから体調が悪いと思ったんだ」いやいや、様子がおかしいから熱がある、なんて考えに直結する教授は不思議なのですが。…とりあえず、生活指導に繋がらなくてよかった。ほっと胸を撫でおろすと、教授は何度目になるのか、「」と私を呼ぶ。


「息抜きも良いがほどほどにするように」
「は……」


 やっぱり、見るとこ見られてた。










「心配してるのか注意してるのかどっちですか…」
「どちらもだ」





(2010/9/11)


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