もっと冷たく囁いて!


〜ドMは夢見心地〜










 一応言っておくが、も一応女である。生物学上、紛うことなき女である。何度も繰り返すが、一応恋もしている女である。だからなのか何なのか、最近やたら彼女は恋愛小説や恋愛ドラマを見る。それを見てはうっとりとした表情で溜め息をつくのだ。見終わって暫くは夢見心地に浸っている彼女を現実に引き戻せるとしたら、それは彼女の恋人であるティエリア・アーデしかいない。しかし、今回の見た作品はよほど彼女のツボにヒットしたらしく、ティエリアでも彼女を正気に戻らせるのには手こずっていた。


「ふへへ、ふへへへへ…」
「その怪しい笑い方をやめろと何度言えば分かるんだ」
「そんなこと言われても、ふふ、ふへへ…」


 まるで使い物にならないの首根っこを乱暴に掴んでずるずると引き摺るも、全く効果がない。こんなにもティエリアに興味を示さないも珍しいものだ。明日は空からガンダムでも降って来るかも知れない。…刹那は喜ぶだろうが。

 とりあえず、さっきまで読んでいた恋愛小説を思い出しては奇妙な笑い声を発しているをどうにかしないことには、何か起こった時には大変だ。シミュレーションでもやらせて気合を入れさせるか―――そう思いティエリアはを引き摺っているのだが(途中何度も壁にをぶつけている)、一向に醒める気配はない。


「大体、恋愛小説なんてどこがいいんだ。結局は作りものだろう」
「作りものだから美しいんだよう!ベタなシチュエーション、ベタな台詞、ベタな展開…でも!そこが!いいぐぁっ!」


 力説する彼女の頭をまた壁にぶつけてしまった。流石に痛いらしく、呻きながら頭を押さえる。


「そんなものに酔う貴様の頭が分からない」
「分かる努力を所望します!」
「俺に理解できるレベルにまで到達したら考えてやらなくもないが今の貴様には到底無理だ」
「同じ感動を分かち合いたいだけなのにぃー」
、なぜ俺が低脳な貴様に合わせなければならない?頭の中身を入れ替えて出直すんだな」


 ふん、と鼻で笑うとを突き飛ばす。するとは期待を裏切らず、見事なほど前に転んで床と額が衝突し、その瞬間なんだかとても嫌な音がした。しかしなかなか起き上がらないに、さすがに痛かったかと声を掛けようとしたその時、微動だにしなかっただった塊がむくりと起き上がる。そして「ふふふふふふふ…」と地を這うような声を上げてゆっくりとティエリアを振り返る。何かを企むような彼女の顔を見て、ティエリアは一瞬でもを心配したことを後悔した。


「良いでしょうアーデにも分かるように説明してあげるよ!」
「喧しい。そんなことを頼んだ覚えはない」
「時は二十一世紀…」
「聞くつもりはないと言っているだろう」
「街の外れの小さなカフェの店員をしているヒロイン、そこへ足しげく通っていた男はこう言った」
「貴様は俺の言葉が理解できないほどに頭が詰まっていなかったか?」


 ティエリアが銃に手をかけたのを見て、で慌てるが「ちょちょちょっと待ってここからが良い所だから!」などとティエリアの神経を逆撫でするようなことを言う。完全にティエリアの言葉を無視したには、もう銃のセーフティが外れたことも分からないようだ。は構わず両手をぎゅっと組んでどこか遠くをうっとりとした目で見つめながら(或いは現実には見えていない何かを見つめながら)、彼女いわく「良い所」を続けた。


「注文は何かと訊ねたヒロインに、男はこう言ってヒロインを口説くのです。“ジェルヴェーズ、君をテイクアウトでお願いしたい”…」


 ティエリアにとって、ここは一瞬にして北極となった。何百年前の口説き文句だと言いたくなるほど、そして身の毛もよだつほど気色の悪い台詞には最早コメントすらない。大体、そんなもの結局は作り話ではないか。そんなものに彼女はときめいているのかと思うと、何か腹立たしく感じる。段々と、先程までとは違う苛立ちがティエリアの頭を占めた。彼女が興味を示すこの世の恋愛小説を悉く抹消してやりたい。それが無理なら彼女の持っているものだけでいい。だが、そうすればは悲嘆に暮れるだろう。ティエリアは常日頃からを罵ったり厳しく扱ったりしているが、何も彼女の悲しむ顔や絶望した顔を見たい訳ではない。それはまた別の話なのだ。ティエリアには好意を寄せる相手を悲しませる趣味はない。だが、しかしやはり面白くない。


「君はそんな幼稚な誘い文句に乗ると言うのか」
「滅相もございません!本の中の話だよう!夢くらい私だって見るよ!」
「なら夢を現実にしてやろうか」


 との距離を詰めると、ティエリアは彼女の髪を一房掴む。ぐいっと一度きつく引っ張れば、「痛い!」と叫ぶ声。次に優しく梳き、そのまま顔の輪郭を確かめるみたいに撫でた。


、恋愛小説なんかに目移りする暇があるなら俺のことでも考えていろ」
「っえ、あ、あ、う…っ!?」
「返事をしろ、でないとその口を塞ぐ」
「…返事しなくていいですか」
「却下」


 不敵に笑ったティエリアは、一度にデコピンを喰らわせた後、同じ個所に一瞬だけ口接けた。

 が望む以上のシチュエーションをいくらでも用意できるティエリアがいることを再度思い知り、その日の夜にはの部屋からは恋愛小説が全て消えていた。どうやらクリスとフェルトの部屋へ引っ越したらしい(押し付けたとも言う)。
















(2012/4/2)

(アーデがいれば…こんなもの要らないや…ふへへ…)
(ええそうねそうでしょうともそれなら捨てなさいよ!)
(いやでも話はとても良いからまあアーデには負けるけど)
(すっごく有難迷惑よ!!)