誰が悪い、と言われれば、皆が悪いのだ。佐伯から目を離した俺たちも悪かったし、敷地外へ出た佐伯も悪かった。けれど、やはり佐伯を誘拐した奴らを許せる訳がない。今一体どこにいる、犯人は誰だ、どんな扱いを受けている、無事なのか、もしや――最悪の事態すら想像してしまい、頭を数度振った。 佐伯の捜索には、山崎君や島田君をはじめ、総司など幹部も数人駆り出されていた。俺が捜索に出して貰えなかったのは、恐らく副長の判断だ。自覚するほどに動揺している今の状態では、冷静な判断が行えないことは明らか。だが、何もできない自分を歯痒く思い、血の滲むほど拳を握り締めた。 「副長」 「島田か、どうだった」 「いえ、それがなにも。恐らく裏の入り組んだ道を使ったのでしょう、目撃者が全くと言って良いほどいません」 「山崎はどうしている」 「今、裏道から探ってくれています。なんでも、西の外れには長州の人間が隠れ家にしているらしい、と言われている古い家があるそうで」 分かった、続けてくれ。副長がそう返すと、島田君はまた広間を出て行く。局長もまた佐伯を随分心配しており、立ち上がっては部屋の中をうろうろと歩き回っていた。 俺の頭の中は悪い方向にしか考えられなくなっていた。拷問の凄惨さを知らないわけではないのだ。もし彼女がそのような目に遭っていたとしたら、とてもではないが耐えられるとは思えない。あの細い身体がどれだけの痛みに耐えられるかなど、俺には分からない。しかし彼女がそのような目に遭わなければならない謂われはないはずだ。長州の人間が絡んでいたとしても、それは逆恨みだろう。元々佐伯を利用しようとしていたのは奴らの方なのだから。 (これは悪い夢ではないのか?妙に鮮明な悪い夢でもみているのではないか?) しかし、意識を繋ぐために痛みを伴うほど握っている拳が夢などではないことを証明している。 佐伯とは後悔の残る別れをしたままだ。佐伯とはまだ話さなければならないことが多くある。きっと互いに何か誤解しているし、僅かにすれ違っている。こんなことになるなら、ちゃんと話しておけばよかったのだ。問題を先延ばしにせず、解決しておけばよかった。もし佐伯に何かあったらどうすればいい。空を掴むように俺の中の疑問もまた、空回るだけだ。無事でいてくれと、今の俺にはそう願うことしかできなかった。 * * * * * 何かに打ちつけられたような衝撃で、私は目が覚めた。意識がはっきりして来ると、打ちつけられたのではない、顔面に水を掛けられたのだということが分かった。 少し飲み込んでしまった水に咳込みながら、ゆっくりと自分の状況を理解して行く。…手足の自由は利かない。口は大丈夫だ、息ができる。目の前が暗いのは夜だからか、…いや、目隠しをされている。気を失う前のことを思い出してみる――私は長州の人間に誘拐されたのだった。最後に屯所の裏口で正晴さんの名前を彼らも口にしていたことから、正晴さんの仇討ちだと思う。 「おい、目ぇ覚ましたか」 「けほ…っ、ここ、どこ…」 「助けの及ばねえ所だよ」 そう言うと私の頭に手を伸ばした。髪を掴んで頭を引っ張ると、乱暴に目隠しを剥がした。それでようやく部屋の状態が明らかになったが、ずっと目を塞がれていたため、薄暗い部屋に差し込む夕日ががやけに眩しく感じてしまう。思わず目を細めると、私の髪を掴んでいる男はそのまま私を横に投げ飛ばした。髪が何本かちぎれる音がしたと思う。それと共に壁に身体を強くぶつけ、思わずうめき声が漏れる。 「大野はなァ、もっと痛かったんだよ」 「う、ぐぅ…っ」 「大野はずっとお前とお前の弟たちを生かす方向で上に掛け合ってたってのに、恩知らずにも程があると思わねぇか?」 いつ彼らが刀を抜くか、それを思うと恐怖で声も出ない。部屋に居る誰もがその顔に憎悪を湛えており、私が殺められるのも時間の問題かと思われる。反論も抵抗もできない無力な私。助けの及ばない所と言うと、京の外れか、境を越えたか。攫われた時は昼前だったから、私一人を隠すだけの時間は十分にある。 けれど、本当に仇討ちだけだろうか。いくら変若水に関する情報を握っていて、それを得るために利用されたとしても、私を殺すならあの場で殺してしまっても良かったではないか。むしろ、あの場で殺した方が大騒ぎになるし、弟たちへ恐怖心を植え付けることだってできてしまう。もっと、もっと他に何か目的があるはずだ。仇討ちだけが目的だとはどうしても思えない。私が新選組に保護されていることを知っているなら、尚のこと。 「…誰に付け入ったんだ?」 「つ、け……?」 「局長か?副長か?それともどっかの組長か?」 ――それか。 私を利用して新選組を揺する気だ。私が消えることで最も影響を及ぼす相手は誰だと、そう聞いているのだこの男は。…けれど残念ながら私が消えたくらいで揺らぐような組織ではない。案外、この人たちも考えが浅いのではないだろうか。確かにかなりの迷惑は掛けるだろうが、組織を揺さぶることなど私なんかを使ってできる訳がない。それはあそこで生活していれば分かる。彼らにとって最優先事項は隊務。土方さんは頭の良いなお方だと聞いている、迷惑になれど害にならないのであれば、私一人切り捨ててくれる。近藤さんは情に厚いお方だけれど、土方さんが上手く言って納得させてくれるはず。 それでいい。弟たちのことは迷惑をかけてしまうけれど、新選組が瓦解するような事態には恐らく発展しない。私さえ口を割らなければ、きっとこれ以上悪い方向へは進まないだろう。 「自分の立場が分かってねぇみたいだな」 何も答えない私に、彼らの苛立ちは高まっていた。屯所を去る際、気絶させるために思い切り殴られた腹部も痛む。先程壁に打ち付けた背も、固く縛られた手足も痛む。今また何度目か、髪を掴んで顔を上げさせられた。男は言いながら私を睨むけれど、どんな扱いをされようと喋るつもりは毛頭ない。 ふと、可笑しいわけでもないのに笑みが漏れた。 「…殺したいなら、殺せばいいでしょう。私が正晴さんを殺したんです」 瞬間、頬に熱が走った。同時に口の中が切れたらしく、血の味がじわりと広がる。自分の発言が彼らの怒りを逆撫でしていることは分かっていた。けれど言った通り、殺したいなら殺せばいい。彼らが私を憎んでいることには変わりないのだから。それに、私のせいで正晴さんが死んだことも、正晴さんを殺したことも間違っていない。 意識がぐらりと揺れる中、弟たちの顔が頭をよぎる。最後に怖い思いをさせてしまったこと、自分たちのせいで私が死んだのだと思ったまま生きていくであろうこと、様々な後悔が押し寄せて来た。けれどごめんね、もう私は戻れない。それから、斎藤さん。あんなぎこちないまま別れるなんてしたくなかった。私と斎藤さんの間にある誤解も疑念も、全て解いて笑い合いたかった。死ぬ間際になって私は馬鹿だ。こんなにもこんなにも、斎藤さんに会いたい。 しかし、痺れを切らした目の前の男がとうとう刀を抜いたのを見て、私はそっと目を閉じた。 * * * * * 「初美が見つかった!」 平助が戻って来るなり叫んだ。すぐさま副長は各自に指示を出す。恐らく俺はここに残らなければならないのだろうことが、もどかしくて仕方ない。大野邸の事件の時もそうだ、いつも佐伯が危険な状況に追い込まれている時、彼女を助けるのは俺ではない他の誰かだった。今回もまた、見ているだけなのか。奥歯を強く噛み締める。しかしその時、「斎藤!」と突如名前を呼ばれる。 「何してる、佐伯が見つかったんだ。行くぞ!」 「――御意!」 副長の後に続いて俺も屯所を出た。全速力で走って来たという平助は、俺と入れ替わりで屯所に残るらしい。佐伯を預かっている事情を公にはできないため、当然彼女の捜索に割かれる人員も変若水のことを知る幹部と一部の隊士に限られている。だから余計心配だったのだ。彼女を探し当てるまでの時間がかかればかかるほど、命に危険が及ぶ可能性が高くなる。 もう陽も落ちかけている。知らない輩に連れ去られ、半日も捕らえられ、佐伯が感じている恐怖は一体どれほどのものか。一刻も早く助けてやりたい、この手で彼女の無事を確かめたい、だからどうか物言わぬ骸で帰って来ることだけはないようにと強く思いながら、佐伯の捕らわれている場所へと急いだ。 (2011/1/10) ← ◇ → |