いつも通りの日常が戻って来た。けれど私と斎藤さんは以前とは少しずつ関係が変わって来ている。二つの事件を経て、それは私に消えることのない傷を作ったまま。けれど一層、斎藤さんを思う気持ちが強くなったように思う。傍にいたい、誰よりも近くにいたい、そして支えられた分、私も支えたい。離れてしまったこともあったし、これからも幾度となくそういったことはあるのだろうと。斎藤さんは危険と常に隣り合わせのお仕事をしているのだから。

 でも、だからこそ、斎藤さんと居られるこの時間を大切にしたい。廊下ですれ違うほんの少しの間ですら、目が合い、言葉を交わせばこんなにも幸せな気持ちになる。ただ、満たされるのとは少し違う。満たされていると感じるのは、やはり二人だけで過ごしている時だ。他に何も邪魔するものがなく、心も穏やかに過ごせる。とはいえ、言うほど二人きりという状況に慣れていない私は、まだ緊張してしまうことがたくさんある。…例えば、今みたいに呼ばれて部屋を伺い、入ってみれば言葉もなく抱きすくめられた時。


「どうか、なさいましたか?」
「……昼間、隊士の中にのことを色々と言っている者がいた」
「私のこと?」


 何か隊士の皆さんの不満となるようなことをしてしまっただろうか。…一瞬、そんな考えが頭を掠めたが、思えば彼らにしてみれば私の新選組からの扱いは不満だらけだろう。さして事情も話さず姉弟六人が保護され、一部屋宛がわれているなんて。事情を何も知らない隊士の方たちから見れば優遇同然だ。それはもう仕方ないだろう。斎藤さんが悩むようなことではないし、私が何も言われないだけの働きをするしかない。怪我の痛みも全て綺麗に消え、通常の仕事に復帰したのだから、お休みを頂いていた分の働きはしなければ。「斎藤さんの気になさるようなことではないと思いますが…」「…違う、そうではない」首を振って否定する。どこか拗ねたように声を低くする斎藤さんを不思議に思いながら、ゆっくりとその背に腕を回した。


「そうでは、ないのだ」
「と、言いますと……」
「…………隊士の、中にだな…」


 あんたに気のある者がいる、と、ぼそぼそと耳元で呟かれる。瞬間、私を抱く腕の力が強くなった。私は斎藤さんに言われた言葉を呑み込むのに時間がかかり、暫く言葉を失ってしまう。固まったままでいると、斎藤さんも黙り込んでしまった。…拗ねているというか、機嫌が宜しくないというか、いや、どちらもみたいだ。誰の発言かまでは教えてくれないが、その隊士の方の口から私の名前が出て随分と驚いたようだ。加えて、どこか焦ったように話す斎藤さんが、失礼だけれどおかしかった。思わず少し笑ってしまえば、斎藤さんは力を緩める。互いの身体に僅かな隙間ができ、表情が確認できると彼は居心地の悪そうな顔をしていた。笑うな、とまた小さな声で言うが、私だって斎藤さんを馬鹿にしている訳ではない。


「一人だけではないのだぞ」
「ここには女性はあまりおりませんし、珍しいだけですよ」
「だから危ないのではないか」
「で…でも、私には斎藤さんがいます」
「……それは、そうだが」


 まだどこか納得が行かないらしく、目線を合わせてくれない斎藤さん。けれどそれを言うなら私だってそうだ。街では新選組は恐怖の対象として見られることが多いけれど、中には私がそうであるみたいに憧れを抱く女の子はいる。それも魅力的な子が、だ。そんな話を聞いてはいつも私は焦っていた。そんな子たちと私じゃ張り合うに張り合えない。今だってそう、きっと街に出れば斎藤さんを憧れの目で見る女の子はいるはず。そこまで考えて、ふと立ち止まる。まただ、また斎藤さんと私は同じ所で躓いて悩んでしまっている。おかしくて、真面目な話をしているはずなのに、また笑いが込み上げて来る。すると一旦機嫌の直りかけていた斎藤さんは、また「」と低い声で私を呼んだ。


「笑い事ではない」
「だって私、また斎藤さんと同じことで悩んでいたんです。だから、大丈夫です」


 そう、相手を疑っている訳ではない。自分の思う相手を、自分以外の誰かが思っている、それだけで何か得体の知れない焦燥感に襲われるのだ。誰かが自分と同じような目で斎藤さんを見ているのだと思うと、どこかもやもやとした気持ちになる。具体的には説明ができない、酷く曖昧で輪郭のない、けれどはっきりと色のついた感情。嫉妬とは少し違う、何と言えばいいのだろうか。斎藤さんには私だけが良いと思う、私以外の誰からも同じような視線を送られないでいて欲しいと思う。不安でもない、心配でもない、単純なようで複雑な気持ちだ。傍に居ればいるほど強くなるその気持ちの名前は、


(独占欲、だ)


 何度でも突き当たる、何度でも躓き立ち止まる。その度に気付くのは“また同じ”という事実。どこまで同じことで悩めば気が済むのだろうと、おかしくて仕方がない。けれどそれすらも今は愛しい。ほんの少しの共通点が、ほんの少しずつ私と斎藤さんを近付けてくれているようで嬉しい。悩みなんてない方がいいのに、同じ悩みなのだと知ればそれは悩みではなく共通点と名前を変える。

 私が斎藤さんを一人占めしたいと思う時があるように、斎藤さんもまた同じなのだろうか。誰にも邪魔されずにただ二人で過ごしたいと思うことが、斎藤さんにもあるのだろうか。理由もなく会いたいと、話したいと思うことが、同じように触れたいと思うことが。溢れ返る欲は止め処なく、けれど顔を見れば鎮まり、ひたすらに愛しいと叫ぶ。…誰かを思う気持ちは簡単なようでとても難しいことのようだ。


の言うことであれば、俺は信じる。だが」
「はい」
「その隊士のことだけではない、幹部であっても油断はするな」
「……似たようなことを、以前も言われた覚えがあります」


 あれはそう、山崎さんと夜遅くに仕事をしていた時のことだ。幹部であっても夜間は簡単に男を部屋に入れないようにと言われた。流石にあれ以来、出来る限り夜間は人を入れないようにしている。ただし斎藤さんを除いて、だ。

 斎藤さんは気付いているのだろうか、夜の巡察が終わって帰って来た時、必ず私たちの部屋へ足を運んでいることに私が気付いているということを。弟たちはもちろん眠ってしまっているけれど、時折私は目が覚めることがある。ある夜も、私は眠れず起きたまま体だけ横たわっていたことがあった。そこへ斎藤さんが巡察を終えてやって来たのだ。斎藤さんは私が寝ているものを思っていたみたいだけれど、しっかりと起きていた。あの日は偶然なのかと思ったが、その後もそれは続くと、実は随分前からそうしていたのであろうことは想像に難くない。ただ、いつからなのかということまでは流石に分からないけれど。そしてどんな心境で疲れているであろう巡察後に、わざわざ足を運んでくれているのかも、まだ私は知ることができていない。

 苦笑いをして返す私の頬に手のひらを宛がうと、じっと見つめられる。ようやくぶつかった視線に、どきりとする。斎藤さんに見つめられると言葉なんて失くしてしまう。触れてる指先は優しく頬を撫ぜ、擽ったくて身が引けばもう片方の手で腰を引き寄せられた。そして今度はいつも通りの声音で告げられる。


「何度でも言う、が大事だからだ」


 卑怯だ、と零したくなった。そんなことを言われてしまえば、私はますます何も言えなくなる。さっきまで笑うだけの余裕だってあったのに、気まずそうだったのは斎藤さんの方なのに、立場はいきなり逆転する。頬を撫でた手は髪を梳き、頭ごと斎藤さんの方に引き寄せられる。すっかり腕の中に収まった私は、もう大人しく「はい」と答えるしかない。何度も耳元で私を呼ぶ声に返事をしながら、私は熱くなった顔を隠すように斎藤さんの胸に顔を埋める。恥ずかしいのに、緊張するのに、今すぐどこかへ走り去りたい気持ちでいっぱいになるのに、それでも斎藤さんといる時に感じる安堵は、何物にも代えがたいのだと強く思った。何度でも何度でも繰り返したいと願うほどに。
























(2011/6/13)