斎藤さんはあたしを送り届けてくれると、お礼を言う隙もなくすぐに帰ってしまった。後日改めて伺うとして、あたしは弟にすぐに薬を飲ませた。沖田さんがなぜ子どもの薬を持っているかどうかは敢えて考えないことにして、薬を嫌がる弟に、粉末を白湯に溶いて無理矢理流し込む。すると、やはり薬が効いたのか明け方には苦しそうな様子もなく穏やかな寝息を立てて眠っていた。

 幸い今日は休みだ。一晩起きていたせいでさすがに身体は怠いが、斎藤さんと沖田さんへのお礼くらいなら行けるだろう。仕事がなくて本当に良かったと思う。あたしは祖父母に弟たちを任せ、家を出た。しかしお礼をすると言っても一体何がいいのだろう。彼らの好みなんてあたしには分からない。江戸から来たと言うので味の好みも違いそうで食べ物は怖いが、他のものなんて思いつかないので、結局菓子を持って屯所を訪れた。

 人斬り集団とまで噂される新選組の屯所に、こんな昼間から訪れる一般の人間はあまりいない。門の前で通り過ぎては戻り、また通り過ぎては戻りを繰り返しているあたしを、門番のみならず道行く人たちは不審そうな目で見ている。しかしこうしていても仕方がない。あたしは意を決して門番の人に声をかけようと「あの」と切り出した。しかしそれは「ちゃん」と後ろから呼ばれた声によって遮られる(いつもあたしが言おうとした時に上から被せられるのは気のせいだろうか)。

 振り返ると「今度はちゃんと明るい内に来たんだね」と面白そうに笑った。つられてあたしも笑い、「その件はありがとうございました」と頭を下げる。



「それで、今日はどうしたの?」
「昨日のお礼を、と思いまして」



 そんなの貰うほどのことしていないよ、と総司さんは拒否したが、あたしも食い下がらない。斎藤さんだって昨夜はあれでもう巡察は終わりだったはずだ。決められた時間を超えての労働は誰だって嫌なはず。



「じゃあ一君にも持って行きなよ。多分今は中にいるはずだから」
「え、ええ、斎藤さん…そうですよね」
「昨日、何かあった?」



 何か、というほどのことではない。家までの道のりの半分以上を腕を引かれていただけで、特別“何か”と言う訳ではない。ただあたしがなんだか舞い上がってしまっただけだ。あの時、あたしも熱が出たのではないかというほど顔が熱くて、しかもそれは斎藤さんに掴まれている手首から広がって行くようだった。本当に夜でよかったと、不謹慎ながら思ってしまった。

 連日弟たちの看病をしながら、昨夜は全く眠気が来なかったのは、斎藤さんが頭から離れなかったせいだ。今もしも斎藤さんに会ってしまったら、上手く話せる自信がない。以前とはまた違った意味で、彼を直視できなくなる。



ちゃんにとっては“何か”あったみたいだね」
「な…っ」
「何があったんだ?」
「ああ、一君。実はちゃんが、」
「総司さんっ!」



 慌てて両手で総司さんの口を塞ぐ。突然の斎藤さんの登場に、顔へ熱が集中するのを自覚しながら「何でもないです、何でもないです!」と不自然に取り繕った。すると斎藤さんは怪訝そうな顔をし、あたしの手首を強い力で掴む。…この表情、怒ってる時の顔だ。今日でまだ四回しか会っていないのに、あたしはもうそんなことまで見分けられるようになってしまっていた。

 そこまで気に障るようなことをしてしまったのだろうか。いや、総司さんと斎藤さんと言えば同じ新選組の仲間である。その総司さんが斎藤さんに何か隠し事をする形になってしまったのがまずかったのだろうか。けれどこればかりは斎藤さんに知られては困る。総司さんは勘の鋭い人だから、一晩の内にあたしに何があったか、どんな心境の変化があったかなんて恐らくお見通しだ。今、総司さんの口を塞いだ所で、あたしが帰れば斎藤さんに告げ口する機会などいくらでもある。だとすればこの行為はあまり意味がないのかも知れない。

 しかし斎藤さんは、いつまで経っても手首を掴んだままじっとあたしを見下ろすばかりで、何も言わない。無言で見つめ合う形になり、あたしはまた恥ずかしさのあまり、思わず顔を逸らした。すると今度は顎を捉えて上を向かされる。もう何が何だか分からなくて目をぱちぱちさせていれば、



「昨夜、寝ていないだろう」
「へ…?」
「目の下に隈ができている」
「嘘…っ」
「そんな状態で帰せばいつ倒れるか分からない」



 また手を引っ張って屯所内へ連れて行かれる。先程の斎藤さんの言葉と行動が繋がらなくて、あたしは引っ張られながら総司さんを振り返る。が、いつも以上に楽しそうに笑ってひらひらと手を振っているだけだ。あたしがここへ来た目的は彼に話したはずなのだが、すっかり無視されているようだ。お礼を言いに来たのに、この流れだとまたお世話になってしまうような気がしてならない。

 そんなあたしの予想は当たった。連れて行かれるがままに連れて行かれると、どこか知らない一室に入り、斎藤さんは要領よく布団を敷く。そして「休んで行け」とあたしに言った。訳が分からず「はい?」と思わず間抜けな声が出る。



「調子が悪いのだろう」
「いえ、そんなことは、」
「嘘を言うな。あんたの調子が悪いと不愉快だ」
「ふ、ふゆ…っ!?」



 最早あたしの存在を全面否定されたも同然ではないだろうか。昨夜僅かに芽生えた思いは早々に蓋をしなければならないようで、あたしは泣きたくなるよりもいっそ笑ってしまいたくなる。自分をこれだけ毛嫌いするような人をなぜ、と自分を疑ってしまう。だが幸いにも傷は浅いのか、それとも実感がないのか、あたしは思ったよりも冷静で、斎藤さんの勧めるままに休めという言葉に従えた。

 ああ、そう言えば総司さんにお菓子を渡したままになっていたな、なんて考えるも、横になると急に眠気が襲って来る。弟の熱も治って来たし、緊張の糸が切れたのだろうか。うとうとし始めると、斎藤さんはあたしの前髪をそっと撫でつけた。



「あんたが倒れれば心配する人間がいるのだろう」
「斎藤、さん…?」
「弟たちが可愛いのは分かるが、まずは自分の体調を整えろ」
「…はい」



 この人の言うことは正しいのだと思う。理屈が通っているし嘘もない。真っ直ぐに言葉が飛んで来るから、あたしは一喜一憂してしまうのではないだろうか。それに、斎藤さんの手に触れれば分かる。さっきの「あんたの調子が悪いと不愉快」という言葉も、もしかすると実は斎藤さんなりにあたしを心配して掛けてくれたのかも知れない。

 そんな都合のいいことを考えていると、いつの間にか意識は遠退いて行った。






* * * * *






「あれ、ちゃん寝かせたんだ」
「すぐに寝付いた。疲れていたのだろう」



 あの後、ちゃんがどこに連れて行かれたのか屯所内をあちこち探した。一応中庭とか、あの様子じゃ一君はちゃんを休ませるだろうから、客間も見たけれどそこにもいない。ああ、と思って最後に訪れたのが一君の自室。今日は誰かが来る予定もないし客間にでも通せばいいのに、自分の部屋に通すなんてよほど冷静さを欠いているらしい。しかも障子を開けてみれば、すっかり熟睡中のちゃんと、その寝顔をじっと見ている一君。なんだか面白い構図だ。

 そう言えばちゃんがさっきくれた菓子を持っていたことを思い出して、僕は一君にも差し出した。もう封は開けちゃったけど。



「一君も食べる?」
「要らん」
ちゃんが昨夜のお礼にって持って来てくれたものなんだけど」
「…貰おう」



 分かりやすい人だなあ。ちゃんはどうやら一君を意識し始めたみたいだけど、一君は全然気付かないみたいだ。一君自身が苛立つ理由に気付いていなければ、ちゃんも一君の行動の意味を理解できていない。誰かが突いてやらないといつまでもくっつきそうにないよね、この二人。仕方ないからもう少しだけ押してあげようかな。真っ赤になって慌てるちゃんなんて初めて見たし、一君は一君で面白いし。

 とりあえず、ちゃんが起きたらまずなんて声を掛けようかということを、一君の横で寝顔を観察しながら考えることにした(一瞬視線が痛かったけど)。
























(2010/4/6)