そして、ゆるぎなく。
〜戻らない日々を生きた記憶と〜
「起きたか?」 食事もとれなくなって、意識が朦朧とする時間が長くなった。一日で起きている時間の方が少ないくらいだ。声を出そうとしても掠れて殆ど声にならない。よく通るため喧しいと何度も叱られた高い声も、とうとう出なくなってしまった。 目覚めても、ここがどこか分からないことも多い。ティエリアが声をかけてくれても、ティエリアだと分からない時すらある。そんな自分に気付いた時、泣く以外できなかった。突然泣き出すあたしにどうすればいいか分からないティエリア。あたし自身もどうすれば良いか分からなかった。 「…こわいよ」 「ああ」 「こわい、あたし、しにたくない」 初めて口にした言葉。死にたくないという我が儘を、初めてティエリアに訴えた。大丈夫だ、何も怖いものなどないのだと思っていた。けれど、いざ近付くその時を目の前にすると、怖くないなど言えなくなってしまった。怖い、何もかもが怖い。ただ漠然と全てが怖い。この息が止まり、二度とティエリアと言葉を交わせなくなることも、ティエリアを見つめられなくなることも、ティエリアに触れられなくなることも。そして、ティエリアを置いて行くことしかできないという現実に、絶望しか感じない。ひとりは寂しいことだと知っている。おじいちゃん先生も言っていたことだ。なのに、あたしはそんな思いをティエリアにさせてしまうというのか。 泣きじゃくるあたしの頭を、ティエリアはゆっくりと撫でた。大丈夫だ、と言いながら笑ってみせる。 「、君は一人ではない」 「けど…!」 「僕もすぐに追い掛ける」 すぐに追い掛ける―――何を言われているのか、一瞬理解できずにいた。その言葉の指す意味を噛み砕けずにいた。何も言葉を返せずにいると、ティエリアは片手であたしの両目を覆った。 「何も心配することはない。時間には逆らえないだけだ」 「ティエリア…?」 「もう休むといい。きっと目が覚めたら怖くなんてなくなっている」 「じゃあ、大丈夫だね」 「ああ」 「…ねぇ」 「なんだ」 「あたし、幸せよ」 「なら良かった。ほら、おやすみ」 ティエリアの言葉に誘導されるように、目を閉じると眠気が襲って来る。握ってくれている手は温かく、あたしに安堵を齎す。ほっとしたあたしは、すぐにティエリアの手を握っている手の力が抜ける。 そう、次に目が覚めたらきっと何も怖くなくなっているはずだ。目を開けるとそこにティエリアがいて、また「起きたか」と声をかけてくれる。他愛のない会話をし、そうして一日を過ごしまた眠りにつくのだ。何でもない一日の繰り返し、これほど尊いものはないと思いながら、あたしは深い眠りの底に沈んで行った。 *** 「十三時五分ですね」 「……ありがとう、ございました」 いつからか、ここがどこかも分からなくなっていた彼女。いつあの部屋から病院に移ったかすら分からなかったようだ。弱々しいながらも今日まで笑みを絶やさずにいた。もう良いだろう。彼女は十分がんばった。幼い頃から死と隣り合わせで生き、武器を握りながら育った彼女。この細く小さな手で、もう銃を握る必要はないのだ。痛みからも苦しみからも解放された彼女の表情は酷く穏やかだ。さいごのさいごに弱音をようやく吐いたが、こんな顔をしているということは、何の不安もなくいったのだろう。 「よくがんばったな」 まだ暖かい頬。今にも言葉を紡ぎそうな唇。握り返してくれるのではないかと、ぎゅっと握った手に期待をする。けれど彼女はもう目を覚まさない。動くことも、息をすることもない。 自分をこんなにも思ってくれる人とは二度と出会えないだろう。さいごの相手に自分を選んでくれる人も、もう現れないだろう。自分を半分なくしたかのよう喪失感と虚無感に襲われながら、なぜか胸に広がったのは満足感と安心感だった。 「君がいたから僕は生きていられたんだ」 彼女を失えば自分もひとりだ。置いて行かれる覚悟はできていた。もしかすると、などという希望は、彼女と再会した時に消え去ってしまった。だけど彼女の傍にいることを自ら望んだ。さいごまでこの小さな手を握っていることを誓った。ひとりになることに耐え切れず、組織を抜けて彼女の元へ走ったのは自分なのだ。 ひとりに耐えられなかったのは、彼女に出会ったから。彼女がずっと傍にいてくれたから、幸せも、誰かの温もりも優しさも、孤独さえも知ることができた。彼女は何度も「ティエリアがいたから」という言葉を口にしたが、それを言うなら自分も同じだ。彼女がいたから、真っ直ぐ立っていられた。 「失うというのは、思った以上にきついものだな」 返事がないことを分かりつつ、いくつもいくつも問い掛けた。何度も何度も名前を呼んだ。彼女のいないこれからの時間は長いのか、あっという間なのかは知らない。ただ、彼女が思っていたより、自分にも残された時間はそう長くないことを感じている。ただ一つ、その中でまた自分は、繰り返し彼女を思い出し、その度に彼女の名前を呼ぶのだろう。幸せな日々の中にあった、眩しいほどの彼女の笑顔を思い出しながら。 FIN. (2012/11/21) ← |