会いたくない、と思う人ほど遭遇してしまうのはなぜだろう。決して嫌いなわけではないけれど、やっぱり苦手だと思ってしまう。一度苦手意識を持ってしまえば、それは好き嫌いを直すのと同じくらいに努力が必要なのだ。例えばそれば恩人だったとしても、思わず身が固くなるのは既に反射と化している。

 後ろからずっと聞こえて来る規則正しい足音に、あたしはとうとう我慢の限界が来て振り返った。



「…斎藤さんは、何かお仕事中ですか?」
「総司を探している」
「そうですか」
「ああ」
「…………」
「…………」



 律儀に答えてくれるとは思わなかったので少々驚いた。「あんたには関係ない」くらいの言葉は覚悟していたのだ。会話はというと、それだけで途切れてしまったので、あたしはまた前を向いて歩いて行く。

 ことの経緯を説明すると、あたしはいつものように仕事帰りに子どもたちが遊んでいるであろう場所へと向かっていた。その途中で偶然斎藤さんと出会ったのだが、どこへ行くのかと思えばあたしと同じ方向。最初は、偶然同じ方向へ用事があるのかも知れないと思い、さして気にしていなかった。けれど進めど進めど後ろからぴったりと足音はついて来る。あたしが止まれば斎藤さんも止まる。あたしが歩けば斎藤さんも歩く。これは一体どういうことだということで、先の会話に戻る訳である。

 もしかして、と思って再度足を止める。…やっぱり斎藤さんの足音も止まる。あたしは振り返って、思いきって彼に聞いてみた。



「あの…、あたしの行く先に、総司さんがいると思っています?」
「そうだ」



 なぜそれを先に言ってくれなかったのだろう。斎藤さんが寡黙なのはたった二度しか会っていないあたしでも十分に理解している。けれどそういうことくらいは言ってくれないと、あたしは心の中では斎藤さんを不審者扱いしてしまっていた。

 それきりまた黙ってしまった斎藤さんをじっと見つめる。こうやって対峙することは、苦手意識を持っている相手であれば尚のこと緊張する。総司さんは数日前、「斎藤君もちゃんが嫌いってわけじゃないと思うけどなぁ」とは言っていたけれど、あれ以来会っていなかったから総司さんの考えを払拭することができないままになっていた。

 本当に嫌われている訳ではないのだろうか。二度目に助けてもらった時も、総司さんが来るとすぐに去って行ってしまった。お礼を言ってもあたしの方を見る素振りなど一切見せず、振り返ることもせずまっすぐに。あたしが嫌われていると思って怯んでしまっていたこともあるけれど、こうやって普通に話すことも初めてだ。



「総司がの弟たちの相手をしているのを見たのは一度ではない」
「そう、なんですか?」



 じゃあ弟たちの方が斎藤さんのことを知っているのではないだろうか。相手をしてもらったかどうかは別として、だが。

 見かけたのが一度だけでないというなら、行き先も分かっているはずだ。なのに、あたしを追い抜かずにずっと後ろをついて来ては、あたしが止まれば止まる。総司さんを探しているのもきっとまた副長さんに呼ばれたからだろうし、それなら急いだ方が良いはずなのに、こうしてあたしが言葉を発することもせずにただじっと見つめれば、斎藤さんも今日は逸らさずにあたしを見ている。

 総司さんが言ったことも嘘ではないのかも知れない。それに、いつまでも猜疑心を持って接するのは人として問題だ。そこでふとあたしは、先日総司さんに「嘘だと思ったらちゃんから一君に笑いかけてみなよ」と言われたことを思い出した。



(笑って話しかける、て…)



 それまで失礼な態度をとって来ておいて、いきなり笑いかけると言うのも変な話ではある。だけど本当に嫌われている訳ではないのなら、これ以上こんな態度をとり続けている方が余程失礼に値する。あたしは緊張で高鳴る胸の前でぎゅっと両手を握り締めて、恐る恐る聞いた。



「あの…それならせめて、隣に来て、歩いてもらえません、か?」



 その言葉はとてもぎこちない。しかも段々と声が小さくなって行くせいで、もしかすると聞き取れなかったかも知れない。けれど聞き返された所でもう一回言える勇気はあたしには恐らくない。なぜかと問われた所で上手く説明できるとも思えない。ここはただ一つ、了解を示す言葉だけが欲しい。斎藤さんはなかなか返事をくれないので、気に障っただろうかとか、やっぱり嫌われているのだろうかとか、良くないことばかりがぐるぐると頭の中を巡る。

 そう、別にあたしの横を歩く必要なんてない。急かされているような気になるのであたしの気持ちの問題なだけであって、斎藤さんからすれば何が嫌で好きでもない人間と並んで歩かなければならない、という状況だ。そうしてたっぷり間をとった後、ようやく斎藤さんは口を開いた。



「分かった」
「え?」
「後ろでなければいいのだろう」
「え、ええ…」



 さっき以上に驚いた。すると斎藤さんは、初めてあたしが止まっているのに足を進め、あたしの横に立つ。そして「行かないのか」と言う。「行き、ます…」とやっぱり途切れ途切れな返事をして、あたしも前を向いた。

 もう後ろから足音は聞こえない。だけどやっぱり横に来ても斎藤さんは何も話さなくて、彼はそうでなくてもあたしがなぜか気まずい思いになった。何か話した方がいいのだろうか、でも話すと言っても一体話せばいいのだろう。斎藤さんのことなんて聞いても答えてくれなさそうだし、ああ、それなら二回も助けてもらったお礼を言っておかなければ。

 そんなことを考えていたが、やがて意を決して斎藤さんの方を見て口を開いたその時、既に斎藤さんはあたしの方を見ていた。



「あの…」
「足はもういいのか」
「足?」
「石段から落ちた時、怪我をしただろう」
「…やっぱり気付いていたのですね」
「ああ」



 それで、と斎藤さんは答えを促す。大丈夫です、怪我の治りは早いんです、とぎこちないながら少し笑うと、斎藤さんはまたすっと視線をあたしから前へ移した。…やっぱり変な顔になってしまっていただろうか。見るに堪えないような顔だっただろうか。若干落ち込みながらも、今度はあたしが隣を盗み見る。

 今日は普通に話してくれるし、あたしの方も見てくれる。さっき逸らされたのは、やっぱり何か彼があたしの気に入らない部分があるのだろうか。確かに、以前会った時に怯えながら接していなかった訳ではない。それに対して不快に思われたりするのならまだ分かる。けれど笑った顔も気に食わないということだったら、あたしはずっと斎藤さんの前で無表情でいなければならないことになってしまうではないか。

 どうすればいいだろうかと悩んだけれど、あたしは総司さんの言ってくれたことを信じて、「斎藤さん」と呼びかけてからもう一度、少し笑いかけてみた。



「心配して頂いて、ありがとうございます」
「…いや」



 その声音は変わらない。あたしの方をちらっと見ただけですぐにまた前を向く。ああ、そんなに変な顔だろうか、と落ち込みながらあたしは聞こえないように小さなため息をついた。その矢先、斎藤さんは更に言葉を繋げた。



「何もないなら、それでいい」
「…………」
?」
「え、あ、いえ、…はい、そうですね」



 見間違いだろうか。さっき一瞬、斎藤さんの表情が柔らかくなった気がした。

 そのことに妙に緊張しながら、あたしたちはまた無言で歩を進めた。けれどほんの少しのことだったのにあたしの気持ちは軽くなって、その沈黙はあまり苦にはならない。自然とあたしの頬も緩む。そして時折横から視線を感じてはそっちを見、すぐに逸らされる。そんな目線の追いかけっこをしながら、あと僅かになった目的地への道をあたしは少しゆっくり歩いた。斎藤さんが合わせて歩いてくれるから、惜しくなってしまったみたいだ。

 子どもたちのいる場所へついてみれば、そこには斎藤さんの予想通り総司さんがいて、何か面白いことでもあったのか満面の笑みで立っていた。そして唐突に「良かったね」と言う。あたしになのか、斎藤さんになのか、要領を得られずあたしたちはただ顔を見合わせるだけだった。
























(2010/4/3)