騒動のあった日から暫く、や子どもたちは屯所で預かることになった。京に潜んでいる長州の連中に命を狙われない可能性がないということもない。羅刹の研究をしていた人物の娘と言うこともあり、何か知られて困ることも特にないということで幹部に反対する者はいなかった。屯所にはの相手をする人間――雪村もいる。にとっても雪村にとっても、同じ女である人間が近くにいるのは、いくらか気持ちが違うだろう。

 最初は屯所へ来ることを遠慮していたが、のみならず子どもたちの安全も考慮して、と念を押すと彼女は承諾したのだった。どこまでも自分のことは後回しな性格をしている。だから余計、他の誰かが彼女のことを考えないといけないだろう。そう考えていると、前方からがやって来た。彼女も俺の姿をみとめると、「お疲れ様です」といつものように微笑む。


「不便はないか」
「ええ。皆さんよくしてくれますし、申し訳ないくらいです」
「気兼ねする必要はない。何かあったらすぐに言うと良い」
「ありがとうございます」


 むしろが来てからと言うもの、一部幹部の間で隊務へのやる気と言うのが上がっている気がする。単純なものだと呆れたが、すぐ目の届く範囲にがいると言うのは、俺にとっても安心できることだった。大野邸にいるということが知れた時には、命の心配ばかりしたのだ。今は自身も以前の落ち着きを取り戻しているが、騒動のあった直後は彼女も随分沈んでおり、動揺を隠せない様子で過ごしていた。局長や副長からの事情説明や、総司からもよく励まされてはいたようだ。俺自身はどう声を掛けていいのか分からず、見かけても気の利いた言葉の一つもかけてやれなかったのだが。


「子どもたちは境内か」
「吉乃はお昼寝しているんですけど、そろそろ起きそうなので様子を見に戻ろうかと」
「起きて傍にがいないと泣くのだったな」
「そうなんです」


 困ったように笑っていると、どこからか子どもの泣き声が聞こえて来た。言ってる傍から吉乃が起きてしまったらしい。が「すみません」と頭を下げると、急いで吉乃のいる部屋へ向かうため、俺を通り過ぎようとする。…と、その腕を俺は掴んで引き留めていた。不思議そうに俺を見上げる。しかし自分でもなぜ引き留めたか分からず、とりあえずは「すまない」と言って手を離した。すぐにその場を去ろうとしたのだが、はおかしそうに小さく笑う。

 最近になって、彼女はまた笑うようになった。あのような騒動があり、あそこまで沈んだ彼女の笑顔がまた見られるようになることは、正直想像できなかったのだ。子どもたちも心配していたが何をしても手に着かない様子で、には一旦子どもたちの世話も休ませた。こうして今はまた子どもたちの世話をするまでに回復したが、それでも時折暗い表情をすることがあるので心配を完全に払拭することはできない。


「一緒に来てくれます?」
「いいのか」
「斎藤さんが来てはいけない理由なんてありませんから」
「しかし吉乃は……」


 言いかけてやめた。余計な心配をにかけてはいけない。

 吉乃は俺を怖がる素振りを見せることがしばしばある。確かに総司のように面倒見が良いわけではなく、愛想が良いわけでもない。出会った頃はでさえ俺を怖がっていたくらいだから当然だろう。しかしはそのような吉乃の様子に気付いていないのか、吉乃の元へ向かうのに俺の背を押した。首だけでの方を振り返れば、彼女は満面の笑み。…どうやら俺が躊躇った理由など、もうは察しているらしい。諦めて大人しく吉乃の元へ向かうことにした。泣いてる吉乃なんかに会えば、更に泣かれる気がしないでもないのだが、が嬉しそうに笑っているので従うことにした。

 目的の部屋に着くと、やはり吉乃は部屋の真ん中で泣いていた。が駆け寄って抱き上げれば段々と泣き止んで行く吉乃に、は微笑んで見せた。


「吉乃は斎藤さん大好きなんですよ」
「そうだろうか」
「ええ」


 に抱えられた吉乃と目が合うと、勢いよくそらされ、吉乃はぎゅっとにしがみついた。けれどの肩越しに俺を窺ってはまた彼女の肩口に顔を押し付ける。


「…妬けるな」
「え?」
「なんでもない、こちらの話だ」


 何を馬鹿なことを考えているのだろう。吉乃はの妹だ。しかもまだこのように小さいと言うのに、姉に甘えるのは当然だろう。何らおかしいことはない。それなのに、無条件でに抱きつく吉乃を見て複雑な気持ちになってしまった。…幼子と張り合うなどこんな馬鹿な話は無い。

 不思議そうな顔をして首を傾げるは、やがて俺が何か言いたそうにでもしていたのか、吉乃に他の兄姉たちの所へ行くよう促した。良かったのかと聞けば、何がだと返す。それは少々意地の悪い返答だ。部屋に二人きりになった途端、話が途切れた。俺のせいで吉乃を追い払ってしまったような形になってしまい、余計気まずい。もなかなか勘の鋭い所があるから困る。時折、考えていることなど簡単に読まれているのではないかと、そのような錯覚にさえ陥るのだ。


「斎藤さん、甘いものはお好きですか?」
「甘いもの?」
「金平糖でもいかがですか」


 そう言うとは文机の引き出しの中から金平糖を取り出した。このような高価なもの、一体どうしたと言うのだろう。には悪いが、彼女の給金では金平糖のような菓子を買うような余裕はないと思うのだが。

 は一粒摘まむと、俺の手をとって手のひらに乗せた。とはいえ、食べるのにも気が引ける。金平糖の価値が分からないわけではないが、もらって喜ぶような人間でもない。せっかくの菓子なのだ、吉乃にでも雪にでも、たとえ一粒だろうと食べさせてやればいいだろう。それなのには何かを期待するように笑って俺を見る。「毒は入ってませんよ」などと冗談を言い、自らも一粒手に取ってみせる。がそれを口に入れたのを見て、俺もようやく小さな一粒を口に放り込んだ。


「…甘い」
「そうでしょう?総司さんがくれました」
「総司が?」
「ええ、私はいいって言ったんですけど…」
「貰えるものは貰っておけば良い。総司が裏もなしに何かを贈るなど珍しいことだからな」
「…斎藤さん?」


 の声にはっとする。彼女は数回瞬きをして、俺をじっと見つめた。「あたし、何か気に障るようなことでも…」いや、のせいではない。今日の俺はどこかおかしい。いや、のこととなると以前からそうだ。出会ったばかりの頃ほどではないが、それでもこうして時折、思いもよらない言葉が口を突いて出る。それは大概、自分でも分かるほど棘を含んだものだ。

 しかし、だからと言っては俺を冷たい目で見るでもなく、いつものように口元を隠して控えめに笑った。その様子が訳もなく愛しくて、思わずその身を引き寄せる。何も言わずにそんなことをしたものだから、さすがにも驚いているようだ。不思議そうな声で「斎藤さん」と再度俺を呼ぶ。応える代わりに、を抱く腕に力を込めた。


「あ、あの…」
「すまない、あと少し」
「……はい」


 困惑するように間をおいて応える小さな声。これでは俺も吉乃と変わらないと、の肩口に額を乗せながら思った。
























(2010/8/13)