そして、ゆるぎなく。


〜信じ続けた太陽の所在は永劫不明〜










 戦況が悪いのは誰もが分かっていた。それでも諦めなかったのは信じていたから。他の誰でもない、自分たちを。どれだけ負傷しても、どれだけ寝ずの日々が続いても、欠けることがない自分たちを信じていたから。目的を為し終えるまできっと誰も欠けずにいると、誰よりも死に近い場所にいるあたしたちは愚かにも信じていた。

 別れなんて、死なんて突然だ。隣り合わせどころか、ともすれば身体ごと、心ごと持って行かれてしまう。もうすぐそこで死はあたしたちの手を引かんとしているのだ。最早、誰が最初に引きずられるかという確率は、全員が平等に持っている。それでも頑なに信じた。曲げられなかった。最初は馬鹿にした戦争根絶、恒久平和。そんなものあるはずないと鼻で笑った。こんなことに命を懸けていられるかと、本気で思っていた。

 それがどうだろう。今は達成できないと鼻で笑う人こそを鼻で笑う。いつしかあたしの『こころ』とやらにはプトレマイオスの皆が深く深く根付いていたのだ。けれど忘れていた。あたしは欲しいと思えば思うほど、守りたいと思えば思うほど、それができなくなる人間だと言うことを。手を伸ばせば離れて行く、掴んだと思えば崩れて行く。これまでずっとその繰り返しだった。今も、また。


「ロックオンが、死んだ」


 声も反響しない狭い部屋。電気もつけないまま、扉に背を預けて私は呟いた。実感の湧かない仲間の死、何度それを呟こうと信じることなんて到底できない。なぜ出撃したの、あんな負傷しておいて、なぜ。いや、皆であたしを騙そうとしているのではないか、嘘をついて、本当はロックオンは死んでなどいなくて、そして――。

 ありもしない考えがぐるぐると頭の中を回る。誰もが傷付いた、いや、傷付いている。涙を流したり、八つ当たりしたり、怒りを隠しきれなかったり、その表現は様々だけれど、傷付いているのだ。あたしはどうだ。これ以上ないほどに冷静になってはいないか。これからの戦闘はどうすればいい、一人欠けた分は誰が補う、疑似太陽炉を積んだ機体があれだけいて、本物とはいえ四機しかないこちらはどうすればいい、…そんなことばかりを考えてしまう。


(……あたしは薄情だ)


 ロックオンのために泣くことも、当たり散らすこともできない。あたしが死なないために、残っている皆が死なないためにどうすればいい、そればかりを考えてやまない。立ち止まっていてはいけない、感傷に浸っている暇などない、それだって正論だ。けれどあたしたちは心のないロボットではない。死を嘆くことができないあたしの心は正常に機能していないのではないかとさえ思う。だってそうだろう、あれだけ一緒に過ごして、衝突があれば笑い合うこともあった。最期まで分からないことや知らないこともあったけれど、そんなこと気にならないくらい深い所であたしたちは繋がっていた。…繋がっているはずだった。


(アーデは、自分を責めるかな。…いや、八つ当たりでもしてそうだな)


 こんな時まで、あたしはもうティエリア・アーデの顔が最初に浮かぶ。上を向いて、そして俯いて、ゆっくり息を吐き出す。これ以上ないほどに落ち着いている心臓、呼吸、そして気持ち。今のあたしなら、どれだけ残酷にも、冷徹にもなれる気がした。


(なんだ、落ち着いてないじゃん、あたしってば)


 冷えた狂気に苛まれる。もしも今、出撃命令が下されたなら、敵を殲滅させられる自信があると思った。それこそ何の見境もなく、血の海にできる自信が。怒り、後悔、悲しみ、憎悪、沸々と湧きあがるそれらは、激情ではなく冷静さの仮面を被っている。落ち着いているように見せかけて、ここにいる誰よりもいますぐ戦場へと飛び出して行きたくなる。あたしたちを退けて歓喜に沸いているであろう敵を、一瞬で悲しみの渦に巻き込ませてやりたいと、そう思う。それは間違いなく、暗殺屋時代のあたし。耳元で囁くのだ、「殺してしまえ」と。

 違う、それではソレスタルビーイングの理念に背く。罪もない人たちを殺めるテロリストと変わりがない。いや、一般市民からすれば、あたしたちも立派なテロリストなのだろうが。結局同じなのだ、何か譲れない目的があり、信念があり、それに従って戦いを起こす。あたしたちの仕掛けた戦いでだって、一般市民に何の害もなかったわけではない。

 あたしだって、もう塗り替えることのできない立派な犯罪者。もうずっと昔から犯罪者の色はしみ込んでいて、どうやったって落とすことはできない。


(アーデに会いたい)


 顔を覆った手を離し、徐に扉に手を掛ける。もう何度向かったか分からないアーデの自室。そこを目指してふわふわと身体は漂う。思考も覚束ない、今は何を考えたって駄目だ。正常な考えができる気がしない。それどころか、一人でいろいろ考えていたらおかしくなりそうだ。スメラギさんの考えも無視して、一人でここを飛び出してしまいそう。誰かに抑えていて欲しい、あたしが馬鹿な真似をしないように。

 辿り着いたアーデの自室、けれどこの中に入ることは許されるのだろうか。アーデだって落ち着いてなどいないはず。むしろあたしより混乱しているだろう。それなのに、アーデに縋ることは許されるのだろうか、今更。けれど扉の前で立ちすくむあたしの躊躇いを断ち切るかのように、扉は勝手に開いた。その向こうにいたのは当然だけれど部屋の主。虚ろな目だ、随分酷い顔をしている。



「な、なに…」
「誰を責めれば良い」
「責める…?」
「無茶をしたロックオンか、間に合わなかった刹那か、バックアップの欠陥を見落としたクリスティナとフェルトか、戦術を誤ったスメラギ・李・ノリエガか、それとも…」
「アーデ、」
「僕か」


 表情もなく告げる。今のアーデはきっと、本気で他者のせいになどしない。一時の感情で刹那に八つ当たりしたのかも知れない、けれどそれも反省しているのだろう。「僕か」と言った声は、微かに震えていた。自分のせいにして、抱え込まんとしている寸前だ。…だめ、そんなことは絶対にさせない。


「誰でもない、誰でもないんだよ」


 アーデを見た瞬間、すっと引いて行くあたしの狂気。殺してしまえと甘く囁く暗殺屋はどこかへ消えた。怒りも全て鎮火する。代わりに膨れ上がるのは、目の前で弱るこのひとを抱き締めてやりたい、と思う気持ち。時間を巻き戻すことができなければ、ロックオンを取り戻すことだってできない。それどころか、アーデのために気の利く言葉の一つもかけてやれない。

 だけど、今ここにいるアーデに、どうしても手を伸ばしたかった。どうしようもなく抱き締めたかった。抱き締めて離したくなかった。この気持ちを何と言うのかなんてあたしには分からない。名前などないのかも知れない。愛しい、なんて可愛らしい感情ではないかも知れない。それでも、狂気と入れ替わったこの気持ちの源は、先生やここにいる人たちに貰った優しさだ。今のあたしは、こんなアーデを見て嘲笑したりなどしない。


「誰かを恨みたいなら、せっちゃんでも、クリスでも、フェルトでも、スメラギさんでもなく、あたしを恨んで」


 言ってることは無茶苦茶なのかも知れない。少なくとも、この件であたしは恨まれるようなことも、責められるようなこともしていない。誰もが原因を負おうとも、決定打にはなり得ない。けれど誰かになすりつけることでアーデがアーデ自身を責めずに済むのなら、それがいいと思った。正しいかどうかなんて知らない。あたしはいつも過ちだらけだったから。けれどどうかアーデに自分を責めないで欲しいと思う気持ちに間違いなどないのだと、それだけは胸を張って言えるような気がした。















(2011/1/22)