ベッドにもたれて読んでいた漫画を放り投げて呟いた。 「いいなあ……」 高校生同士の甘酸っぱい恋を描いた少女漫画はキラキラしている。高校時代にこの漫画に出会っていれば、或いは共感することもあっただろうが、最早羨ましい、としか言えなかった。私も一度はやってみたかった。 ![]() 「あっははははは!!」 アイスティーを噴き出したかと思えば、友人兼チームメイトのは大笑いした。一応ボーダー内だというのに、なんて遠慮なく笑うのだろうか。廊下に響き渡る大きな笑い声に擦れ違う隊員たちはちらちらとこちらを見て行くが、彼女にはそんなことは関係ないらしい。 彼女がこれほど笑う原因は一応私だ。昨日読んでいた件の少女漫画の話と、「私も制服デートがしたい…」と言えば泣くほど笑われたのである。しかし失礼にも程がある。彼女がここまで笑うのは理由があるにしろ。 単に制服デートがしたいというだけならここまで笑われないし、「漫画読めばそりゃあねえ」程度で済んだだろう。ただ、私の声があまりに切実だったらしい。というのも。 「なんたって彼氏が高校生だものねえ……あー笑った…しちゃえばいいじゃん、制服デー……ぶふっ」 「まだ笑ってんじゃん!」 付き合って一カ月になる彼、京介くんは高校生。そんな年下にぐらつくか、という私と、なんとしてでも、という彼との間で攻防戦を繰り返していたのだが、最終的に折れたのが私だった。私の恋愛経験のなさも手伝って、この一カ月でどれだけ心臓に悪い思いをしたか知れない。いい意味でだが、いつまでもつか分からない。高校生とは思えぬ迫り方をされるわ、思ったことはぽんぽん言うわで振り回され続けているのだ。その“思ったこと”というのがまた厄介で、とりあえず可愛いだとか好きだとか繰り返し言われる。素直なのは決して悪いことではないし、嘘を言っているとも思えないのだが、だからそれを言われる度に私はどきどきして仕方がない。一カ月経つのにまだ慣れない。何だかんだ、上手く言っているのだと思う。 けれど、私の憂いはただ一つ。この歳の差だ。私が本部所属で彼が玉狛所属なのが余計もやもやとした感情に拍車をかけていた。私は本部所属のオペレーターで、もちろん高校生でもない。ここに別所属となれば会える時間なんて限られている。お互いの負担にならない程度にこの一カ月会って来たが、段々「足りない」と思い始めている辺り、もう私も随分はまってしまっているような気がする。 「この間まで散々高校生なんて有り得ないとか言ってた癖に本当笑えるわ」 「に、人間何があるか分からないんだから!」 「まだ行けるって制服、ふはっ、行ける、置いてあるんでしょ、せいふ…ぶはっ」 「思ってもないこと言わないでよ!」 確かに、私の部屋にはまだ高校時代の制服が置いてある。昨年の忘年会の余興で制服を着て踊らされたからだ。そのまま実家に送り返すのも忘れたまま、クローゼットの奥で眠っている。けれど、ああいうお酒の場のテンションがなければ今更着られる代物ではない。まして、現役高校生の前でなんて。しかも私だって彼と同じ高校の出身だ、あの制服を着て街を歩きなんてしたら、知り合いに出会わない確率の方が低い気がする。危険すぎる。見つかった時の言い訳が見つからない。 「とにかくしない、しないんだから!ちょっといいなって思っただけ!」 「はちょっといいなって思ったことは結局すること知ってるんだからね」 今度はにやにやと笑いながら私を見る。なんだかとても嫌な予感がした。 そして、彼女に関しては嫌な予感と言うのは十中八九当たる。私の部屋に京介くんが遊びに来ることになっていた日、学校帰りでもないのに彼は制服で現れた。その時点で嫌な予感はしていたのだ。とりあえず中に通してお茶を入れる。いつも通り、京介くんはローテーブルの前に腰を下ろしていた。とりあえず、お茶を運んで声をかけてみる。 「…学校、今日あったの?」 「いや、ないです」 「この後行くとか?」 「行きません」 「えーと……」 「さんから聞いたんですけど…」 出た、と思った。絶対要らないことを吹き込むだろうとは思っていたけれど、この後に続く京介くんの言葉がとても予想できる。 「制服デートしたいと聞いて」 「あっ……あー……あは……」 今度のランク戦、だけオペレート厳しくしてやろうかな。 この一カ月で分かったことだが、意外とこういうことに京介くんは乗って来る。の情報を鵜呑みにして実行して来る。が「嫉妬してた」と告げ口すれば嬉しそうにするし、「寂しそうにしてた」と言えばまめに連絡が来るようになるし、「、合鍵作ってるって」なんてありもしない事実を伝えれば合鍵を遠回しにせがんで来た。彼女にとっては、私だけでなく京介くんもひっくるめていいからかい相手なのだろう。最近はもう、私より京介くんの方がに遊ばれているような気さえして来ている。 まあそれはともかくお茶でも、とカップを勧める。私も自分のカップを手に取って一口含んだ。しかし、その間も熱い視線を送られる。これは間違いなく期待されている。きっとのことだから、この部屋のクローゼットに制服をしまっていることも言っているのだろう。そうでなければ今日、京介くんが制服で来るはずがない。 「あんまり見られると、恥ずかしいんだけど……」 「さん」 「は、はい…」 「昨年の忘年会の写真、見ました」 「は!?」 ほら、と言って見せられた携帯の画面には、確かに昨年の忘年会で高校時代の制服を着た私が映っている。見せるだけならまだしも、何をデータまでちゃっかりもらっているんだ、この子は。お陰で冷や汗が止まらない。 「確かに外を歩くのはちょっと問題があると思うので…」 「外じゃなくても問題ある!」 「そうですか?」 でも見てみたいです、なんて続ける。 「俺、さんの高校時代なんて知りませんし」 「仕方ないでしょ、被らない年の差なんだから…」 自分で言っていて悲しくなった。それを言うなら、私だって京介くんの学校での様子なんて知らないし、学校でどんな風に授業を受けているんだろうとか、誰と仲良いんだろうとか、女の子と話すのだろうかとか、考え出したらきりがない。だから、きっと付き合うならせめて同じ高校生がいいだろうに、そこを諭し切れず承諾した私は悪い大人だと思う。 すぐ悪い方に考えてしまうのは私の癖のようなもので、それにすぐ気付いてしまう京介くんは、すかさず私の頭を撫でる。これが嫌じゃないのがまた困ったもので、もう定期的に触れてもらわないと「足りない」という気持ちでいっぱいになってしまう。 「体育祭とか、学園祭とか、球技大会とか、そういうの全部、さんとは経験できないんですよね」 「私だって京介くんいなかったもん」 「だからせめて、部屋の中でくらい同年代体験させて下さい」 「それとこれとは問題が違うから!」 「違うことないです」 大体、忘年会でもないのに何の罰ゲームだ。たとえこの場に京介くんしかいなくてもお断りしたい。どう考えても高校生の顔じゃない人間が着たらただのコスプレではないか。何のプレイだ。いや、コスプレだけど。 頭を撫でていた手がするすると輪郭を、肩を、腕を辿って指に行きつく。膝の上で握りしめていた手を解き、指を絡めて来る。…こういう仕草のひとつひとつがいちいち、私を惑わせて来る。じゃあいいかな、なんて気分にさせて来る。初めてのキスだって、そうだった。誘導されるかのようにこの部屋で唇を重ねた日のことを鮮明に覚えている。あれから暫く、一人でいても部屋でそわそわしていたのだ。なんて変態になってしまったんだろうと自己嫌悪に陥るほど。 「さんは大人で、俺より色んなことをずっと知っていて、遠い人なんです」 「遠くなんてないよ、こんなに近いのに」 「物理的な距離ならいくらでも縮められますけど」 「か、顔近付けるの禁止!」 「気持ちの問題だって言ってるんですよ」 「や、やだ……」 先程までとは違い、私の両手を強く握って宣言通り距離を詰めて来る。本当に、困っている。京介くんと付き合い始めてから、私がどんどん変態になって行くようだ。だって、こうやってじりじり迫られるのが嫌じゃない。私ってこんな性癖あったっけ、なんて思ってしまう。そしてまた自己嫌悪に陥ると言う負のループの繰り返しなのだ。口では取り敢えず「嫌だ」なんて言ってみるけど、本当に嫌かと言われれば嫌だと言えない。でも拒否しておかないと、私がこんな風に思っているなんて知られたら恥ずかしくてそれこそ顔を合わせられない。 唇が触れそうなほどの距離になり、ふい、と顔を逸らすと目元にキスを一つ落とされる。思わぬ不意打ちで反射的にまた京介くんを見ると、「見てくれた」なんて言う。さっきまで全然そんな雰囲気じゃなかったのに、もう私の唇は準備をしているようだ。でもその前に、解いておきたい誤解がある。 「きょ、うすけくん」 「なんですか」 「気持ちが遠かったら、付き合ってなんて、ないから…」 「え?」 「そんな寂しいこと言わないでよ…」 私は高校生には戻れないし、京介くんもいきなり大人にはなれない。けれど、年齢の差と同じくらい気持ちも遠いなんて思っていなかった。私の心はどんどん京介くんに傾いて行ったし、今や足りないと思うくらいなのに、そう思っていたのはまるで私だけみたいではないか。 「すみません、さん」 「京介くんってばか」 「そうですね。好きです、さん」 「はっ!?今の繋ぎおかし、んっ」 いつキスされても大丈夫なようにと、心と唇は準備をしていた。なのに、結局京介くんのペースだ。言葉を遮って唇を被せられて、言いたかったことは消えてしまう。何度も何度も少し離してはまた塞がれを繰り返し、深い訳でもないのに上手く酸素を取り込めずにやや息切れをする頃、ようやくそれは終わった。満足したらしい京介くんは私を抱き寄せて、髪を梳いたり指に巻いたりして弄ぶ。髪なんて神経は通っていないはずなのに、その指の感覚さえ私の身体に伝わってくるようだ。 「さん、好きです」 「さっきも聞いた」 「さんは?」 「私も……」 「も?」 「……京介くんが好き」 言わせた癖に、「ありがとうございます」と嬉しそうに耳元で言われる。耳朶に吐息がかかってびくりと肩が跳ねた。京介くんといると、どんどん駄目な大人になって行く気がする。でももう、ここまで来たら私の方が手離せないんだろうな、なんて思った。 「今日はひとまず退きますけど」 「え……?」 「次回は制服期待してるんで」 「…………」 でも、それだけはやっぱりごめんだと思いながら、京介くんの背中に回した腕に、思いっ切り力を込めた。 (2016/04/16) |