足元の覚束ないような、そんな日が続いた。雑念と言った方がいいだろうか。しかしそれは余りにも曖昧で形の分からないものだ。ただ、に会えばそれまで靄がかかったようにはっきりしなかった思考が冴えて行く。以前はまるで逆だった。を前にすると冷静でいられず思ってもいないことを口走ったりしたものだが、今はそのようなことは全くない。むしろ、と会わない日数が重なるほど、どこか冷静さを欠いて行っていることには気付いた。余所事を考えていては剣の動きも鈍る。それは周りから見ていても分かるようで、先程も平助に不審そうに見られた所だ。

 まさか、と一つの仮定を張り巡らせては掻き消す。そんな作業を続けてもう二週間だろうか。ここの所、隊務が重なり時間が作れず、とも会っていない。最初に店を訪ねた日から時間さえあれば訪ねていたため、これだけ間が空いたのは初めてだった。気にならないこともないが、隊務を優先するのは当然のこと。かと言って、この二週間の内にに会ったらしい総司に彼女の様子を聞くのもなんとなく癪である。

 口を開けばのことを聞いてしまいそうなのと、のことが話題に上ることは避けられないため、総司とはできるだけ話さないようにしていた。しかし今日、とうとうあちらから話しかけられてしまった。



「まだ調子悪いんだって?」
「…嬉しそうだな」
「一君の不調なんて珍しいからね」



 それでわざわざ声を掛けて来たということか。それにしても、のことで頭を悩ませているといつも総司に出くわす気がする。今日は天気も良い、日当たりのいい縁側にいるのも分かるが、どうも待ち伏せされていた気がしてならない。

 俺が小さく息を吐き出すと、さも意味ありげな笑みを浮かべて言葉もなくこっちを見ている。何を言いたいのか分かった気がして、まるで逃げるように元来た方向へ踵を返す。しかし総司はそれで見逃すような人物ではない。



ちゃん」
「…………」
「を、熱心に構ってたみたいだね」
「何が言いたい」



 それはから聞いたのか、俺がの元を訪れている所を見たのか、それとも他の誰かから聞いたのか、気になることは色々とある。熱心に、という訳ではないが、固執のようなことをしていたことに変わりはない。いや、それを熱心にというのだろうか。今日会えば恐らくまた明日も会いたいのだろう。明日会えばその次、その次会えばまたその次、…言い始めたらきりがない。結局、毎日でもの顔をみたいということか。

 会う回数を重ねるほど、はいろんな表情を見せた。恥ずかしそうに寝ぐせを必死で押さえつけたり、伺うように俺を見て話を切り出したり、口元を押さえて控え目に笑う仕草。間近で見ていれば思わずこちらの頬も緩んでしまう。別段、疚しいことがある訳ではないが、特定の人物の元を頻繁に訪れていたことを新選組内の人物に見られていたとしたら、相当恥ずかしいことである。

 だが、どこから得た情報なのかを問い質している場合ではない。含みのある言い方をするだけでその主旨を告げようとしない目の前の人物に、次の言葉を促す。



「最近のちゃん、心ここにあらずなんだよね。彼女に何したの?」
「何もしていない」



 言いがかりだろう。それどころか会ってすらいないというのに、に危害を加えるようなことをできるはずがない。しかし心ここにあらずとは、何か気の沈むようなことでもあったのだろうか――そう思うと途端に心配になった。

 のことだ、また仕事を無理しているのだろうか。いや、また具合が悪いということも有り得る。しかしまだしばらく俺も時間に余裕ができそうにないため、それを確認する術がない。どうするべきかと考えていると、総司が後ろから「そういえば」とわざとらしく切り出す。何か嫌な予感がするが、何だ、と返しながら後ろを振り返った。



「今、ちゃんが来てるらしいよ。千鶴ちゃんに会いに、だけど」
「…何だと?」
「この間、またちゃんが浪士に絡まれてる所に遭遇したんだ。それを千鶴ちゃんが助けてあげたんだよね」



 また絡まれていたのか。…ではない。律儀な彼女のことだ、今度は雪村に礼をするつもりで来るのだろう。任務の内なのだからそんな気遣いは無用だと言うのに。それでもそういった所がらしいといった所か。

 そこでふと、が初めて屯所を訪れた時のことを思い出した。あの時は確かの弟が高熱を出したとかで、総司を頼って来たのだった。さすがにあれ以来夜遅くに一人で出歩くことはしていないそうだが、昼間ですら厄介事に巻き込まれると聞けば心配が尽きないではないか。…待て、今この敷地内にいるのであれば直接本人に確認するいい機会だ。もし気の沈んでいる原因を取り除けるならそうしてやりたい。



「あ、ちゃん帰るみたいだね」



 総司の目線の先には今まさに門を出て行こうとするの姿があった。そして、こちらの声が聞こえた訳でもないというのに、は足を止めて徐に振り返る。俺たちの姿を見つけて一瞬驚いたような顔をしたかと思えば、いつものように小さく笑った。すると、帰ろうとしていたを手招きして呼び寄せる総司。何回目かの嫌な予感がした時には遅く、思わずその場を去ろうとした俺に総司は、



「どこへ行くつもり?」



 そう笑って言うのだった。






* * * * *







 雪村さんにお礼を言って帰ろうと屯所を出ようとした時、なぜだか後ろから呼ばれたような気がして立ち止まった。そして振り返ってみると、丁度ここから見える場所に総司さんと斎藤さんがいた。一瞬、驚きと嬉しさにどきんと胸が高鳴る。もしかしたら斎藤さんに会えないだろうか、と小さな期待がなかった訳ではない。けれど総司さんに聞いた話ではここの所、斎藤さんはかなり忙しいと聞いていたし、今日もほとんど諦めていた。まさか雪村さんに斎藤さんのことなんて聞けないし、少し残念に思いながら帰る所だったのだ。

 今日だってきっと忙しいのだろう。そう思い小さく礼をして去ろうとしたのだが、総司さんが手招きして呼んでいる。…行っても良いということなのだろうか。少し躊躇ったが、ここで振り切って帰るのも失礼だろうと思い、呼ばれた方へ素直に従った。



「総司さん、こんにちは」
「その様子じゃ千鶴ちゃんには会えたみたいだね」
「はい。…斎藤さんも、お久しぶりです」
「ああ」



 相変わらずの短い返事に、いけないと思いながらもつい笑みがこぼれてしまう。こんな何でもない挨拶すら、二週間も空くといつも以上に嬉しい。自然と速まる鼓動を落ち着かせるように、胸の前でぎゅっと手を握り締める。総司さんがいろいろと気を利かせてあたしに話を振ってくれるけれど、話をしながらも意識はどこか別の所にあるような感覚だった。すぐ目の前にいるのに声のかけられない人に。

 二人だからといって上手く話せることもないけれど、あたしが斎藤さんを慕っているということを既に悟っているらしい総司さんの前で斎藤さんと話すことは、なぜかとても恥ずかしく思った。お陰で、斎藤さんが気になるけれど彼の方を見ることも叶わない。



「…それじゃあ、そろそろ帰りますね」
「引きとめてごめんね。気を付けて帰るんだよ」
「はい、それではまた」



 話に一区切りもついたので、あたしから帰ることを切り出し、背を向ける。最後に斎藤さんの方をちらっと見ると、何か言いたげにしているようだった。いや、気のせいか、あたしが話したいからそう見えただけかも知れない。そう自分の中で解決し、二人に背を向ける。けれどその時、「待て」と声がかかり、あたしは足を止めて首だけで声のした方を振り返った。



、話がある」
「話…?」
「今、そっちへ回る」



 そう言うと、斎藤さんは急いでどこかへ消えた。履き物でも取りに行ったのだろう。あたしは訳が分からず何度か瞬きを繰り返していると、総司さんは面白そうに喉を鳴らして笑った。ますます理解ができなくて「総司さん」と名前を呼んで説明を促すと、「ごめんごめん」と言う。けれどまだ笑いはおさまらないらしく、俯いて震えている。総司さんに状況の説明を求めても無理があるようだ。

 程なくして斎藤さんが現れると、いつかのように「送って行く」と言ってくれる。今度は「はい」と素直に答えてその厚意に甘えておくことにした。後ろから総司さんが「がんばってね」と言ったけれど、やっぱりその言葉の意味もよく分からなかった。
























(2010/4/13)