――目を疑った。その後ろ姿は間違いなくのものだった。背丈にしても、髪にしても、服にしても。少し背伸びをして顔を上げ、向かい合ってるのはティエリアだ。ティエリアは少しだけ身を屈め、の肩に手を置いている。 (嘘だろ…) 紛れもないキスシーン。普段あれだけ煙たがってるに、ティエリアがキスをしているのだ。事故でも何でもない、合意の上でだろう。 その時、ティエリアがこちらに気付いてしまった。途端、不機嫌そうに「失せろ」とでも言いたげな視線を送って来る。 おいおい人に見つかるような所でいちゃついといてそれはねえだろ。 そう思ったが、こちらがその場を離れるより先に、すぐ脇の空き部屋にの手を引いて入って行ってしまった。何かがぶつかる音と共に「きゃ!」というの声。次に聞こえたのは低いティエリアの、 「何をしている」 「ぎゃっ!」 「何をしていると聞いている!五秒以内に二十文字以上二十五文字以内で分かりやすく簡潔に説明しろ!」 「何もしてないです何もしてないです!」 「四文字足りん!」 えええ突っ込む所そこかよー…と見て見ぬ振りをしながらトレミークルーたちは心の中でツッコミを入れた。
もっと冷たく囁いて! 大体、これまでティエリアにバレなかったこと自体が奇跡だったのだ。知られたらどうなるかなど考えなくても分かるはずなのに、どうしてか彼女は自ら地雷を仕掛けたがる。 はそう、趣味が所謂小説を書くことだった。もちろんプロではなく趣味の範囲であり、個人的にネット上で公開しているだけなのだが。 それがなかなかの評判らしく、あれよあれよとクリスやフェルトに広まり、最近になってロックオンたちにもバレてしまった。スメラギに知られてしまうのとティエリアに知られてしまうのとどっちが先か、なんて話にもなっていたが、数日差でティエリアの方が遅かった。いや、スメラギにはクリスから自己申告するように言われていたのだ(マイスターの個人情報に関わることなのだから)。しかしの小説にはガンダムが出て来ることがなければ、プトレマイオスが出て来るわけでもない。「まあそれじゃあ仕方ないわね」とあっさり許可も下り、は執筆を続けられることとなったのだった。今では彼女らも読者の一人であり、トレミーでそれを知らないのもティエリアくらいになっていた。 「だからと言って人の名前を、あまつさえ貴様の相手役に勝手に使っていいと思っているのか?」 「そっか!本人にも許可をとれば良かったのね!」 「俺が許可を出すとでも?」 「そこはほら、アーデ様のご慈悲で」 「・。俺にはそのメモリースティックを破壊する権利がある」 「それは悪行よ!」 「喧しい!」 ピシャリと言い放つ。スメラギを真似て言ってみたのだが、冗談は通じなかったらしい。「酷いわ…」と、しなをつくって泣いて見せたが、思いっきり椅子を蹴られただけだった。臀部に走る衝撃。 「痛い!尻が痛いよ!」 「貴様に文句を言う資格があるか!」 お得意の銃を取り出し、の額へ銃口を突き付ける。一方は、パソコンとメモリースティックだけは壊されては堪らないと、銃を向けられた瞬間にぎゅっと抱き抱えたのだった。優先順位が違うだろう、と誰もが呆れたが、そんなことが気付く訳がない。 「そんなにも大切か」 「あっでもアーデかデータかって言われたらア」 パァン!という音と共に弾がの頬を掠め、テーブルに穴を空けた。はらりと落ちるのは数本の細くまっすぐな髪の毛。のものだ。さすがにこれには周囲も黙っておらず、真っ先にロックオンが駆け寄って来た。 「ティエリア、銃を降ろせ!ももう止めるんだ!ティエリアが嫌がってるだろ!」 「嫌がる?そんなレベルの話ではありません。口で言って分からないなら、分かる手段で叩き込ませるだけだ」 「え…っ」 だからなぜそこでときめく! 僅かに頬を赤らめる。最早彼女の思考回路について行ける者はこの艦にはいなかった。まず、ティエリアにバレて困るようなこと(小説の執筆)をわざわざ食堂でするなど、気付いてくれと言っているようなものなのだ。その場にいたトレミークルーたちは全員そう思っていたのだが、そこはそれ、である。むしろティエリアにバレることを望んで、いや、バレた時に叱って欲しくてやったのではないかと思う。なら有り得ないこともないのだ。 そして、そんなにいちいち付き合ってやってるのはティエリアくらいであるとは、本人はまだ気付いてない。生真面目なのも困ったものであった。 * * * * * 一方、経済特区東京、沙慈・クロスロードの部屋には刹那が呼ばれていた。 「ルイス、最近熱心に読んでるようだけど、それ何?」 携帯を嬉しそうに見つめ、スクロールして行くルイスに、食事を運びながら沙慈は尋ねた。 「今一番人気のウェブ小説よ。素人ながら構成から何から女の子の心鷲掴みって感じなの!同い年くらいの人が書いたなんて信じられない。は〜、私もこんな恋愛してみたーい」 ルイスの言葉に「へぇ」と苦笑するしかない。 多くの女の子というのは、得てして恋愛小説が好きだ。ヒロインに自分を投影して話を楽しむ。小説の中で自分も恋をしているような気分になるのだそうだ。だが刹那は一ミリの興味も沸かず流し聞きしていたのだが、ルイスはあらすじページを開き、つまりもせずペラペラと朗読し始めた。 「“大企業の社長の娘、は高校生。なんの不自由もない生活をしていたのだが、ある日突然父の会社が倒産。そんな父の会社を潰したライバル企業から、会社建て直しの交換条件を出される。それはの父の会社のライバル会社の社長の息子との結婚。そこへ担任が救いの手を差し伸べてくれるものの、逆に彼からも求婚されたり…。の平穏な学生生活はどこへ?そして最後に彼女が選ぶ相手とは!?”」 「へ、へぇ、すごくモテモテだね…」 フォークをとろうろした手を止める刹那。ストーリーに突っ込む沙慈とは違い、というものすごく聞き覚えのある名前に、刹那の頭を嫌な予感が占めた。 「最終的には?」 「まだ完結してないわよ。いつも仕事を押し付けて来る超毒舌生徒会長に告白された所で止まってるの!会長がへの恋愛感情に気付いてからの展開がもうドラマチックでぇ…」 「名前は」 「え?」 「その生徒会長の、名前は」 今まで口を挟まなかった刹那が突如会話に参加して来てルイスは一瞬戸惑う。が、沙慈が腕を小突いて来たことによって我に返り、携帯の画面に視線を戻した。何度も繰り返し読んだその小説。登場人物の名前などもう覚えてはいるが、画面を見て確認してから言った。 「え、えーと、ティエリアよ。ティエリア・アーデ」 予想通り過ぎる返答に、刹那は何と言えばいいか分からず。 「用事ができた」 そう言って端末を手に自室に戻った。 なんとなく噂には聞いていた、のウェブ小説。ロックオンやクリスが、にも困ったものだ、などと頭を抱えていたのである。生憎興味が湧かなかったので検索する気もなかったのだが、そういうことだったのか。 刹那は初めて自分から業務連絡以外でに通信を繋いだ。 『はいはい、ですけども。あれ、刹那から通信なんて珍しいね』 「・、聞きたいことがある」 『何かな少年?』 「本当だったのか、ウェブ小説を書いているというのは」 『うわあ、刹那まで読んでんの!?』 「違う。日本でもは有名だ。よくティエリアが許した…」 『まさかあ。無断使用よ無断使用』 「…………」 『てか、何?私てばそんなに知られてんの?別に読みたかったら刹那も読んでいいよ。アドレス送る?』 「…いや、いい」 あ、そ。 なんでもない風にそう返事され、用はそれだけだ、と言って一方的に通信を切った。嫌な予感がする。犠牲者はティエリアだけではない、そんな予感だった。 (2009/2/14 若干の願望は入ってんだけどね!) (いやあ、あんまいい名前浮かばなかったもんだから) (しかもちゃっかり自分は主人公だなんて…) (性格なんて似ても似つかないんだから別人ですよ?) (ヴェーダに推奨された、なんて嘘ついてまで書きたいの?) (嘘じゃありませんよスメラギさん!夢の中で推奨されました!) (………………………) ← |