「亮介!今度の土曜ちょっとだけ、」 「一日練習。じゃあね、」 青道高校三年生、。これでもかの小湊亮介の彼女ですが、全戦全敗中。何がって、ちょーーーっとでも良いから話す時間が欲しいと声をかけて見るも毎度言いきる前にバッサリと断られてしまうのです。例えば、練習の後に少し話すとか、学校敷地内で良いから二人でぶらぶらするとか、そういうことが私はしたいのです。それだけでいいのです。何せ彼、小湊亮介くんは100名もの部員を抱える野球部のレギュラーなのだから。 十八年間生きて来た中で一番の勇気を出して告白した日、引退までは遠出とか放課後デートとか絶対無理だから、とあの笑顔で言われていた。私もそう欲のない人間だからそれは別段気にするようなことではなかった。 「だからって、は、話す、時間、さえ…」 「まー、野球部レギュラーの彼女って言うのはそういうもんだよ。だからよく付き合っては別れ付き合っては別れてる部員いるじゃん?誰だっけほら、二年の…」 「私は!そんじょそこらの女子とは違うの!亮介と話す!会話!それだけでいいの!いいのに!」 そういうささやかな願いすら叶えられないと言うのか。でもきっと、「話をしたいから」と言えば「話なら教室でしてるじゃん」とか言われそう。いや、絶対に言う。そういう性格なのだ、小湊亮介という人間だ。じゃあなんで好きになったんだとか、付き合ってんだとかよく言われる。「よりによってなんで小湊亮介なの?」と。「もしかしてとんでもないドM?」とさえ言われたことがある。 自分でもなんでだろう、と思うことはある。でも気付いたら好きだったし、気付いたら亮介の前では幼馴染かつ友人かつクラスメートの香澄以外に素で居られるようになっていた。安心、とは少し違うけれど、落ち着くというのかなんというのか。とにかく、言葉では言い表しがたいが、私は小湊亮介を好きな訳である。 「もしかして私、亮介に嫌われてる?」 「でも別れようとか言われた訳じゃないんでしょ?」 「そんなこと言われたら私干からびる。蒸発する。泡になる」 「それにメールも毎日してるって言ってたじゃん」 「うん…毎日…そう、メールは毎日」 ふうん、と項垂れる私の前で腕を組む香澄。私たちは規則の緩い写真部に所属しているため、多少の遅刻は遅刻にならない。幽霊部員もいるくらいで、真面目に毎日顔を出しているのは、部長・副部長と私と香澄の四人くらいだ。 とりあえず、部室に向かいながら日課になっている「部活怪我しないようにいってらっしゃい」というメールを泣きそうになりながら送る。もう定型文に登録されているため、数回ボタンを押すだけで送れてしまう。 「小湊って、どうでもいい相手にそんなマメなことする性格かな」 「え?」 「や、前に野球部の子からも“亮さんメール返事下さいよ!”て言われてたよ」 「なんて横着な…」 「は馬鹿か。だから言ってんの、は小湊にとって特別なんでしょ。だから毎日メールの返事が来る」 なのに嫌われてる訳ないじゃん。そう言いながらぺしん、と私の頭を叩く。ぐしゃっと乱れた髪を手櫛で整えながら、「そうなのかな…」と自信なく返事をする。 確かに、教室では話す。なんと幸運なことか今は席も隣だし、授業中に横顔を盗み見てみたり、休み時間は動かなくても話せるし、お昼だって野球部の人や香澄も交えて一緒したりしている。けれど、そうじゃなくて、二人だけの時間が欲しい。それはとんでもなく大きな欲なのかな。亮介にとっては、二人きりで五分だけでも話すということさえ重荷になっちゃうのかな。 「新入生が入ってきたばっかで忙しいんだよ、きっと。春の大会もあるでしょ」 「でもそうこうしてる間に次は夏だよ、甲子園予選だよ。合宿もあるんだよ」 「だから小湊は最初に言ったんじゃなかったの、“覚悟しといた方がいいよ”って」 「…うん」 分かっている。野球部がどれだけ大変な部活か。いや、想像するしかできないけれど。部活が終わって野球部のグラウンドの前を通って香澄と帰る時、いつも少しだけ野球部の練習を覗いている。そこにいる亮介は教室にいる時とはまるで違って、とても真剣な顔で、あの余裕さなんて少しもなくて、必死で、汗だくで泥まみれ。全国を狙うっていうのは、そういうことなんだって、感覚で捉える。私と話している暇があるなら自主練に充てたいんだろうと、それも察することができた。 それでも思う。寂しいって思うのは、話したいって思うのは、私だけなのかなって。もやもやしながら、写真部の部室の扉を開けた。 *** 「ごめん、帰りに用事できたから今日一人でいい?」 「うん。じゃあ私もうちょっと残ってくよ。また明日ね」 急いでいる香澄に手を振って、部長も副部長も、そして他の部員も帰った部室で一人、パソコン内の写真整理をする。私は花を撮るのが好きで、写真部のパソコン内にあるの私のフォルダには花の写真がずらりと並んでいる。春夏秋冬、休日はあちこちに出向いて写真を撮ってはこのパソコンの中へ。私たち写真部にとっての大きな行事と言えば、近所のショッピングモールや図書館で毎年行われる写真展示会への出展や、学園祭くらいだ。うちには校内新聞部があるから、野球部の記事は全て新聞部に持って行かれている。だから、私たち写真部がグランドに写真を撮りに行くと新聞部にあまりいい顔をされない。 それでも、と一度だけ香澄を無理矢理引き摺って撮りに行った野球部の練習試合。パソコン内の“”のフォルダの更に中にあるたった一つの“野球部”のフォルダ。そこには一度だけ撮影に行った練習試合のたくさんの写真がおさめられている。動く被写体を撮るのは慣れていなくてブレていたり、なんだかおかしなショットばかり。けれど、唯一気に入っているのは、バッターボックスに立った亮介の写真だ。これだけは部長たちのお墨付きをもらっている。 (練習見に行ったら…それも迷惑がられるのかな…) 小さく溜め息をついて、パソコンの電源を落とす。そして部室を出て鍵を閉めた。そのまま足は職員室へ。あとはいつも通りの道を辿るだけだ。野球部のグラウンドの前を通って家へ帰るだけ。今日もまだ亮介は練習しているのだろうか。少しでも見られたらいいのだけれど。そしたら、今日は香澄がいないし、携帯で写メでも撮ってやろう。話すことさえできないなら、それくらいは許されたっていいだろう。 そう思いながらグラウンドの前まで辿り着くも、そこに亮介の姿は今日はない。こんな日に限ってなんて不運なのだろう。肩を落としながらグラウンドから目を背けたその時、ぽん、と肩に手を置かれる。あまりに驚いて「ぎゃっ!」と叫んでしまった。その瞬間、頭頂部にチョップを喰らわされる。間違いない、これは。 「亮介!最低!!」 「こんな時間まで写真部ってすることあんの?」 「は!?」 「もう真っ暗なんだけど、ねえ、今何時か分かってる?」 「へ!?」 「仕方ないから今日は送って行ってあげるけど、明日からこんな時間に一人でほっつき歩いてたら許さないから」 「いや待って意味が分からない!え!?送るって、家!?」 「それ以外どこがあるの」 ちょっと待って、頭がついていかない。まだそこのグラウンドでは野球部員たちが練習していて、亮介も練習用のユニフォームのままで、あちこち泥だらけで、私を家まで送って行くとか、そんな馬鹿な。今、信じられないことが目の前で起こっている気がする。起こってはいけないことが起こっている気がする。 「あれ、自主練してるだけだから気にしなくて良いよ」 「え…」 「なに、二人っきりで話したいんじゃなかったの」 「なんでそれ…!」 「さあ、なんでだろうね」 飄々としながら私の手首を引っ掴んで歩き出す。手を繋いでるんじゃない、掴まれてるんだ。 もしかして、初めてじゃないだろうか。こうやって触れることとか、二人きりになることとか、亮介から声をかけられることとか。一体今日はどうしたというのだろう。あの練習も本当に自主練習なのか疑わしい。だとしたら、私は貴重な練習時間を亮介から奪っていることになる。 「あっ、あのっ!自主練、は!」 「帰ってからする」 「わ、私の家まで送って行くとか、時間の無駄に、」 「俺がしたいからしてるんだけどは何か文句でもあるの?」 「いえありません…」 なんだろう、彼氏と彼女と言うより主人と飼い犬みたいなこの感じ。けれど、確かに今、私と亮介は二人きりな訳で、ずっとこうしてほんの少しでも二人になりたかった訳で。それなのにいざ二人になると何を話せばいいのか分からない。沈黙のせいで、どんどん心拍数が上がって行く。暗いから分からないけれど、多分私の顔はいつもよりほんの少し赤いはず。 亮介も何も話さないし、私も何も話さない。そんな中、私の家が近付いて来る頃、急に亮介は足を止めた。 「…が」 「う、うん」 「が話したいことがあるって」 「えっあっいや、大したことじゃないんだけど…!」 「じゃあ何、話したいことって」 「え…っと……」 言葉が出て来ない。こう、いつもみたいな雑談がしたいと言えば良いだけなのに、そう言えば馬鹿にされそうで。野球部の話なんて聞いても素人私には分からないし。言葉を詰まらせていると、亮介は私を振り返らないまま、神妙な声で言った。 「別れたい?」 思わぬ言葉だった。一度も私の中にはなかった言葉だ。亮介と別れるなんて、そんなこと考えたこともなかった。亮介と付き合っている、それだけでもう奇跡のような出来事なのに、それを自分から断ち切るなんて、一度だって思ったことはなかった。でもそれが亮介から出て来たということは、亮介は私と別れたいのだろうか。毎日毎日、部活前に声をかけに行く私が鬱陶しくなったとか、メールが面倒臭くなったとか。 「……、だ」 「え?」 「そんなの、やだ!別れるなんてやだ!亮介が別れたくても、私が鬱陶しくても、面倒くさくても、可愛くなくてもぶさいくでも、私、別れるなんて、別れるなん…もごっ!」 「ちょっと、ここ道の真ん中なんだけど」 私の口を鼻ごと塞ぐ亮介からは、何か黒いオーラが出ている。ほぼ同じ目線の高さの亮介にこくこくと頷くと、ようやくその手を離された。それが、数時間ぶりの呼吸のように思え、ぜえはあと肩で呼吸をする。 あんな至近距離になんて、なったことない。あんな間近で顔を見たことなんてないし、声も聞いたことがない。それを今更になって思い出し、いきなり顔が熱くなる。亮介に背を向けて自分の頬に触れてみる。すると、思った以上に顔が熱かった。亮介を好きな自覚は当然あったけれど、免疫と言うものが全くないことに思いの外、衝撃を受けてしまった。 「に別れる気がないなら、それでいいよ」 「へ…」 「俺も別れる気、ないから」 「ほ…ほんとに!?嘘じゃない!?」 「あと大事なことは二回は言わないから」 「う、うん……うん!」 じゃあゆっくり帰ろうか。そう言って、今度は手を差し出される。その手の上に、緊張しながら私の手を乗せる。さっきよりも落ちた歩調と、機嫌の良さそうな背中。なんだかよく分からないけれど、とりあえず私と亮介の間には、特に大きな問題はないと考えて良いらしい。 亮介は、嘘をついたりしない。それだけはよく知っているから。繋いだ手からじんわりと、亮介の気持ちも流れ込んで来るみたいに感じた。亮介もちゃんと、私のことを考えてくれていたんだって。 いつも通っているはずなのに、亮介とは初めて通るこの帰り道が、とても特別なもののように思えた。 |