幸せとは、

 今日は、りっちゃんの誕生日だ。忙しいりっちゃんは今日も仕事で、今日最後の仕事が終わり次第、私の家まで来てくれることになっている。会うのは別の日でも構わないと言ったのだけれど、「俺が構うから」だそうだ。りっちゃんってそういうの気にするタイプだったんだ、と意外な一面を知った出来事である。
 これまでは時々ES社員寮の私の部屋を訪れていたりっちゃんだけど、やはり度々社員寮に出入りするのはそれなりに危険度が高い。ES社員と言えど上から下まで様々。誰の目があるか分からないのだ。だから、人目を気にせず、となると実家まで帰って来るのが一番安全だった。
 さて、りっちゃんと付き合って初めてのりっちゃんの誕生日。午後から仕事が入っていなかった私は忙しかった。まず、人気のケーキ屋さんに並びに行った。ここは以前りっちゃんが好きだと言っていたケーキ屋さんだ。どこかでぽろっと喋ったらしく、少し前はその手のファンで長蛇の列だったのだとか。
 そして、料理だ。仕事が終わってすぐ向かうと言っていたから、多分りっちゃんはご飯を食べて来ない。普段、必要最低限生活できる程度の料理しかしない私にとっては、それっぽい料理を作るのはかなりハードルが高い。サラダと、スープと、それからメインディッシュ。サラダと言っても、私が普段作るような葉っぱをちぎってドレッシングをかけるだけのものではない。
 料理に慣れていないと、全ての工程に時間が掛かる。夕方に差し掛かる頃から作り始めて、落ち着いたのは家族みんながお風呂に入り終わった頃だった。つまり私も何も食べていない。

「りっちゃん遅い……お腹空いた……」

 リビングのテーブルに突っ伏して呟いた途端、お腹も鳴る。味見と称してちょこちょこつまみ食いはしていたものの、到底お腹が満たされるものではない。仕事だとは分かっていても、早く到着してくれと願うばかりだ。
作った料理を早く欲しいのもある。料理が得意なりっちゃんにご飯を作って待っているというのもどうかとは思うけれど。
 実は、最初はケーキのリクエストがあった。けれど、さすがにそれは普段からお菓子作りをしていない人間にはあまりに難易度が高い。少しだけ挑戦してみたけれど、すぐにケーキの案は却下となった。
 その時、テーブルに置いていたスマホが震えて、その振動に驚きて飛び跳ねた。危ない、転寝するところだった。

「あと五分くらい……五分!?」

 りっちゃんからの連絡は、もうすぐそこまで来ているというものだった。いや、せめてもう少し余裕をもって知らせて欲しかった。けれど、でも、あと五分が待ち遠しい。
 急いでキッチンに戻り、料理を温め直すことにした。



***



 が誕生日を祝ってくれるらしい。というか、今日祝ってくれるよう夜時間をとったんだけど。仕事があると知ると、が別の日にしようと言い出したけれど、絶対に今日だとこちらが譲らなかった。ちょっと強引に約束したものだから、の方が引いてたくらいだ。
 遅くなるとは言ってあったけど、本当に遅くなった。朝も早かったので、の家に向かうタクシーの中で眠ってしまい、うっかり到着五分前連絡になってしまった。お叱りは甘んじて受けるしかなさそうだ。
 の家の玄関まで、インターホンではなくスマホに連絡を入れる。すると、ほどなくして足音が聞こえ、重い玄関の扉が開いた。

「りっちゃん! お疲れ様!」

 エプロンをつけたままのが、扉を開けた瞬間そう言って出て来た。遅い、と怒られることも覚悟していたのだが、どうやらのテンションは高い。あまり見たことないような笑顔で出迎えられ、面食らったというか、気が抜けたというか。

「…元気だね、
「え?」
「なんでもないよ」
「そう? とりあえず入って」
「うん」

 俺を促して先に中へ入れると、後から入ったが扉を閉めて玄関の鍵をかける。靴を脱いで上がった俺と目が合うと、「ふふっ」と言って笑った。…疲れてるからかなんなのか、やけに可愛く見える。いつもと変わったところなんてないはずなのに。いや、普段が可愛くないとかそういうわけではなくて。

「どうしたのりっちゃん、リビングあっちだよ」
「…うん、知ってる」

 の家みんな早寝なので、もうすっかり家の明かりはほとんど消えている。廊下の奥にはリビングからの電気が漏れているが、家の中は既に静まり返っていた。さすがに日付の変わる一時間前にの家を訪れたことはないので、なんだか奇妙な心持だ。

「ご飯食べた?」
「まだ」
「食べれそう?」
「食べれそう」
「よかった、温め直したところなの」

 なんだか美味しそうな匂いがする。対面キッチンのコンロにはスープの入った鍋から湯気が立っていた。なるほど、だからエプロンをつけたままだったのか。
 そこで手洗っていいよ、とがシンクを指差す。言われた通り手を洗いながら、横目でお皿にスープをよそうを見る。…あっ、なんかちょっといいかも。

「そんな、よそうとこ注視されても…」
「そんな見てた?」
「すごい見てた。緊張する」
「スープよそうだけなのに?」
「だけなのに!」

 「ほら早く座って!」と今度はリビングへ急かす。ダイニングテーブルには既に平皿に盛られたサラダが置いてある。薄切りをして巻いたきゅうりとミニトマトを、レタスの上に交互に放射線状に並べてある。おしゃれサラダだ。
 いそいそとスープを持って来たかと思えば、またキッチンに戻って今度は電子レンジからメインらしき料理を運んできてくれた。普段が作っているのを見たことがないハンバーグだった。しかもデミグラスソースだ。

、これ時間かかったでしょ」
「…………かかってないとは言わない」

 数秒長く黙ってからぼそぼそと答える。恥ずかしそうに目を逸らしながら。

「いや、あの、こんな時間にこんなメニューとは思ったんだけど、」
「お腹空いてるから嬉しいよ」
「そっ、そう!」

 は向かいに座ると、いただきます、と手を合わせる。もう先に夕飯は済ませたものだと思っていたけれど、もこれかららしい。こんな時間にいいんだ、とちょっと意地悪のつもりで言うと、今日は良いの、と口を尖らせる。そして主役より先に食べ始めた。

「な、なに笑ってるの」
「別に、なんでもないよ」
「うそ、そういう時のりっちゃんなんでもなくない」
「えー、が可愛いなと思って」
「はっ!?」
「いただきまーす」

 ミニトマトを取り皿にぼとりと落としたまま固まる。何も嘘は言ってないし、別に今初めて言ったわけでもないのだけれど、は褒めるといつも固まる。そこまで含めて可愛いところではある。すっかり口を閉ざしてしまったをよそに、用意された料理に手を付けた。こんな時間にこんな夕ご飯を食べたらセッちゃんにぎょっとされそうだけど、今日だけは特別だ。が時間をかけて作ってくれた料理を残すはずがない。

「ど、どう」

 黙々と、ぽつりぽつりとしか喋らず遅い夕食は進み、大分食べ進めてからは感想を聞いて来た。大分というとか、もうほぼ食べ終わりに近いのだけれど。

「美味しいよ、全部」
「ほんと」
「嘘言ってどうするの。俺、料理に関しては正直だよ」
「だってりっちゃん、料理得意だから」
が俺のために作ってくれたんでしょ? 美味しくないわけないよ」
「…………」
「何それ、照れてるの?」

 顔を押さえて突っ伏した。斬新なリアクションだ。

「…がんばってよかったなって」
「大儀であった~。褒めて遣わそう」
「そうやってすぐ揶揄う……」
「最大限の喜びを表現したんだけど」
「全然伝わらない」
「難しいなあ、は」
「りっちゃんが難しいんでしょ」

 口を尖らせて拗ねるような顔をする。その鳥のような唇をつまむと、「ちょっと!」と真っ赤になって怒った。、今日は何しても可愛い。
 綺麗になったお皿を二人でキッチンに運んで、並んで洗って、拭いて、他愛もない話をして、そういえばこんな風に穏やかな時間を過ごしたのっていつぶりだっけ、と思い返す。お互い高校生だった時とは段違いに忙しくなってしまったせいで、なかなかこんな風にゆっくり時間を作ることができなくなってしまった。も俺も今が頑張り時だし、仕方ないのは分かっているけど、と恋人同士になって間もないのに、恋人らしいことがあまりできていない。多分、聞き分けが良いだけでにも色々我慢させているのだろうと思う。不満の一つも言って来たことがないけれど。どちらかといえば、こっちの方が不満なくらいだ。

「ケーキ食べられそう?」
「おっきい?」
「ちっさい」
「じゃあ食べよ」
「今日ね、午後一で並んだんだよ」

 冷蔵庫からいそいそとケーキを取り出す。見覚えのあるお店のプレートが乗っている。確か、前に好きって言ったお店のケーキだ。遅くなることを見越してか、の言った通り小さいサイズの四角いカットケーキが一つ、既にお皿に載っていた。季節のフルーツが所狭しと数種類並べられている隙間に、〝Happy Birthday りっちゃん〟と書かれたチョコレートプレートが刺してある。なかなか受け取ろうとしないしないのを不思議に思ってか、お皿を持ちながら不思議そうには首を傾げた。

「…
「な、なに」
「はい、チーズ」
「えっ、えっ!? 今違うくない!?」
「違うくなくないよ~」
「消して消して!」
「消さない消さないっと」

 ケーキの上の苺を一つ摘まんで、焦っているの口に放り込む。

「!!」
「一人で食べるのは寂しいからね」
「一番メインの苺…!」
「俺がいいからいいの」

 は俺だけにケーキを食べさせてくれようとしていたみたいだけど、キッチンの引き出しからもう一本フォークを取り出す。

「二人で食べた方が美味しいよ」
「…そうかなあ」

 ちょっと不服そうではあったけれど、差し出したフォークをおずおずと受け取る。今日は誕生日だからか、大概の要望は通るらしい。
 お行儀は悪いけれど、そのままキッチンで四角いケーキを両側から二人で食べ進める。は必死に美味しいところを俺に食べさせようとしてくるけれど、それを阻止しての口に放り込むの繰り返していると、あっという間にケーキはお皿から消えた。

「なんか私の方が食べてる気がする…」
「気のせい気のせい」

 シンクに両手をついてなぜだかショックを受けている。その頭を撫でてやると、くるりと振り向いてごつん、と額を肩口に押し付けて来た。

「りっちゃん」
「なに」
「忘れてた。誕生日おめでと」
「ありがと」

 今更だなあ、と言いながらを抱き寄せると、返事をするように両手を背中に回してくる。かと思えば、容赦なく力を入れて締め付けて来た。意外と力が強い。ギブアップを告げるようにぽんぽん、と背中を軽く叩く。すると、ふっとの腕の力が抜けた。

「りっちゃんに喜んでもらいたくて」
「うん」
「ケーキは…作れなかったけど」
「うん」
「来年はがんばるから」
「楽しみにしてるね」

 もう来年のことを考えてくれているのかと思うと、嬉しくて仕方なくなる。普通の恋人同士のようなことは何一つできていないのに、は自分との来年を当たり前のように思い描いてくれているのだ。特別なことは要らないというのは、俺は良くても一般人のは本心ではそうではないのかも知れない。それでも、次の一年もは約束をしてくれる。それだけでじゅうぶんなのだ。随分待ったし、いろいろなこともあった。しなくていい遠回りもしたのかも知れない。けれど、こうしてと今日を過ごしている今を実感して思う。やっぱり、に好きだと伝えて良かったのだと。

「りっちゃん、好き」
「俺も」