ここの所、ちゃんの様子がなんだか変だった。簡単に言うなら“浮かれている”っていうのかな。珍しく落ち着かない様子だった。彼女の弟たちに聞くと、家でもぼうっとしていることが多いらしくて、けれどどこも病気だとか身体の具合が悪いことはないらしい。だとすれば、心当たりは一つしかない。一君だ。屯所に駆け込んで来た夜…、いや、それよりはもう少し前だろうか。僕が何回か葉っぱをかけてやると、簡単に二人の関係は変わって行った。

 ちゃんは違うだろうけど、一君のアレはきっと一目惚れで間違いないと思う。相手が他の子なら別に放っておいても良かったんだけど、ちゃんのことを考えるとそう言う訳にもいかなかった。彼女は僕にとって妹みたいなもので、できることなら支えてやるとか、守ってやるとかしてあげたいんだけど、そういうのは性に合わない。ちゃんだって未だどこか他人行儀な所があるし、誰か気のおける相手を作った方がいいんじゃないか、と思った所だったのだ。

 一君ならちゃんを悲しませるようなことはしないだろうし、大丈夫だろうとは思ったんだけど、これが思った以上になかなか難しかった。一君はそういうことに疎いもんだから、放っておいたらいつまで経っても行動に出ないどころか、まるで自覚さえしていない状態。お陰でちゃんは一君を怖がったし、僕の後ろに隠れてばかりいた。そんな訳でまずは誤解を解くことから始めたんだけど、これは上手く行った。ちゃんは良い子だし、きっと僕の助言どおりに動いたのだろう。

 そうして上手く行っていると思った矢先、ちゃんの様子がおかしくなった。少し前まで浮かれているようにも見えていたのが、明らかに沈んでいるような雰囲気だったのだ。いつもこうして夕方、彼女の弟たちを迎えに来る時は嬉しそうに笑っているのに、なんだかその笑顔が曇って見えた。



ちゃん、何かあった?」
「い、いえ、何もありませんけど…」
「心ここにあらず、って感じだね。一君に会えなくて寂しいとか?」
「…そうじゃ、なくて」



 赤くなって否定すると思ったのだけれど、予想に反してちゃんは俯いて小さな声で言った。これは明らかに何かあったに違いない。けれどまさか、一君に何か言われた訳じゃないだろう。二週間前くらいから一君とは会っていないようだし、ちゃんがおかしいのはここ二、三日だ。仕事で何か大きな失敗をしたのだろうか。家族に何かあったのであればそういう話は弟たちから聞くし、彼女自身の調子が悪いのなら仕事だって行けないはず。

 全く見当のつかないため、直接探りを入れようとした。けれど頑なにちゃんは口を閉ざす。いつもとは違うどこか弱々しい笑みを浮かべて「大丈夫です」なんて言われても余計心配になるばかりだ。それを分かっているのかいないのか、無理に話題を逸らそうとする。だけどそれを遮って少し強めに「何があったの」と聞いてみた。すると、ぽつりと呟くように零した。



「…私に縁談が来てるんです」
「縁談?」
「店のご主人から、“もうそろそろちゃんも”て。これまでそういう事情は汲んでくれていたんですけど…」
「それってもしかして…」
「はい。あたしが斎藤さんとよく会っていることを懸念して、だと思います」



 京で新選組の評判はお世辞にもいいとは言えない。だから店の主人がちゃんを心配するのも分からなくはない。騙されているだけ、遊ばれているだけだ、とでも言ったのだろう。けれどちゃんは僕に平気で寄って来るし、屯所に駆け込んで来たこともあるくらい新選組に気を許してくれている。結婚さえすれば目も覚めると店の主人は考えたに違いない。

 ちゃんは相手が誰であろうと結婚する気などさらさらないし、今彼女が思う相手は他にいる。けれどお世話になっている店の主人のために結婚の話を受けるかどうか、揺らいでいると言うのだ。



「ご主人のお気持ちは嬉しいですけど、どうしてもそんな気にはなれなくて…」
「だろうね。弟たちのこともあるし」
「いえ、弟たちもまとめて引き取ってくれるって言ってくれているのですが」
「そんな上手い話、逆に怖いね」



 すると、ようやくちゃんは少し笑った。別におかしなことを言ったつもりもないけれど、笑ってくれるならそれでいいか。とりあえず相手がどこの誰かは分からないけど、やっとここまで来たのにちゃんを簡単に差し出す訳にはいかない。…いや、別に僕のものでもなんでもないんだけど。

 ちゃんのことだから、自分の気持ちなんて無視して結婚の話を受けてしまいそうでもある。今の彼女が一番大切なもの、最優先事項は弟たちだ。弟たちにとって利となることであれば、自分のことを後回しにしてでもそれを選択して行くのがちゃんだから。誰にだって譲れない線があるからそれは否定しないけれど、この子はちょっと自分を顧みなさすぎだと思う。もう少し、自分のことを考えてやっても良いと思うし、自分の気持ちに正直になるべきだ。どう見ても一君が好きなのに、二人は互いがそれをひた隠しにして接している気がしてならない。ちゃんが一君と接する上で気にすることと言えばきっと一つなのだろうけど。



ちゃんの好きにしていいと思うよ」
「あたしの好きに?」
「でもちゃんにとっても幸せなことならね。君は何でもかんでも弟たちを考えすぎじゃない?」
「…そう、ですか」
「別に責めてる訳じゃないよ。ただ、弟たちが幸せならちゃんが幸せなように、ちゃんも笑ってないと弟たちも笑えないってこと」



 くしゃ、とちゃんの頭を撫でてやると、みるみるちゃんの目に涙が溜まり、ぽたりぽたりと地面に落ちる。「ほら、泣かない」と言って着物の袖で目元を拭ってやるけれど、どうも泣きやまない。どれだけ溜め込んでいたのだろうと思う。きっと彼女は祖父母にも弱音を吐き出せずに来たのだろう。縁談のことだって恐らく相談せず、自分一人で悩んでいたに違いない。いや、他に相談する相手がいなかったのだろう。しっかりしないと、というのは彼女がよく言っている言葉だ。そうして誰にも言えないまま行ったり来たりを繰り返す内に、ここまで来てしまった。

 きっとこういうことは今回だけではないはずだ。ちゃんの性格を見れば分かる。気丈に振る舞う術を覚えて自分も騙して来たのだと思う。けれどこんな時に限って一君は忙しいし、ここの所ちゃんの支えとなっていたのはなんだかんだ一君みたいだから、相談はできないにしろ会って話せさえすれば少しは違ったのかも知れない。ちゃんの泣いている所なんて初めて見たのだから、よほど悩んでいたのだろう。



ちゃんはどうしたい?結婚するしないじゃなくて、今すぐしたいこと」
「今すぐ?」
「そう、今すぐ」
「………に、」
「ん?」
「斎藤さん、に、会いたいです…っ」



 そうだよね、と返して、またぼろぼろと溢れた涙を拭う。仕事をして、まだ幼い弟たちを養って、大人みたいに振る舞って。けれどこの子はまだ女の子だ。決して一人で全部を抱えられるほど強くもないし、やっぱり誰かが支えてやるべきなんじゃないかと思う。その辺は多分、一君も同じように思っているだろうし、だったら彼にやってもらえばいいだけの話だ。一君が忙しくて出られないなら、動かしやすいちゃんを動かすべきか。



「会わせてあげるよ。斎藤君に会わせてあげる」






* * * * *







 あの時、そう伝えるとようやくちゃんは泣きやんだ。ほら、やっぱり僕じゃ駄目なんだって。そこまで分かっているのになかなかくっつかないんだから、いい加減苛立つのはこっちの方だ。全く、仕掛ける方も楽じゃない。

 僕の提案通り、千鶴ちゃんに会いに屯所に来たちゃん。ここに来る何か口実が欲しかったこっちとしては、ちゃんには悪いけど町で浪士に絡まれたことは絶好の機会だった。律儀な彼女のことだから、前回と同じ理由でここへ来ても不思議ではないし、顔見知りの僕が彼女を引き留めても不思議ではない。そんな計画は上手く行って、一君はちゃんを送って行くと言って二人して屯所の外へ消えた。と、バタバタと騒がしい足音がいくつか聞こえて来た。多分、こんな走り方をするのは平助君と新八さんじゃないかな。



「総司!斎藤が女連れて出て行ったんだが誰だあれは!」
「なんか可愛い感じの女の子だったんだけど!」
「あー…」



 なんか説明するのも面倒だなあ。あんまり僕以外の人に手を出されたくないから、一君が狙ってる子です、なんて言えないし。茶化されたり煽られたりしたらまた振り出しに戻る可能性もある。せっかくここまで進展したのに、僕の努力も水の泡。

 興味津々といった感じで目を輝かせて迫って来る二人。せめて左之さんくらいなら見守ってくれるんだろうけど、平助君と新八さんだと悪い方向にも転びかねないし、一体どう納得させるべきか。…ああ、別に親しいってことを言わなかったら構わないんだった。今日初めてここに来て送って行く所だった、とか。でももし一君が説明することになった時、下手な設定を作ると辻褄がが合わなくなる。逡巡の後、僕は極めて簡潔に説明した。



「この間町で助けた子」



 嘘は言ってない。事実、一君は二度もちゃんを助けている訳だし。

 それでもどこか腑に落ちない様子でこっちを見て来る。そんなに気になるなら本人に聞くのが一番早いんじゃないかな。一君ならあのとおり、上手くかわしながら説明するの上手いし。でもちゃんのこととなると冷静じゃないのは変わらないし、どうだろう。ここはやっぱり僕が上手く説明しておくしかないのだろうか。もう少し踏み込んだ事情の説明が僕から出るのを期待してか、二人はまだそこにいる。例えば他の誰かだったら二人だってここまで騒ぎ立てたりはしないと思う。問題はこれまで浮いた話の一つも出たことがない一君だったということだ。

 僕の言葉を待つ二人の方を向いて、笑って言った。



「要監視、ってとこかな」



 これだって嘘は言ってない。ある意味今は特にちゃんから目を離しちゃいけない。するとなんとなく察したのか、渋々二人は引き下がって行った。後できっと一君は質問攻めに遭うんだろうな、なんて思う。その光景が浮かぶようだ。

 まあそんなことよりも、一君が一体ちゃんにどんな話をして帰って来るのか期待するばかりだ。ちゃんの心を動かせるようなことを言ってくれなければ、このままだとちゃんは結婚と言う選択をしてしまう可能性が大きい。一君と話すことで少しでもちゃんが考え直してくれればいいんだけど。
























(2010/4/18)