そして、ゆるぎなく。


〜満ちる幸福で流す涙が浄化する未練〜










 暗殺屋時代に住んでいた家に、いつだったかティエリアと行ったことがあった。南イタリアの中でも治安の悪い、小さな町だった。それでも住めば都、暗殺屋仲間とさえ騙し合いながら生きていた。家も古く小さく、決して綺麗とは言えなかったが生活するのに不便ではなかったため、文句も不満もなかった。食べるものと寝る家がある私は、余程恵まれていたと思う。

「まだ電気も水も使えるのか」
「家賃も払ってるからね。掃除も信頼できる人に頼んでいるし…」

 もうずっと使われていないけれど、いつでも使えるように整えられた部屋。それを見てあたしを抱えるティエリアは、不思議そうな顔をした。なぜそこまで、と。

 確かにこの部屋に大した思い出はない。任務で死にかけて帰って来たり、無茶な依頼の連続で帰って来たり、仕事に関わる記憶ばかりだ。平和とは掛け離れた生活の中心が、ここにはあった。あたしの人生なんてそんなものだと覚悟はしていたし、それ以上を望んではいなかった。暗殺屋は死んでも暗殺屋、それはロックオンも同じなのだ。そんな暗殺屋に家など必要ないのかも知れない。帰る家を持っていることは、もし尾行された時に逆に危険だ。けれど、それでも。

「あたしだけの巣が、欲しかったのかも知れない」
「…そうか」
「捨てる機会は何度もあったの。でもソレスタルビーイングにスカウトされた時が、最後の機会だった」

 愛着なのか、執着なのか、手放せなかった。もしかしたらという可能性を考えると、捨てられなかった。それでもずっと過ごしてきた部屋だ、最後の最後に戻って来るなら、あたしにはここなのだと思った。

 まだ残されているテーブルと椅子はあの頃のまま。色褪せてはいるが埃一つ被っていない。あたしを椅子に座らせると、ティエリアは部屋の中を改めてぐるりと見回した。

「変わらないな」
「うん」
「以前ここへ来た時、は怪我をしていた」
「懐かしいね、まだティエリアに嫌われていた時だ」

 地上任務だったか、休暇だったか、ティエリアと南イタリアに降りた時、あたしは昔の暗殺屋仲間に殺されかけた。命からがら逃げ帰り、ティエリアには色々と面倒をかけた覚えがある。殆ど怪我も治り、せっかくだからとこの部屋に立ち寄ったのだ。あの時はまだもう少し、家具も生活用品も置いていた。ソレスタルビーイングを辞めてからも、稀にここへ来ては少しずつ片付けていた。あたしは、あたしがこうなることを知らない内に悟っていたのかも知れない。

「ここに帰って来たいと思うか」
「もう、他へ行く力もないもの」

 思い出として残っている場所には、もう思う存分訪れた。おじいちゃん先生と一緒に、ソレスタルビーイングを抜けてからあちこち回ったのだ。ティエリアたちと地上滞在した場所、休暇でフェルトたちと立ち寄った街、私がスカウトされたストリート、初めて宇宙に上がる時に刹那と落ち合った場所。先生が奥さんと出会った国や、奥さんのお墓参りもした。その隣に、先生のお墓を建てた。そして最後にここへ戻って戻って来た。私が最も長く暮らした町だ。ティエリアと二人で来られたことは、何にも変えがたい奇跡とさえ思う。

 家電は何一つなく、テーブルと椅子、ベッド、そして小さな食器棚が置かれているだけの部屋。ティエリアはひとしきり部屋を見終わると、あたしの方を振り返った。

「ここに住もう」
「え…?」
「君の巣なのだろう」
「で…でも、そんな急に」
「ここで、二人でさいごまで過ごそう」

 膝をつき、あたしの手をとるティエリア。信じられない言葉だった。あたしの傍にいてくれるというだけで夢のようなのに、一緒に暮らしてくれるなんて有り得ないと思っていた。こんな穏やかに、限りある未来の話をできる日が来るなど、誰が想像しただろう。戦争の真っ只中にいたあたしが、まさか。

「いいの…?」
「限界はあるだろう、けれどそれまでは」
「嬉しい」

 ティエリアの手に自分の手を重ねる。涙が一粒落ちて、スカートに小さなしみを作った。

 どんな宝石よりも、どんな名誉よりも、どんな賞金よりも嬉しい。時は金銭に変えられない。彼と二人で過ごす時間が余りにも少なかったあたしは、それを何よりも望んでいた。静かに、穏やかに過ごせる時間を、場所を。今、決して満たされた身体ではないけれど、この日のためにこんな身体になっても生かされていたのなら、神様という存在を信じてもいいとさえ思った。















(2012/11/18)