先生へ。お元気ですか?こうやって改めてメールをするのは何だか恥ずかしいけれど。足の調子はとてもいいです。トレミーの皆もとてもよくしてくれます。今日はとりあえず、そんなことを言いたいんじゃなくて。あたしね、先生の言ってたことが少しだけ分かった気がするんだ。自分と素直に向き合ったら、周りが少しだけ見えた気がする。自分に興味を持ったら、周りの人たちのことも気になって来たかな。先生、ありがとね。今度そっちへ行く時は、




 そこまでメールを打って、あたしは手を止めた。ティエリアもつれて行くね、なんて打とうとしたのだけれど、余りにも不自然だ。あたしはその一行を消して、「次に会えるのを楽しみにしています」と打ち直して送信ボタンを押した。











そして、ゆるぎなく。


〜この先にある道は分かれても〜











 気付けば追い詰められていた。必死に逃げたにも拘らず壁にどん、と背中がぶつかった。言っておくがここは戦場ではない。しかもあたしを追い詰めているのは味方であるはずのティエリア・アーデだ。「もう逃げ場ない」とでも言いたげな目でこちらを見下ろす。生唾を飲み込んで彼の次の言葉を待った。


「冗談なんかではないと言ったはずだ」
「…そうですねぇ…」


 掻い摘んで離せば、つい先程あたしは目の前の人物に告白されてしまった。いや、トレミーに来てからの自分の行いを振り返ってみると、あたしの一体何が彼に引っ掛かったのかは甚だ謎だ。むしろ嫌われる要素しか持っていない気がする。いくら地上でのことがあったとはいえ、恋愛関係に発展するだろうか、あの、あたしとティエリア・アーデが。

 なんと答えればいいのか分からず、「あー」「うー」「えー」と漏らしてばかりいるあたし。そんなあたしの様子を見てティエリア・アーデは盛大な溜め息をついた。いや、それならなぜあたしに告白なんてしたのかと問いたい。あたしがこうやって動揺する以外の反応なんて想定外だったのだろうか。先生の言ってた“人を愛すること”だって、もっと広い意味であって、決してあたしはティエリア・アーデをそういう対象として見ていた訳ではない。家族愛とか、親愛の情だとか、そういう意味も含めて見ていたのだ。


「え、えと、えーと、えーーーと!」
「馬鹿か君は」
「だだだってそんなの、どうやって返事すればいいかなんて、あたし知らないし!」
「…簡単だろう、そんなこと」


 すっかり俯いてしまったあたしの顎を掴んだかと思えば、ぐいっと顔を上げさせた。眼鏡のレンズのその向こうには、いつもと同じ真剣そのものな目が見える。あたしは何度も瞬きをしてその目を見つめたけれど、答えを求めているその眼は揺るがない。段々と恥ずかしくなって来たけれど、目を逸らさせないだけの力を持っている。それでもまだ答えかねていると、ティエリア・アーデは静かに言う。「イェスかノーのどちらかだ」と。

 どきん、とまた心臓が大きく跳ねた。この人は今すぐに答えを求めている。先延ばしはできない、誤魔化しも利かない、嘘はもっと許されない。彼はいつの間にかあたしよりも何歩も先に進んでいたのだと、置いてきぼりを食らったような気にもなってしまった。


「…あたしは、まだそういうの、よく分からないよ」
「ああ」
「自分以外を好きになる前に自分のこともよく分からないし」
「分からなくてもこれから分かって行けばいいだけの話だろう」
「ねえ、それってアーデが想像しているよりずっと時間のかかることかもよ?」


 段々と言い訳がましくなって来る。けれどティエリア・アーデは「分かっている」と答えた。あたしから一歩も引こうとしない。逃げも隠れもさせないつもりだ。曖昧なことを嫌うのは知っていたけれど、こうも性急に求められると困ってしまう。ノーだと簡単に答えられないあたしもどうかしてる。たった一言なら言ってしまえばいい。それを言わせないのはあたしの中の何なのだろう。この人への興味か、関心か、好奇心か、期待か。

 駄目だ、そういう難しいことを考えるのにはあたしの頭は向いていない。イェスかノーか、つまりは好きか嫌いかという至ってシンプルなものだろう。けれど、とあたしはまた止まる。嫌いか、と言われれば嫌いではないのだろう。じゃあ好きなのかと言われれば、そうでもない。でも目の前の彼はそんな真ん中の答えなど欲していない。両極端なのだ。それならあたしはどっちをとればいいのだろう。できれば不和な空気は流したくない。これからも共に戦って行くのだから、良好な関係ではありたい。そう思えば、あたしが答えるべき返事は一つなのだろう。

 それでもまだ躊躇っていると、あたしを抱き寄せた。地上で抱き締められた時とはまるで違う、弱々しいとも言えるほどの力で。居場所をなくして宙を掻いたあたしの手を、彼の背中に恐る恐る回す。すると今度こそぎゅっと抱き締められた。彼なりに何か遠慮でもしていたのだろうか。そしてあたしは、訊かれているにも拘らず訊き返した。


「アーデは、先生の言ってたことの意味は分かったの?」
「なんとなく分かった」
「…そっか」


 やっぱりあたしの方が進歩は少ないらしい。競うようなことでも何でもないけれど、トレミー内の人間関係としてもいろいろと変わって来ていて、各々が成長もして行っている今、あたしだけその幅が少ないとなればどうしても焦ってしまう。だからと言って見捨てて行くような人たちじゃないけれど、だからこそ自分の劣等をつきつけられている気がしてならない。こうしていつもあたしは悲劇の主人公ぶって来ていたのかと、自分を見つめ直してようやく気付く。どれだけつまらない生き方をして来ていたのかもよく分かった。

 黙り込んでしまったあたしに、「あの医師は」と改めて切り出すティエリア・アーデ。そっと腕を解くと、今度はぴたりとあたしの頬に手を添えた。


「あの医師は、必要なものだけが大切なものじゃないと言った。その意味をずっと考えていたが、地上での戦意が喪失しかけているのを見て気付いたんだ」
「どういうこと」
「確かにマイスターとして君は必要な戦力だ。合同軍事演習以来、こちらの情勢はかなり厳しい。けれど、君が戦えなくなったとしても僕が君を大切なのは変わらないと思った」
「どういう状況ですかソレ」
「君がもしガンダムを降りる、と言った時のような状況だ」


 とんでもない想像をしてくれる。生憎今の所そのような予定もないのだけれど。一応、ここには残ると決めたわけだし、そもそも「もう離さない」「離さないで」と言うような(脚色はあるけれど)やり取りをしたのだから、怪我や大病でも患わない限りティエリア・アーデの仮定する自体には陥るはずがない。どこか飛んだ発想をする彼が面白くて、当然彼は大真面目なのだろうけど、つい笑ってしまった。


、」
「ご、ごめんごめん!あの、でもとりあえず、あたしがアーデを嫌いになることはないと思うなぁ」
「それは…」
「イェス、て、ことで」


 答えれば、めいいっぱいの力で抱き締められる。苦しいくらい、息が詰まるくらい。彼なりの嬉しさの表現なのだろうが、少々これは命懸けだ。

 恐らく、だ。これから先あたしがいろいろなことを覚えていって、ティエリア・アーデと同じように前へ進んで行った時に、あたしはきっとこの人に居て欲しいと思うだろう。それがどんな形であれ、覚えて行く一つ一つを、知って行く一つ一つを、この人の見ている所で拾って行きたい。…そんな風に思うのではないだろうかと思った。まだ自己の推測ではあるけれど、きっとそれはロックオンよりも、アレルヤよりも、刹那よりも、クリスよりも、誰よりもティエリア・アーデに対して思うのではないだろうか。

 例えば、もうすぐそこに別々の道が用意されていたとしても、どこにいたとしても、どんな姿になっても。
















(2010/4/11)