先日、弟たちの前で泣いてしまってから、彼らも何も言わなくなった。あれ以来総司さんや斎藤さんに会いたいとは言わない。相変わらず生活に対しての文句もない。けれどやはり子どもたちなりに思う所があるようで、どことなく憔悴しているのは見て取れた。そして私に何か気を遣っていることもよく分かった。

 こんな気まずいままでは、あの人が帰って来た時に余計な心配をかけてしまう。ただでさえ忙しそうにあちこち走り回っていると言うのに、家でくらい気を楽にしていたいだろう。私は弟たちを元気づけるべく、五人に外出を提案した。


「ご飯を食べ終わったら出掛けようか」
「でかける?」
「どこに?」
「うーん…あんまり遠くへはいけないけれど…どこか行きたい所はある?」


 突然の案だったので彼らもすぐには出て来ないようで、みんな顔を見合わせて悩み始める。きっと、どこへ行きたいかなんて彼らの中では決まっているのだろう。けれど私を困らせてしまうことを察しているから、本音を言えないでいる。こんな小さな子たちにまで無理をさせてしまうなんて、姉失格だ。いつか総司さんに「良いお嫁さんになれるね」なんて言われたことがあったけれど、お嫁さんどころか、姉としてもしっかりできていないなんて。

 やがて、控え目に末の妹の吉乃が口を開く。「あじさいがみたい」と。しかし、もう梅雨も明けて紫陽花なんて咲いている季節ではない。私の知っている紫陽花の植えられている場所も限りがあり、どこも既に花は落ちているだろう。すると、吉乃の言葉を捕捉するように一番上の弟が言葉を繋げた。


「昨年、あじさいを植えたんだ。吉乃はそれを見たいって言ってるんだと思う」
「植えた?もしかして、いつものお寺の裏?」
「うん」
「もう、そんなことしていたの?」
「ご、ごめん姉ちゃん…」


 軽く窘めながら苦笑した。「仕方ないわねえ」と零すと、途端に子どもたちの表情が明るくなる。馴染みのある場所へ行くことは、私が想像している以上に嬉しいことらしい。私の勝手であの家を離れることになったのだから、よくよく考えてみれば恋しがるのも当然なのだ。この子たちもいい生活をできるだろうから、と“この子たちのため”を言い訳にしてしまっていた。本当にこの子たちのためなのだったら、ちゃんと話し合うべきだったのだ。

 嬉しそうに顔を見合わせる弟たちを見ていたら、私も少しだけ元気が出て来た気がした。早く出たいとばかりにご飯を掻き込む子どもたちをおかしく思いながら、“いつもの場所”へ行くことには、もっと他の期待せざるを得ない。そんな都合の良いことがあるはずないと、軽く頭を振って私は箸を置いた。

 恐らく「あじさいがみたい」は口実だ。何でもいいから、この子たちもあの場所へ行きたいのだと思う。ここから少し遠いあのお寺に行くとなると、普段ならできない。けれど夫が留守の今なら、多少帰るのが遅くなろうと構わない。だから私も弟たちの希望を承諾した。


(紫陽花、か…)


 ふと、斎藤さんと見に行く約束をしていたことを思い出す。私から取り付けたことだったのに、結局、私が破ってしまった。「楽しみにしている」とまで言ってくれたけれど、きっともう、来年も、その次も、斎藤さんと紫陽花を見ることはないのだろう。

 だめだめ、とまた頭を振る。手に入らないものを望むだなんて、そんな不毛なことはしては虚しいだけ。今あるものを受け入れなければならない。もっともっと時間が経てば、ちゃんと忘れられる。この気持ちも全部薄らいでくれるだろうし、全部思い出になってくれるはずだ。


お姉ちゃん!早く行こう!」
「はいはい。ほら、じゃあ片付け手伝って」
「うんっ!」


 花が落ちるように、いつか生々しい傷のような痛みも、私の中から抜け落ちて行ってくれるはず。






* * * * *






 状況は良いとは言えない。の父親が遺したと言う資料の在処は見当がつかないのだ。当初、できればに接触せずにこの件を終わらせたいと思い、の祖父母を訪ねたりもしたのだが、二人は自分たちの息子の仕事の詳細に関しても何も知らないようだった。色々と試したり軽く脅したりしてもまるで手掛かりはない。

 医者と薬品は切っても切れない繋がりがある。だから薬種問屋を営んでいたの父が蘭方医である綱道氏と接点があってもおかしくはない。それならの父も幕府と何か通じていそうな気もするが、それもなかったという。だとすれば独自に研究を進めていたのだろうか。

 その時ふと、以前がぽつりと言った言葉を思い出した。両親の話をした時のことだ、その死因に関する部分についてはかなり歯切れが悪かった。子どもだったとは言え、祖父母からも聞いているだろうし、そう言った衝撃的なことはいつまでも覚えていることが多い。がいくつの時に起こったことかは分からないが、死因について明言できないのはどこか不自然だ。


『酔った浪士に誤って斬られた、…はずなんです』
『はず?』
『私の推測なんですけど、誤って、とは思い難くて』
『何か思い当たる節でもあるのか?』
『…………』
?』
『…いえ、ただの戯言です。忘れて下さい』


 何か踏み込んではいけない領域なのだろうと思い、あの時はそれ以上は言及しなかった。だが、の推測というものも含め、いくつかの仮説を立てると、彼女の両親は意図的に殺された可能性が出て来る。

 幕府とは何の繋がりのなかったの両親。独自に進められた変若水と羅刹の研究。の両親の突然の死亡。長州の連中と共に動いている綱道氏。に近付き、彼女の弟たちを人質にとっている長州の人間。消えた研究資料。ぽつりぽつりと拾って来た事実。それら一つ一つを重ね、繋げてみると、何か恐ろしい結論に繋がりはしないだろうか。無論、その中には“もしも”の話も多少含まれるが、事実だけを繋げてもほぼ違いはなく同じ結論へ辿りつくだろう。

 あまり悠長に向こうの出方を待っていられそうにない。ともすれば、自身に配慮している時間もないかも知れない。の夫となったらしい男は今日から二週間ほど家を空けると聞いた。に接触するなら、このような絶好の機会を逃せば他にない。


に話すしかない、か)


 躊躇っていてはいられない。もしも自分の考えていることが当たっていたとすれば、に実害が及ぶのも時間の問題だ。一刻も早く、に会わねばならない。残念だが、山崎君の土方さんへの報告には一部誤りがあるようだ。

 恐らくは、研究資料がどこにあるかを知っている。
























(2010/5/3)