回りくどいことが嫌いだ。だから、分からなければ訊いてみる。

「京介くん、誕生日なにか欲しいものある?」

 けれど、私の前で私の作った夕飯のカレーを食べながら京介くんは短い返事をする。

「別に、何も」

 お気に入りの透明なローテーブルにひびが入るかというほど、空気が凍った。



















 あ、根に持ってるな、とその返事を聞いた瞬間に思った。心当たりは一つしかない。私がクリスマスに何を欲しいかと言われて何も要らないと言ったことだ。まだ高校生の京介くんに何かをねだるなんてことはできなくて、社会人としてつい口から出た言葉だった。それでも結局当日になってみればちゃんと形に残るもので用意をされてしまっていた訳だが、ことあるごとにあの一件を持ち出す京介くんは、なかなか執念深いとでもいうのか。
 私も悪かったとは思っている。素直に甘えれば良い所と控えるべき所を間違えてしまった。京介くんにも京介くんなりにプライドはあっただろうし、浮かばないならせめて京介くんが選んでくれるものならなんでも、くらいは言うべきだったのだ。その方がここまで引っ張られなかったかも知れない。それでももう半年近く前の出来事を引き摺っている辺りはまだ高校生だなあ、とは思う。私も相当頑固だけれど、京介くんのそういう所をかわいいと思って許せるくらいの大人ではあった、私は。

「あー……そっか」
「はい」

 京介くんは、不機嫌になると途端に私の目を見ない。およその人間がそうだろうが、あまり表情を表に出さない彼の数少ない意思表示の一つだ。本人に自覚はないのだろう、私は無意識の癖と認識している。
 これが弟や妹なら高校生でも図書カードや某大型通販サイトのギフト券なんかで済ませるのだが、彼氏相手にそんな色気のないことはできない。友人が私に「自炊状況が心配だから」とレトルトカレーを大量にくれたこともあったが、それも違う。多分、京介くんのことだから当日になれば何でも喜んでくれるのだろう。クリスマスだってバレンタインだってそうだった。ちょっと、いや、かなり不細工なガトーショコラをバレンタインに渡した時も喜んで食べてくれた(弟さん達へのお土産用も渡したらちょっと嫌そうな顔をされたけれど)。
 何を考えているか分からない、と付き合う前は思っていた。当時高校一年生だった京介くんは彼女なんて高校に選びたい放題いるだろうに、私をわざわざ選ぶなんて物好きだと思った。すぐ終わるだろうとも思っていた。やっぱり同年代が良いと、放り出されたとしても仕方ないと。それが、京介くんの学年が一つ上がった今も関係は続いている。私自身があまりにも以外に思っていた。どうせ私の方がちょっと遊ばれて、からかわれて捨てられるものだろうと、その程度に考えていたものが、まさか私までのめり込んでしまうとは。
 十六なんて子どもだと食ってかかっていたら大間違いだ。結局、見事におとされたのは私の方だった、という訳である。そうなれば彼の微妙な表情の変化さえも分かってしまうようになる。今は、不機嫌だ。

「…玉狛にも学校にも祝ってくれそうな人いるもんね」
「さあ」
「学校ある日だし」
「平日ですからね」
「そっかあ……」

 そっけない返事にダメージを受けない訳ではないが、予想の範疇ではある。落ち込んでいる場合ではなく、私はここからのことを考えないといけない。なんとか当日のアポを取りたいのだ。平日だけれど、学校終わってから少しで良いから時間を欲しいと。だって、やっぱり誕生日は特別だ。クリスマスやバレンタインのように最早恒例の国民行事ではなく、京介くんの個人的なことなのだから。
 自分の年齢を思い出せばもっと現実を見ないといけないことだってたくさんある。未成年相手に手なんて出す訳にはいかないし、どれだけ大人びていても大人ではないと思うと私の理性に最後のストップをかけていた。言ってしまえば女だって欲情はする。正直に言うと欲求不満にもなる。この年齢の子に「待て」をするのは非常に残酷なことだとは思うけれど、それは私だって同じだ。それでも先日、同期の男に告白された時も断ったくらいには京介くん以外は考えられない。まだ唇までしか許せないとしても、いや、私の処女歴がまた一年増えたとしてももう今更だ。
 そういや、何を考えていたのだったか。…そうだ、誕生日だ。

「その日は、バイト?」
「…いや」
「ボーダーの任務は?」
「…ないです」

 二つの答えを聞いて、内心とてもほっとした自分がいる。京介くんのことだから、狙ってスケジュールを空けた訳ではないのだろうけれど、少なくとも予定さえなければ少しくらいは会う時間を作ってくれると言う希望を持てる気がする。でも、誕生日の話を出したとたんに空気が重い。二人で過ごせる時間は多くはないのだから、こんな感じの悪い空間にしたくない。今日だって、京介くんは学校が終わってバイトに行って来た後だ。できれば笑っていたいし、楽しく話をしていたい。今日は、そんな私の理想とはまるで正反対になってしまった。どうすれば京介くんの機嫌は直るのやら。京介くんより何年も多く生きていれば、多少のことは許せるようになるし受け流せるようにもなる。けれど、どうもこういう雰囲気を変えることだけは苦手だ。私が作ってしまったものであるだけに、余計気まずい。
 京介くんをじっと見てみるけれど、そんな私の心境を知ってか知らずかもくもくとカレーを食べ続けるだけ。こんな雰囲気では「じゃあ九日会おう」なんて言えない。あと少し残っているカレーも食べる気がなくなってしまった。寛容になること、許すことと、空気に耐えられないのとは別だ。私はスプーンを置いて、片肘をついた。

(高校生って難しい……)

 私もこんな風に扱いが難しかったのだろうか。思春期は難しいと言うけれど、自分が思春期の頃はそんな風に思ったこともなかった。自覚なんてないものなのだろうとは思うけれど。
 大人同士のような付き合い方なんてできないし、学生同士のような付き合い方もできない。明確な年齢の差と言うものがあって、それゆえに良かったと思うこともあれば、それが障害になることもある。今みたいに。
 それこそ、付き合い始めた頃は悩まなかったようなことだ。一カ月ももてばいい方かな、なんて思っていた頃とは違う。有り得ないと思っていたこんなにも年の離れた男の子を好きになって、時々振り回されたりどきどきさせられたりする。それがこう言う時、距離を感じてしまう。私も高校生、いや、せめて大学生だったらよかったのに、と。
 小さな音でつけていたテレビの音だけがこの部屋に籠っている。会話は途切れてしまって、何か言おうかと思うけれど、こんな時の京介くんは何を話しても素っ気ないのは分かっている。大人びた高校生だね、とよく言われているけれど、私に言わせてみればそんなことなんてないこと方が多い。付き合うまで知らなかったことだけれど。彼なりに背伸びしている部分はある、と思う。

さん」

 ここでようやく私の異変に気が付いたらしい京介くんが、私を見る。私と、私の手元にあるお皿を交互に見た。

「食べないんすか」
「…食欲なくて」
さん」
「なに?」

 欲しいものですけど、と言うけれど、その言葉は続かない。何やら言いにくそうにしている。うん、なに―――そう返すけれど、どうも口籠るばかり。暫く待って、ようやく京介くんは再度口を開いた。

「絶対さんが無理だって言うから」
「そんな高価なものなの?時計とか?」
「いや、そんなんじゃないです」

 京介くんはお皿の中に残っていた最後の一口を口へ運ぶ。それを飲み込んで、水も飲んでから改めて私を見る。けれど、すぐに目を逸らす。…なんとなく、分かってしまったような気がする。察することができないほど鈍感でもない。これまで、私が頑として駄目だ駄目だと言って来たのだ、多分それだろう。この言いにくそうな顔を見れば分かった気がした。ベタだけど、次の京介くんの言葉が予想できる。

さんがいいです」
「…………」
「あと一年は長いです」
「…………」

 答えあぐねていた。ここでまた一つ答えを間違えれば、今度こそ軌道修正できない気がした。ちゃんと大人として対応すべきか、個人の気持ちで答えるべきか。そんな風に言われることは決して嫌ではない、というのが私の本音だ。だって、なんだかんだ言ったって私の周りだって当然高校生の時に初体験を済ませた子はたくさんいた。私が違っただけで。それは男の子だって同じのはず。だから、せめて十八歳、というラインに拘っているのは今時私くらいなものだ。タイミングとしても、悪い訳ではない。求められているなら応えたいとも思う。うん、と頷いてしまえばいいものを、そうできないのは私の頑固さが悪く出てしまっている所だった。
 自分でも分かる程どんどん顔が険しくなって行く私を見て、京介くんは小さく噴きだしたかと思えば肩を震わせた。

「ちょ……っと!私は真剣に考えてるのに!」
「いや、まさかそこまで悩ませるとは思わなくて」
「からかったの!?」
「いや、九割は本気ですけど」
「待って残りの一割は」
「まあまあそれは置いといて」
「解せない」

 京介くんにはこういう所がある。自分で空気を凍らせておいて、私が散々困っていると最終的に自分で全て回収して行く。それに一体何度振り回されたことか。私が冗談の通じない人間なのをいいことに、何度も何度も同じ手口を使う。いや、それに振り回される私も私だけれど、からかわれていい気はしない。いいよ、と言うことも考えたけどやめだ。もう今後この手には乗らない。十八歳まで我慢させてやる。
 まだおかしそうに笑っている京介くんを放って、私は自分のお皿を持ってキッチンへ向かう。この、十五分にも満たない時間だがぴりぴりした意味はなんだったんだ。私が神経を削らせた意味は。シンクにお皿を置いて、抑えているはずの溜め息をつく。すると、音もなく近寄って来ていた京介くんが後ろから私を抱き締めて来た。…けれど、ご機嫌取りならそう簡単には引っ掛からない。

さん、怒らないで下さい」
「…さっきまで自分が拗ねてた癖によく言う」
「それはさんが俺を子ども扱いするから」
「してないでしょ、今日は」
「それに最近あんまりこんなことしても驚いてくれないじゃないすか」
「そりゃこれだけされ続けてたら慣れないと大変なの!」

 真面目に反論しても、大概はさらりと流されてしまう。私の必死さとか、真剣さとか、まるで伝わっていないような気がする。私が懸念している事は全て瑣末なことだとでも言うかのように。昔から石橋はこれでもかというほど叩いて渡る性格だけれど、年々酷くなっているのは自覚している。だからこそもどかしいし、きっと京介くんにはもっと思う所もあるだろう。けれど今更、じゃあしよっか、なんて方向転換できるほど柔軟にもなれない。勢いだけでも生きられる十代とは違う。大人になるって、損することもたくさんあるような気がする。いや、それでも京介くんと一緒に大人になれたのならまた違ったのかも知れない。同じ目線で物事を捕えられたなら。

「驚かないくらい俺に慣れてくれたことは嬉しいんですけど、そろそろ新しい一面も見たいと思って」
「な、なんか言い方が……」
「だってそういう話してるんですから」
「それはそうだけど、………いや、なんでもない…」

 私の首元に顔をうずめて、抱き寄せる力が強くなる。色気のないことを言えば、食べた物が出そうだ。けれど機嫌が良いようなので好きにさせておく。私は洗いものができないけれど。
 思えば、こんな私でも京介くんは一度も私に頑固だとか、頭が固いだとか言ったことがない。これまで生きて来た中で、親しくなればなるほどそれを言われなかったことはない。けれど付き合い始めてから今まで、私のそんな短所を決して悪く言わなかった。今更気付くなんて私は馬鹿だ。寛容でいたつもりでいて、私よりずっと妥協していたのは京介くんの方だったのかも知れない。

「…京介くんの誕生日だけど」
「はい」
「家の人は任務が入ったとか友達の家に泊まるとかなんとか、上手いこと言ってよね」
「えっ、さん」
「あーもう!この話は終わり!お皿洗うから持って来て!」
「やだ」

 前言撤回。やっぱりこういう細かいことで妥協点を稼いでいるのは私の方だ。けれど、妥協してしまうのはやっぱり好きだからだし、こんなことされるのも嫌いじゃないからだし、これって五分五分ということなのだろうか。
 出会った頃より伸びた彼の身長はまだ伸びていて、誰より間近でそれを感じられることは幸せだ。けれどその大きな身体に似合わない子どもっぽい所も、結局は好きなのだなあと感じる。惚れた弱み、という言葉が私の頭をよぎる。
 未だくっついている京介くんの頭を撫でてやると、調子に乗ったのか首に突然キスをして来たのではたいてやった。「痛いんですけど」と恨めしそうに言いながら、今度は唇はうなじへ移動する。今度こそ止める、と思っても同じ手をくらっている京介くんは瞬時に反応して振り上げた私の手首を掴み、半身になった隙を狙って唇を塞いで来た。こっちが狙いだったか、なんて余所事を考えられたのはほんの一瞬だけだった。







(2016/05/09)