「じゃあ行って来る」
「う、うん!気を付けてね!」


 コクピットに入るティエリアを、通信機越しにどこかまだぎこちないような笑顔で手を振って見送る。「タイミングをヴァーチェに譲渡します」「了解」という、トレミー内に響くいつものフェルトとティエリアのやりとりを聞きながら、ようやく切られた通信機を放り出す。


「ふう……………くあああぁぁああああぁああああっ!!」


 恋人ができたばかりとは思えないような憂い顔と溜め息の後、は盛大な叫び声を上げたのだった。











もっと冷たく囁いて!


〜ドMは微糖派〜











 そもそも、冷たい言葉や罵り、罵倒、冷たい視線や鋭い睨みはもちろんのこと、殴る蹴るが日常茶飯事と化していたあたしにとって今のこの甘やかし具合と言うのはとてつもなく違和感を感じると共に、どこか刺激が足りないとさえ感じてしまうのである。

 まるでやけ酒の如く水を一気に飲み干すと、目の前の少女、はとんでもない勢いでそう捲し立てた。これがいわゆるマシンガントークか、などと若干感心しながらも、の言ってる意味が分からず保護者的な(から言わせればこそが保護者らしいが)存在であるロックオンは「ははは」と乾いた笑いを漏らす。


「むず痒いんですよ!これは有り得ない訳ですよこれまでのあたしの人生経験としては!」
「でも誰だって優しくされると嬉しいもんだろ?」
「嬉しくない…ことはないんですけど」
「けど?」
「あたしとしては、以前のように遠慮も容赦もなく“またシミュレーションの結果が悪い本当にやる気あるのか変態女”とか言われる方がどきどきす、」
「それティエリアには言うなよ?」


 これまでがどんな人生を送って来たかなど想像もつかないが、今ある幸せを素直に享受できないというのは少し問題なのではないだろうか。幸せの定義は人それぞれであっても、こうされると嬉しい、とかこうしている時が幸せ、というのはおおよその人間が似ている。温かさと優しさ。それは幸せに必要不可欠な要素であるはずなのだが、どうやらは大いにずれているらしい。

 らしい、なんて言葉で片付けていいことなのだろうか。誰か、この少女に教えてやらなければならないのではないだろうか。いくらが自らドMを自称していても、これではティエリアも報われないし、お互い好き同士のはずなのに見事にすれ違っている。世間一般の恋人とは程遠い。

 しかし、ティエリアなど色恋沙汰には一番疎いように見えたのに、の方が重症のようだ。もしかして、今彼女がこんな事態に陥っているのは、恋愛というものに疎いからなのだろうか。くらいの年齢なら、これまで恋の一つや二つ経験していてもおかしくはなさそうだが、残念ながらそのような話は聞いたこともないし、正直の後ろに男の影など想像できない。


(いや、待てよ…)


 もしこれまでに恋人がいたとして、その男が非常に加虐癖のある人間だったら――。

 しかし、そこまで考えて頭の中で否定する。なぜならがトレミーに来たばかりの頃は、よくティエリアに厳しい言葉を言われて泣いていたのだ。だとしたらはいつこんな風だっただろうか。いつ、何がきっかけで歪んだのだろうか。

 悩むロックオンをよそに、はただうんうん唸っている。


「あたしってやっぱ変なんだろうなあ…」
?」
「毎日どつき回されていたのに、あのアーデがすっごくすっごく優しくて、今ややさしーく頭撫でられたりするんですよ」


 確かに想像もつかない。


「あたしなんて反応に迷って真っ赤になるのに、それを見てまたすっごくすっごくすっごーく優しく笑うんです。更にはあまーい愛の言葉まで…っ」


 なるほど、これなら二人でいる所を見かけたクリスが、何か恐ろしいものでも見たかのように真っ青になっていたのも頷ける。あれだけを毛嫌いしていたティエリアの方からに告白したということにも随分驚いたが(驚いたどころではないが)、ティエリアから曰く甘い愛の言葉が発せられる日が来るなど、誰が予測できただろう。このの困惑ぶりもなかなかいい勝負をしている。


「ふつーにアーデに恋してたら、そういうの全部、嬉しかったのかなあ」
はティエリアのことが好きじゃないのか?」
「そりゃあ好きだよ!でも、なんていうか、いかにも“恋人同士です!”みたいな甘い雰囲気っていうの?あたしには向いてないのかも」
「向き不向きがあるかよ。慣れてないだけだろ?」


 それでも「どうなんでしょう…」と少々青ざめながらロックオンから目をそらした。

 こんなにも恋愛に自信なさそうな人間を見たことがないロックオンは、のティエリアに対するそれと同じように、対処に困った。だが、豊富とは言えないがある程度恋愛経験もあるロックオンがのようなタイプの少女を見たことがないのだ、トレミー内に他に相談できる相手もいないだろう。妹のように思っている相手から頼られるのは嬉しいことだが、力になれないことに不甲斐なさも感じる。

 その時、ぽつりと「傷付けてるかも…」とが呟いた。はっとしてを見れば、心配そうに瞳を揺らしている。


「ティエリアが好きでいてくれることは嘘がなくて、真っ白で、なのにあたしはこうやってすっごく戸惑ってる。これって、ティエリアからしたらすっごく失礼な話ですよね」
「…………」
「そしたら、もしかしたら…」


 その表情が窺えないほど深く俯き、肩を僅かに震わせるに手を伸ばす。そして肩に触れようとしたのだが、はいきなり勢いよく顔を上げた。


「また前みたいに罵られますかね!?“貴様信じられん”とかって、あたし、軽蔑の眼差しで見られるかも知れない!ふへ、どうしよう!以前よりレベルアップっていうか!」


 前言撤回。もう二度とこの少女の相談になど乗るものか。

 目の前で元気よく顔を赤らめるを見てそう誓いながら、今頃任務を行っているであろうティエリアがひたすら不憫に思えて仕方なかった。以前とは全く違う意味で。
















(2009/8/16 ティエリア苦労すんなあ…)

(それでも頼られると引き受けてしまうんだよなあ…)
(何か言いました?)
(何も…)