「天の川?」 「い、いや、その、がよければ、だが」 の体調が戻ってからこっち、彼女は毎日女中同然の仕事をしていた。しかも見ている限り、一日も休んでいない。幹部の人間にお茶を入れたり、掃除や洗濯、炊事まで手伝っているのだと言う。これではまた体を壊しかねない。俺だけでなく弟たちも心配するだろう。少しは息抜きが必要だ。 そう思い立ち、早速に声をかけようと思ったのだが、生憎今日は昼の巡察があり、空いているのは夜しかない。隊士たちが話をしているのが偶然聞こえたのだが、どうやら今の季節、天の川がよく見えると言うのだ。は外に出る機会も少なく、仕事詰めだ。だとすれば、街へ行くよりも落ち着いて過ごせるほうがいいのではないか。…色々と考えた結果、天の川でも見に行かないか、と伝えたのだった。 「そ、そう言えば時期ですもんね!でも斎藤さん、お仕事があるんじゃ…」 「俺のことはいい、がだな、その…毎日屯所の仕事をしてくれていると聞き、何事も休みや息抜きがなければが体を壊すのではないかと思ったのだ」 「は、い…」 「それに屯所の仕事だけではなく、弟たちの世話もあるだろう。体調がようやく整ったというのに、無理をしては今度こそ倒れかねん」 「…ご心配、おかけしました」 「い、いや、あんたを責めている訳ではない!」 しゅんとするに咄嗟に否定の言葉を入れるが、いつものように両手を胸の前でぎゅっと握り締め、俯いてしまった。が屯所の手伝いをしてくれていることは非常にありがたい。それに仕事も辞めてしまった今、も手持無沙汰で仕方ないのだろう。のことだ、何もせずにここにいるのは心苦しいとも思ったのではないか。しかしを心配しているのは何も俺だけではない、総司も言っていたのだ。 そこでに声をかけてみたのだが、やはり突然すぎたか、はかなり困惑しているようだ。やはり日程をずらした方がよかっただろうか。 「…?」 「あ、す、すみません!…斎藤さんがよろしいのでしたら、ぜひ」 「そ、そうか。ではまた、声をかけに伺う」 「はいっ!」 少し頬を染めて嬉しそうに笑う。そのような表情は久しぶりに見た気がする。その柔らかい笑みを見て、俺も安心する。愛しい、とはこういうことを言うのだろうか。不意にそんな思いが浮かび、を抱き寄せたい衝動に駆られる。いやしかしこのような、誰が来るかも分からない廊下でそのようなことをする訳にはいかない。場所を選べばいいというものではないが、少なくとも人目に触れるような所は避けるべきだろう。いや、しかし例えばここが人目に触れないような自室もしくはの部屋であれば良いと言う訳でもない。こう言ったことはの同意を得てだな―― 「斎藤さん、」 「な、なんだ」 目の前のを放って一人で考え込んでいると、が一歩前に出て俺の顔を覗き込む。「どうかしましたか」「いや、何でもない」そう、なんでもない。決してやましい気持ちがあった訳ではない。ただ、こんなにも近くで生活していると言うのに、が街で働いていた頃に比べと過ごす時間が減っているような気がするのだ。以前は足しげくの働いていた店へ通ったものだが、今は俺の隊務との屯所の手伝いとが重なり、入れ違いとなることが増えてしまった。そのせいか、との会話もどこかぎこちなくなる。…加えて、その、少しに触れ足りない、というか。 しかしそろそろ巡察の用意をしなくてはならない。話に区切りもついたことだし、その場を去ろうとすると、「あの!」と声を上げながらが俺の袖を握った。 「あの、待ってます」 そんな可愛らしいことを言われ、次の瞬間にはを抱き締めていた。 * * * * * へなへなと、私は部屋に入った瞬間に脱力した。だって、いきなり斎藤さんが抱き締めて来るんだもの。思いもしなかった斎藤さんの行動に、私は心臓が速くなったままのが止まらない。胸を抑えて呼吸を整える。…とても、どきどきした。抱き締められるのは初めてじゃないけれど、あんな急に、あんな強い力で、人目につくような所で。 いつも思うけれど、斎藤さんはとても力が強いと思う。悪い意味ではないのだけれど、抱き締められる度、手を掴まれる度、その力の強さに思わずどきっとする。離れないんじゃないか、て。…離れなくてもいい、なんて思う自分もいたりして、なんてこと考えてるのって考えて恥ずかしく思ったりして。 (斎藤さんは、私をどきどきさせる天才だ…) 熱くなった頬を両手で抑えて目を瞑ると、さっき斎藤さんに抱き締められた感覚が甦って来る。するとますます顔に熱が集まるのが分かった。まずい、このままでは外に出られない。こんな顔、他の人に見られる訳にはいかない。どうしようどうしようと一人でぐるぐる考えていると、後ろで勢いよく障子の開く音がした。慌てて振り返ると、そこには弟・吉継の姿。 「姉ちゃん?」 「な、なあに?誰か呼んでるの?」 「総司兄ちゃんがさがしてた!」 「分かった。今行くわね」 弟相手とはいえ、子どもはなかなか勘が鋭い。できる限り平然を装って笑いかける。すると吉継は私の不自然さに気付いてしまったようで、不思議そうに首を傾げる。「姉ちゃん、ねつあるの?」「熱はないよ、元気だから大丈夫」まだ心配そうな顔をしていたけれど、決して体調が悪い訳ではない。ただ、浮かれている。 そうだ、浮かれているんだ。斎藤さんに外出のお誘いを受けたことにも、抱き締められたことにも。最近は斎藤さんもお忙しいようで、なかなか話す機会も少なかった。私もここの家事手伝いをさせて頂いているから、入れ違いになってしまっていたのかも知れない。だから嬉しかった。あんなにもぎゅっとされたのは、きっと変若水の資料を斎藤さんたちに明け渡したあの夜以来だ。それ以来、そっと触れられることはあれど、なかなかあそこまで強く引き寄せられたことはない。どきどきするけど、斎藤さんの腕の中はとても安心すると思う。 (夜、まで、まだまだだ…) 待ち遠しくて仕方ない。そわそわする。どきどきする。嬉しい。楽しみ。ふわふわとした、いろんな気持ちが混ぜこぜになる。何事もなく、無事に斎藤さんが帰って来ますようにと、心の中で願った。 (2010/8/29) ← ◇ → |