そういう事態が起こるという可能性がなかった訳ではない。だからこそや彼女のきょうだいたちを一人で屯所の外へ出すことはしなかった。けれどきっと油断していたのだ。まさか白昼堂々、屯所の目の前でそのようなことが起こるだなんて、きっと誰も考えていなかった。俺だけではない。総司や土方さんもそれは同じだろう。 もしも、のことを考えていなかった自分を酷く憎んだ。 * * * * * 「一君と何かあった?」 いつものように敷地内で遊ぶ弟たちを総司さんと縁側から見ていたら、唐突にそんなことを聞かれた。しかし聞かれている意味がいまいち理解できず黙り込むと、「ぎこちないよね」と続けられる。…それは私も感じていた。恐らく島原云々の一件以来だと思う。私としては解決したつもりであったそれも、斎藤さんにとってはそうではないのだろうか。煮え切らない何かを残したまま、数日が経過しようとしていた。 ちゃんと伝わったかと思えば、またどこかで食い違う。きっとそれは斎藤さんも同じだ。けれど遠慮とか、話が上手くないこととか、いろいろな理由をつけて話し合うことをしなかったことがあってか、ここに来て上手く噛み合わなくなって来てしまったように思う。通じ合った、その矢先。いや、むしろ近付いたがゆえに生じた問題とも言える。これまで見えなかった部分が見えて来て、それが気になるのだ。大きな疚しさなど何もないのに、些細なことが積もりに積もってしまったのだと。 「上手く、行きませんね」 「ちゃん達の場合は言葉が足りないだけだと思うんだけどね。僕や山崎君とちゃんの間ではそんなに誤解が生じたこともないし」 「そうですね…」 まあ大体何が原因か分かるような気もするけど、と言いながら総司さんはごろりと寝転がる。冬の合間のこの暖かさでは午睡をしたくなる気持ちも分かる気がした。眠そうに欠伸をする総司さんを見て少し笑うと、総司さんも笑って返す。しかし眠そうな所悪いが、そろそろ彼は巡察の時間ではないだろうか。それにいくら暖かいとはいえ、このような所で午睡などすれば風邪をひいてしまう。そう促すと、「仕方ないか」などと零しながら起き上がり、総司さんは私を残してその場を後にした。 何かあったか――いろいろあったのだ。総司さんは原因が分かる気がすると言ったけれど、生憎私には皆目見当もつかない。これは少々、いや、かなり問題なのではないだろうか。それとも女だから分からない?男であれば分かった?考えども答えは出ず、出るのはただ溜め息ばかり。思う気持ちに嘘偽りはないのに、それが上手く通じないと言うのはこんなにももどかしいものだと、私は初めて知った。不安に思う必要はないと、そのようなことを斎藤さんも言ってくれたのに、なんだか違う。これは胸騒ぎに似ている。 (さすがに疲れたのかな…) 慣れない場所での生活は時間が経ってから疲労の現れることが多い。最初はがんばろうと意気込むから疲れなど感じている暇もないのだ。けれど今はちゃんと傍に支えてくれる人がいるというのに、こんなにも疲れた気持ちになるのはなぜなのだろうか。いや、疲れなんて簡単なものではなく、もっと複雑だ。寄りかかりたい、けれど寄りかかれない。以前、大野の家に入る前はあんなにも我儘も言っていたけれど、きっとここへ来て斎藤さんがどれだけ忙しい人かを知ったからだ。私が彼の手を煩わせてはいけない、私の方が彼を支えなければいけないと、気を張りすぎていたのかも知れない。 もう少しでも上手く、甘えられたら。 「おねえちゃん、おなかいたいの?」 「大丈夫、何ともないよ」 心配そうに顔を覗き込んで来る末の妹、吉乃の頭を撫でてそう返す。子どもたちは鋭いから、本当に誤魔化せたかどうかは知らない。けれど笑って抱き締めてやると、吉乃も「ぎゅー」などと言って嬉しそうに笑った。走り回って疲れたのか、膝の上に抱きいてやれば、先程の総司さんと同じく眠そうにして目を擦った。いつもこの時間は吉乃こそ午睡しているため、そろそろ部屋に連れて行ってやろうかと立ち上がって吉乃を負ぶる。さすがにそろそろ抱っこは辛くなって来た。吉乃の成長は嬉しいけれど、抱っこができなくなるのはどこか寂しくもある。 負ぶられると安心したのか、もううとうとし始めた吉乃をおかしく思い、小さく笑う。そして立ち上がった時だった。庭の向こうからバタバタと慌ただしく走って来たのは一番上の妹、雪とその二つ下の孝之助だった。息を切らして走って来る二人の表情は、どこか恐怖に怯えているような、切迫しているような表情。 「雪も孝之助も落ち着いて、何があったの」 「よ、よし、よしつぐ、が…っ」 「こわいひと、うらにいて、それで…!」 「怖い人…?」 「吉継、ころされちゃう…っ」 胸騒ぎはこれか。可哀想だけれど吉乃を起こして縁側に下ろすと、私は孝之助の案内で急いで裏に向かう。着物の裾が、なんて気にしている場合じゃない。何があったかは知らないけれど、あの子たちを守れるのは私だけだ。確かにここは新選組の屯所だけど、決して安心できる訳じゃない。私もあの子たちも守られているんじゃない、監視されているのだ。それならあの子たちに何かあった時に守るのは、他の誰でもない私の役目。 孝之助の話によると、屯所に猫が迷い込んで来たそうで、それを追って行ったら屯所の裏手に出て、そこで柄の悪い浪士らしき三人の男に捕まったのだそうだ。孝之助の話しか聞いていないが、それだけ聞くとこの子たちには何の非もないように思える。子どもの言うことではあるが、この子たちは嘘をつくような子じゃないし、ましてやこのような状況、嘘を思いつくほど頭も回らないだろう。 走って走ってその場に着けば、恐怖に腰を抜かしてその場にへたり込んでいる正成と、男に胸倉を掴まれた吉継がいた。血の気が引いて行くのを感じながら、私は叫んだ。 「そ…っ、その子を離して下さい!」 「あァ?誰だよお前」 「その子の姉です!この子たちが何かしたなら私が謝ります、だからその子を離して下さい!」 今にも正成にも掴み掛ろうとする男と正成の間に割って入る。何の威力もないと分かりながらも男を睨みつけると、私の言葉を聞いた男は次に笑い声を上げた。そして後ろにいた男に顎で合図すると、簡単に吉継を解放する。泣きながら私に抱きつく吉継をしゃがんで強く抱き締めながら尚も男たちの方を睨んでいると、面白そうに口の端を持ち上げて笑う。…気持ちの悪い笑みだ。ぞっとしながらも背には正成と孝之助を庇い、吉継を抱き締めたままじりじりと後ずさる。 「そうか、お前がか」 「な、んで、私の名前…」 「大野の名前を忘れたとは言わせねぇ」 「大野……、っ正晴さんの……!」 彼の名を口にすると、男は一層笑って私に近付き、痛いほど強い力で私の腕を掴んだ。そして思いっ切り引っ張られて吉継が私の手から離れる。 「――大野を裏切った女め」 * * * * * ぞくりと、寒気がした。思わず後ろを振り返るが、別段すぐ傍で殺気を感じた訳でもない。 「組長、どうかされましたか」 「いや、なんでもない。気にするな」 気のせいかと思って頭を振る。しかしどこか嫌な予感がしてならない。何かが引っ掛かる。屯所に何かあったか、局長か、副長か、――か。一刻も早く不安を消したくて、屯所へ戻る足を速めた。確証がある訳ではないが、ここ数日はとぎこちなかったこともあり、に何かあったのではないかという気になる。本当に気のせいであって欲しい。戻ったら最初に「おかえりなさい」といつものように言って欲しい。そして確かめたい、の無事を。 けれど嫌な予感というのは当たるものだ。屯所へ戻ってみればそこにの姿はなかった。ほんの僅かな差だったと言う。俺がここへ戻るのと、がいなくなるのとは、入れ違いのようなものだったと。 「消えた、とは、どういう…」 「正成たちの話によると、は数人の男に連れ去られた、て…」 違う、そういうことが聞きたいのではない。平助の説明に口にしないがそう返す。 目の前が真っ暗になって生きた心地がしない。どういうことだ、これは。がここにいない、消えた、連れ去られた、一体誰が、どこへ、何の目的で――次から次へと疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消える。考えが纏まらない。いや、それよりもなぜ守ってやれなかった。何がいけなかった。ここなら大丈夫だと、安心しきっていた心の隙か、油断か。 何かの間違いであって欲しい、夢であって欲しいと願うのは、これが二回目だ。 (2010/12/5) ← ◇ → |