食事をするような気分ではないのに、「食べないと薬を飲めないよ」などと言われ、しぶしぶトレイの上のものに口を付けた。薬なんて要らない。人間のままでいられなくていい。けれど「そんなことは許さない」とでも言いたげな目でこちらを見るリボンズ・アルマーク。口に運びかけたスプーンを、やはり食欲がわかなくてお皿に戻す。そして視線の犯人である彼の方を見てルネは言った。 「あなたは一度私を捨てた。なのにまた拾ったのはなんで?」 すると一瞬目を丸くし、けれどすぐにまた元の表情に戻る。そしてゆっくりとルネの頬に手を伸ばし、その輪郭を指でなぞった。最後に顎から指を離す。 「自分のものが他人に懐いて行くのが、堪らなく嫌だったんだ」 まるで子どものような言い分にルネは眉根を寄せる。輪郭をなぞる指も、身体に回された腕にも、体温こそあるが何も感じない。その背中に手を伸ばそうとも思わない。ただ一つ、これが自分を迎えに来てくれたティエリアだったらどれだけ幸せだろうと思った。 |
リヴァイヴが休憩室に入ると、何やら難しそうな顔をしたリジェネがいた。そんな真剣に考え込んでいるリジェネを見たことがないリヴァイヴは、一瞬目を疑う。そんな彼をよく見ると、テーブルの上には見慣れないシロップの入った透明な小瓶が置かれている。リヴァイヴがそれに気付くと、リジェネはさっとその小瓶を手に取った。 「それは一体なんです?」 「なんだと思う?」 「分からないから聞いているんです」 リジェネの手の中の小瓶を怪訝そうな表情で見るリヴァイヴ。ラベルも何も貼られていないそれは、どうやら商品ではない。開発途中の新薬でもなさそうだ。ますます怪しいと、リヴァイヴはリジェネの顔と小瓶を交互に見た。その視線に気づかないふりをしてシロップを白衣のポケットにしまうと、反対側に入っていた携帯が震えた。 「ここでは電源を切れと何度も、」 「あーはいはいごめんね」 「リジェネ・レジェッタ!」 「今度から気を付けるよ、と。もしもしー?」 会話を強制的に終わらせる。まだ後ろからぶつぶつと小言が聞こえて来るが、それも無視して携帯で応対を続けた。そろそろ電話がかかって来る頃だとは思っていたので、携帯を持っていて正解だった。相手には悪いがタイミングの良さについ口元が緩む。電話の相手はもちろんティエリアだ。あれだけ葉っぱをかけておけば嫌でも動かざるを得ない。二人とも手のかかる子どもだ、などと思いながら電話を切る。これでティエリアは大丈夫だろう。問題はルネだ。いくらリボンズと面識があるとはいえ、ルネに一人で近付くことは容易ではない。リボンズがルネにべったりであるし、そもそも特別棟に入れられているため、その鍵が必要だ。 どうするかと悩んでいると、突如喧しく休憩室のドアが開いた。 「んもー!面白くないったら!」 「なんですか喧しい」 「リボンズってば特別棟から出ようともしないの!お陰であちこちでサイン待ちの書類が山積みよ!」 ヒリングがイライラしながらまた乱暴にドアを閉める。口を尖らせて不満を並べるが、リヴァイヴは先程のリジェネよろしくあーはいはいそうですか、などと適当に流している。ヒリングはまだ学生なので、リボンズの妹という権限を使って、アルバイトという形でこの会社に出入りしている。さすがのリボンズもヒリングには甘いらしく、ヒリングは特別棟へも自由に入れるらしい。 リジェネははっとしてヒリングを見た。ヒリングを上手く使えばルネに会えるのではないだろうか。しかもその口ぶりからするにルネのことは知らないようだ。 「ねえヒリング。なんでリボンズが特別棟に籠りっきりか知りたくない?」 「えっなになに!リジェネってば知ってるの!?」 「んー、タダでは教えられないなあ…」 にやりと笑う。するとリヴァイヴは嫌な予感がしたのか、自分は何も聞いていない、と休憩室のテレビをつけてそちらに集中した。きらきらと目を輝かせるヒリングは勢いで「何でもするから!」と叫ぶ。そして待ってましたと言わんばかりに更に笑みを深め、「じゃあ…」とリジェネが切り出した。うんうん、と頷くヒリングに特別棟へ言ってみたいと耳打ちすると、 「なーんだ、そんなこと?任せなさいよ!」 そう言ってリジェネをぐいぐい引っ張って休憩室を出る。最後にリヴァイヴの盛大な溜め息が聞こえたような気がするが、二人とも気にも留めない。 これで特別棟へのアポイントメントは確保した。ヒリングさえいれば特別棟だって顔パスだ。リジェネはシロップの入った小瓶をぐっと握りしめ、遅れないようヒリングの後をついて行った。 * * * * * 最初は一人でなんとかしようとしていた。けれど製薬会社など自由に出入りできる場所でもないし、ルネがそこにいるのなら、そこの人間の協力が必要不可欠だ。ということは、自然とリジェネを頼らざるを得なくなる。借りをつくるようで嫌だが、ルネを連れ戻すためなら仕方がない。ティエリアは携帯のアドレス帳からリジェネの名前を探し出し、通話ボタンを押した。数回目のコールで飽くまで明るい声が聞こえて来る。 『…と、もしもしー?』 「僕だ」 『うん、かかって来ると思ってた』 「ルネはそっちにいるのか」 『目星はついてるよ』 「なら、僕が行く。僕が行ってルネを連れ戻す」 そう宣言すると、しばらくリジェネは黙った。向こうからは何も聞こえて来ない。何を言われるかと緊張したが、やがて静かな「了解」という声がした。 『じゃあもう今からこっちに向かいなよ。受付で僕の名前を出せばいい。その後もう一回電話してくれれば教えるから』 「分かった」 通話を終えると、ティエリアは携帯と鍵だけを持って部屋を飛び出した。会社までは電車を使わずとも走ればすぐだ。道行く人にぶつかりながらも、急いで目的地へ向かった。まだルネを大人しくあの男に渡すわけにはいかない。ルネは自分が責任を持って預かる。然るべき別れが来るその時までは。 芽 (2009/8/5) ← → |