ちゃんと一君の色んな誤解が解けたらしい。まだ怪我も全ては回復していないものの、ちゃんはどこか吹っ切れたような顔をしている。一君は一君で、相変わらず毎日時間さえあればちゃんの部屋を訪問しているらしい。少しは一人で休ませてあげればいいものを、と思いつつも、まあ二人が幸せそうだからそれでいいか。可愛がってた妹が兄離れして行くみたいで寂しくもあるけれど。その辺りは、今度こそちゃんに何かあったら一君の責任ということで。とりあえず、ちゃんの状態が落ち着いて来た所で聞いてみた。


「ところでちゃんたちさ、いつになったらお互い名前で呼ぶの?」
「……は、い…?」


 ちゃんは膝の上に吉乃を乗せながら目を丸くした。そして次に、「一体何を…!」なんて言いながら顔を赤くする。ああ、呼び慣れていないな、これは。全く二人とも堅いというか、遅いと言うか。僕なんて会ってすぐに何の躊躇いもなく名前で呼び始めたのに、相手が違うとこうも違うらしい。これは喜んでいいものなのか、そうでないのだろうか。一君より後に出会った平助たちも彼女を名前で呼んでいるというのに、…いや、これじゃあ僕は平助たちと同列ってこと?それもなんだか釈然としない気がする。まあ、逆に普段から名前で呼ばれているのは僕くらいだけど。

 ちゃんは依然赤い顔で固まったまま、口をぱくぱくさせている。きっと今、一君に同じことを聞いても、ちゃんと同じように真っ赤になって固まるのだろう。一君相手であれば「気持ち悪いよ」の一言で片付けちゃうんだけど、ちゃんならそうは行かない。「ごめんごめん」「からかわないで下さい…!」…からかったつもりはなかったんだよね。


「もう出会って随分経つし、二人は恋仲なわけだし」
「こい……っ!」
「コイナカ?」


 言葉の意味がまだ分からないらしく、首を傾げて吉乃はちゃんを振り返る。何でもありません、と言おうとしたのだろうけど、僕が「ちゃんと一君は好き同士ってことだよ」と教えてやった。するとぱあっと顔を輝かせて「こいなか!こいなか!」と連呼する。それを聞いたちゃんは益々顔を赤くして震えた。そんなちゃんの膝の上からするりと抜け出した吉乃は、たたたっと走って僕の元に寄って来る。そして内緒話をするみたいに背伸びして耳元に顔を近付けると、あのねあのね、と小声で言う。…何を吹き込まれるのやら不安そうなちゃんは、そわそわしている。


「よしの、おねえちゃんがすきっていったらね」
「うん」
「はじめおにいちゃんもおねえちゃんすきっていったよ」
「へえ、そっか」


 いつ何でそんな話をしたのやら。いろいろと想像が膨らむけれど、吉乃と一君が二人で話す機会なんてそうそうあるわけじゃない。ついこの間まで人見知りか何か、吉乃は一君に怯えていたし、もし何かきっかけがあったのだとすれば、ちゃんが眠っていたあの時だろう。事後処理だ何だで、この兄妹たちのことを気にかけてあげる余裕があの時はなかった。勿論、ああいう時だからこそ目を離しては行けなかったのだけれど、事情を知っているのは幹部の人間だけだし、事実、放置されてしまっていたのだ。そんな中で吉乃たちに気を配れるとしたら、長くちゃんの傍を離れなかった一君くらいだろう。

 その辺りからだろうか、吉乃が一君に懐き始めたのは。これまでちゃんが一君と居る時には寄って行こうとしなかったのに、今は笑って一君のことを話している。これもなんだかなあ、一君にとられかけてるみたいでちょっと嫌なんだけど。


「でもね、よしののほうがおねえちゃん好き」
「そうだね、一君なんかに負けちゃ駄目だよ」
「あの、さっきから何を…」
「吉乃が一君に対抗心を持ってるって話」
「えぇ……?」


 一向に話が見えないらしく目をぱちくりさせて、それから少し眉根を寄せる。あ、なんか一君に似て来たな。やっぱり過ごす時間が増えるほど、影響を受けるようになるのだろう。元々二人は性格の合う所が多いみたいだし、ちゃんには随分辛い思いもさせてしまったけれど、二人は出会って正解だったのかも知れない。ちゃんも一君に出会ってからこっち、普通の女の子みたいに過ごす時間ができて、とても楽しそうだ。吉乃たちのことや仕事を疎かにしている訳ではなく、それ以外が充実して来たのだろう。

 誘拐されたちゃんを取り戻し、けれど暫く目を覚まさなかった間、一君こそ死んだみたいになっていた。それを見てもうちゃんにとっては一君が、一君にとってはちゃんがなくてはならない存在になっていることもよく分かった。本当、とことん周りを巻き込んでくれた二人だよね。損な役回りをしたこともあったし、ちゃんにはさせたくないことをさせたことだってあった。一君にちゃんをだなんて最初はちょっと嫌だったし、今となってはこの姉弟たちも少しずつ一君に懐き始めていることだって、何か面白くない。そう言う時は大抵、一緒になって一君を困らせてやるんだけどね。ちゃんの話を出せば一君ってまるで性格が変わったみたいになるし。


ちゃん、今幸せ?」
「どうしたのですか、いきなり…」
「なんとなく聞いただけだよ」


 これから二人はどんどん二人だけの時間を過ごして行って、二人だけの思い出を作って行って、それを共有して行くのだろう。吉乃たちも誰も知らない所で、二人だけの会話をするのだろう。そうして二人が遠ざかって行くのを、きっと僕は今と同じ場所から眺め続けているんだ。あと少しでちゃんも一君も、誰の手を借りずとも歩み寄って行ける。だからわざわざ僕がお節介をしてやらなくても、きっと大丈夫だ。


「じゃあ、総司さんは幸せですか?」
「うーん、そうだなあ…」


 一つ伸びをして、少し間を置いてから彼女に笑いかけた。


「幸せだよ」


 ちゃんが笑っているからね。だからそのためにも一君にはちゃんとちゃんを幸せにしてもらわないと。ちゃんが笑っていないと僕は嫌なんだ。それは色んな複雑なことを抜きにして単純に考えれば、一君に負けないくらいだって自信がある。でも僕じゃ駄目なんだ。ちゃんをこんな風に笑わせることができるのは、この世で一君しかいないんだ。だからさ、もうちゃんがあんな風に傷付かなくて済むように、一君が繋ぎとめておいてよね。少しでも手を放せば、人なんて簡単に離れて行ってしまうんだから。
























(2011/6/12)