年末年始の実家への帰省。それはつまり、しばらく斎藤教授と離れることを意味している。飽きるほど毎日顔を合わせていた相手と突然会わなくなるとういうのは、それはそれは寂しいものである。私は鳴らない携帯をさっきから何度も何度も開けては閉じ、開けては閉じていた。そんな私を見て、同じ部屋でテレビをぼうっと見ていた幼馴染がぽつり。 「、気持ち悪い」 「うっさい」 「あーあ。私なんか地元大学やのに、あんたは遠く行ってさ。そこで知らん内に色気づいてるんやもんなあ」 「色…っ!?そんなんと違う!」 携帯を何度も何度も見ていたら誰もが彼氏からの連絡待ちなのか。そんな訳があるまい。…いや、私は実際、斎藤教授から何でも良いから連絡の一つや二つ来ないかと気にしてはいるのだけれども。お正月というのは誰だって忙しいし、それに普段だってメールや電話を頻繁にする相手ではないのだ、今日に限って、なんてことはきっとない。 私が年末年始は二週間ほど実家に帰ると伝えた時も、斎藤教授は全く動じる様子は見せなかった。それどころか、「そうか、気を付けて帰るようにしろ」で終わりだ。あ、いや、「ちゃんとご両親の手伝いもするようにな」とかも言ってたっけ(あんたは小学校の先生か)。ああ、思い出すと沸々と怒りが湧いて来る。別に引き留めて欲しいわけじゃないのだけれど、ああそうか寂しくなるな、くらいあってもいいのではないか。…いや、言わないか、言わないな、斎藤教授だったら絶対言わない。 「うわ…本当に?」 「カマかけたな!」 「が馬鹿正直なんが悪いわ。ほら、携帯鳴ってんで」 「あっちょっ!」 「なになに、斎藤きょ……………あのさ、あんた誰に色仕掛けしてんの?」 返してよ!…そう叫ぶも彼女は非情にも通話ボタンを押す。「もしもし、の幼馴染ですが」おい、出るか普通。何か盛大な誤解をしている彼女に青褪めながら手を伸ばすも、反射神経の良い彼女に万年インドアの私が勝てる訳がない。ひょいひょいと体を捻って私の手から逃れ、勝手に斎藤教授と話を進める。涙目になって「返さんかあほ!」と叫べば、彼女は噴き出してから「あ、ちゃんトイレから帰って来たんで代わりますね!」と言って私に電話を譲った。よりによって何でトイレなんだ。 「あの!私トイレに行ってたんじゃありません!」 『………………分かっている』 「…笑ったでしょう。なんですか、その間」 『いや、が地元の言葉を話しているのを初めて聞いたと思って』 「っ鼻かんで忘れて下さいっ!」 すると、とうとう教授は電話の向こうで噴き出した。 『元気にしているようで何よりだ』 「何ですか、それ」 『実家へ帰ると言っていた時、随分と寂しそうにしてただろう』 当たり前じゃないですか。そう、言いたくて言えない。見透かされているのがなんだかとても悔しく感じたのだ。斎藤教授は、それさえも分かった上であんなことを言ったと言うのか。そして、私が帰省して、寂しい寂しいと泣いて電話するとでも思っていたのだろうか。私が。そう、私が。 誰の、誰のせいで寂しいと思っているんだ。間違いなくあんたのせいだ。…地元に帰って来たせいで普段は押さえているきつい口調も、思わず口を突いて出て来てしまいそうだ。荒っぽい子だって思われたくなくて、大学に入学してからこれまでずっと話し方だって気を付けて来た。けれど、思えばさっき思い切り叫んでしまったのは電話の向こうにも聞こえていた気がしてならない。 隣にいる幼馴染が面白そうに笑いながらじっとこっちを見つめている。「の話し方よ…」良いから静かにしていてくれ。 「それで、同情して電話してくれたんですか」 『何を拗ねているんだ』 「大人になれなくてすみませんね」 『…、今から出て来られるか』 「今実家だって言ったはずですけど」 何を考えてるんですか、と言いそうになってしまった。いけない、非の偏りは私の方が大きいのだ。八つ当たりなんて、拗ねるだなんて、…もうとっくにお見通しだけれど、これ以上可愛くない子になりたくなくて、ぐっと言葉を呑み込む。 『家の外だ』 「家?」 『ああ、家の前の道まで出て来てみるといい』 …ねえ、これって期待してもいいのかな。よくある、漫画やドラマの展開みたいに、私も期待していいのかな。 頬緩みっぱなしの幼馴染に携帯を繋げたまま預け、コートだけ引っ掛けて急いでブーツを履く。そして奪うように携帯を再び返してもらい、こけそうになりながら家の前の道にまで出た。そこには、一週間前に喧嘩するように別れて以来連絡の一つもしていなかった人物がいた。急に走ったせいで、驚いたせいで、ドキドキして止まない胸を押さえた。そして携帯をまだ耳に当てたまま、名前を呼ぶ。 「さい…っ、きょ、じゅ…っ!」 『…総司が、あんたのアドレスを勝手に赤外線でとった時に、住所も入っていたと…それで、あまり気分のいい別れ方をしなかったと言ったら押し付けて、だな………いや、』 「は、い」 『俺があんたに会いたかっただけだ』 目の前にいるのに、斎藤教授の唇が動いてからほんの少し遅れて携帯から聞こえる声。けれどピッという電子音のあと、斎藤教授は携帯をコートのポケットにしまって私の方へ歩み寄った。 「マフラーはどうした」 「あ、あわてて、て……ていうか、なんで…」 「それはさっきも言っただろう…」 小さくため息をつくと、斎藤教授は自分の巻いていたマフラーを外して私の首にぐるぐると巻いた。…こういうこと本当にするんだ、なんてどうでもいいことを考える。そうでもしないと、頭の中がこんがらがって今にも倒れそうだ。ドキドキしすぎて目眩さえ起こりそうな気がする。もしかするとこれは都合のいい夢なのではないかと目の前の人物を疑ってみるけれど、マフラーを巻き終えて離した手が僅かに頬を掠めた感触がなぜかやけにリアルで、嘘ではない、夢ではないのだと教えている。 「もう一回…」 「に、二回と言うか…!」 「私は言う!あ、会いたかったんです!帰って来てから一週間、ずっとずっと、会いたかったもん…っ」 恥も承知で面と向かって伝える。なんでもっと可愛い言い方ができないものか、自分で自分を恨むけれど、この際そんなことは構わない。言ってやりたいことは山ほどあるんだ。確かに非の偏りは私にあるけれど、少しくらいは斎藤教授にも非があるのだから。 こんな所までどうやって来たのかとか、どうやって家をダイレクトに突きとめたのかとか、ていうか教授こそ実家に帰らなくていいのかとか、いろんな疑問も浮かんでは来る。でもそれこそ二の次だ。目の前にいるなら言うべきことも、したいこともたくさんある。一週間ぶりなのだから、それはもうたくさんあるのだ。 「だ、大学とか高校の同窓会、あるんじゃ、て、そこで、綺麗な人いたら、私なんか、簡単に切られるかも、て」 「一体何の心配をしているんだ…」 「そんな人じゃないて、分かってても、」 「不安にさせたか?」 「めちゃくちゃ」 「そうか」 すまない。そう言うと冷たい手で髪をくしゃりと撫で、そのまま頬を撫でる。…もしかして、この辺りを随分うろついて探してくれたのではないだろうか。だとすれば、教授の手が今こんなにも冷たいのも頷ける。 心配なんてする必要はないのだ。私が余程酷いことをしない限り、多少の子どもっぽさは目を瞑って、というか気にしない人だから(寧ろ時折、私よりも独占欲が強いんじゃないかと思う時があるくらいで)。それでも、時に私の感情は常識を喰らって我儘になる。冷静になれば自分でも激しく後悔してしまうようなことは山ほどあるのだ。それをたった一言で許してしまうのがこの人だから、私の欲張りは直らないのかも知れない。 泣き出しそうな目元を、いつかのように親指でぐいっと拭う斎藤教授。ごめんなさい、と言うと、構わん、と言って小さく笑う。その表情がとても優しくて、また心臓が大きく跳ねた。 「の珍しい姿も見られたしな」 「え?」 「“返さんかあほ”」 「ひ…っ!!」 余程それが面白かったのか、顔を背けて肩を震わす。…やっぱり聞こえていたらしい私の暴言は、どういう訳か斎藤教授のツボにはまってしまっている。ああもう、これまで生きてきた中で最大の汚点だ。寒いからではない、恥ずかしくて真っ赤になる。今度こそこの人の前で地元の言葉を出すものかと、こんなにも肩を震わせる斎藤教授を見たことがないと思いながら強く誓った。 |