目を覚ますと、ティエリアは自室のベッドの上にいた。起き上がろうとしたが何か隣に違和感を感じる。前にもこんなことがあった気がする。恐る恐るそちらへ目線をやると、が同じベッドですやすやと眠っていた。














ならもう大丈夫だよ」
「大丈夫だって?」
「拾った当時と同じくらいの精神年齢に戻ったってこと」


 残念だけど、当分の手料理は食べられそうにないなあ。
 そう笑いながら離すリジェネ。自分が気を失っている間に何があったのか全く把握できていないティエリアは、少し混乱していた。そんなティエリアにリジェネは「まあ座りなよ」などと言い、いつもの定位置を指差す。大人しくそれに従うと、リジェネはジャケットの胸ポケットから空になった小さな小瓶を取り出した。確か、あの会社でが握っていたのと同じものだ。


「ま、僕のお陰かな」
「その薬は…」
「僕の独自開発。こんなこともあろうかと思ってね」


 得意げに話すが、やはり話が見えて来ない。薬効はよく分からないが、とりあえずは元に戻ったというのだから一安心だろう。内心ほっとしていると、まるで心を読んだかのように「安心してる場合じゃないよ」と厳しい言葉を投げられた。


は成長よりも留まることを選んだ。その理由が君には分かるかい?」
「理由?」
「やっぱり分かっていないみたいだね。まあいいよ、僕はが無事ならそれで」


 まるでのことならなんでも分かっているとでも言いたげに笑い、リジェネは立ち上がる。なんだか不快だ。が自分よりもリジェネに懐いていることも、自分よりリジェネの方がのことを知っているということも。近付いたかと思えば離れて行くし、取り戻したかと思えば第三者に突き放される。一体なんだって言うのだ。


「僕はさ、が大事なんだよ。だから例えティエリアにでも傷付けてもらっちゃ困るってわけ」
「…それはどういう意味でだ」
「さあ?どうだと思う?」


 にっこり笑って小瓶を鞄にしまうリジェネを睨んだ。リジェネが女に執着したことなんてティエリアの知る限りではない。女に苦労したことはなさそうだが、とっかえひっかえというよりも女の方から寄って来ていたように思う。まさかのような子どもを、と何の疑いもしなかった訳だが、そのまさかだとでも言うのか。いや、しかしリジェネのことだ、何を考えているか分からない。本当にそういう対象として見ているのか、それとも製薬会社の研究対象としてか。さっきの薬で精神年齢を元に戻したというなら、身体成長・精神発達を助長するような薬だって作ることは可能なのだろう。


の保護者は僕だ」
「でも君は未成年だよ、ティエリア」
「書類上は貴様がすればいい。けれど実際は違う。僕がの保護者だ」
「…保護者、ねえ。君…」


 何かを言いかけたその時、後ろでカタンと音がする。ティエリアが振り向くと、眠そうに目を擦りながらが立っていた。まだ頭は起きていないらしく、「おはようございます…」とどこか舌足らずな口調で挨拶する。その様子から、本当には戻ったのだと確信した。そんなに最初に近付いたのはリジェネだ。


「おはようの時間じゃないけどね。おはよう、眠り姫さん」
「眠り姫じゃない…」
「じゃあ、僕は仕事だから良い子に待ってるんだよ」
「いってらっしゃい」


 の頭をくしゃっと撫でて部屋を出て行くリジェネ。その後ろ姿を睨みながら見送る。一度だけリジェネは振り返ったが、何か勝ち誇ったような表情をしていて、それがやけに癪に障る。すると、そんないつもと雰囲気の違うティエリアに気付いたのか、は心配そうに「だいじょぶですか?」と服の裾を引っ張って訊ねて来た。
 ティエリアはしゃがんでに目線を合わせ、寝ぐせであちこち跳ねている髪を手櫛だが直してやる。すると、くすぐったそうに眼をぎゅっと瞑った。その時、少し今までと違うような感覚に気付く。


(守らなければならない)


 か弱く小さいこの子を、自分が守らなければならない。リジェネにもあの研究所にも二度と渡さない。他の誰にも連れてなど行かせない。この子の帰る場所はこの部屋でなければならない。そしてそう、何も知らないなら自分が教えて行けばいい。だって、こんなにも愛しいのだ。



「はい?」
「おかえり」


 ともすれば折れそうなくらい細い体をぎゅっと抱き締める。も小さな手でティエリアの頭を抱いた。
 さほど時間が経った訳でもないのにもう何十年も彷徨ったような気分だ。まるで、生き別れた子と再会した親のような。


「ただいま帰りました、アーデさん」


 そう言って、は久々にティエリアの前で笑った。






* * * * *






 かしゃん、と小さな音を立てて小瓶が落下する。会社の廃棄物として、あの薬の入った瓶を処分したのだ。


「神さまって言うのは孤独なものなんだよ、リボンズ」
「君は本当にお節介だね」
「僕は最善の方法を選択したまでさ」


 不機嫌そうな上司に怯む様子など一切見せず飄々と返す。滅多に研究室などに足を運ばないリボンズに対して、まるで驚く素振りも見せない。


は二度と君の元には戻って来ないよ。巣立った鳥が巣に帰らないようにね」


 そんなこと分からないさ、と苦々しく言うとリボンズは研究室を出て行った。結局リジェネを咎めることも何もしなかったが、今月から減給でもされていたらなんて陰険な上司だろう。何を言いに来たのか知らないが、今回はリジェネの勝ちらしい。なかなか口で勝てたことはなかったので気分がいい。帰りにまたの好きなケーキでも買って行ってやろうか。


(ああ、でもそうしたら…)


 またティエリアが怒るだろうか。もうその様子が見えるようだ。自分のちょっとした言動に怒ったり焦ったり戸惑ったり、いちいち忙しいティエリア。が大切なのは勿論だが、実の所リジェネはティエリアほどへの執着よりも、に振り回されるティエリアを見てるのが一番面白い。段々成長して行くを見ていると可愛いとは思うし、いつかはの芽吹き始めた小さな恋がいつか実ればいいなどと思っている。



 まだまだあの二人は引っ掻き回し甲斐があると、人知れず笑いを漏らした。









(2009/11/3)