成宮鳴。うちのクラス…というよりは、うちの学校ではその名前を知らない人はいない、野球部のエースだ。正確には多少難があるものの、野球部のエース、それだけで彼は相当モテる。この間もチア部の子に告白されていたり、二つ向こうのクラスの子に告白されたと聞いた。 でもそう言う子たちは大抵、成宮がどれだけ面倒臭い性格かを知らない。エースナンバー1を背負う成宮しか知らない女の子たちは、ちやほやされるのが好きな成宮に群がるけれど、私だったらごめんだ。というのも、私は成宮のことを中学の頃から知っているからだ。ちょっとでも自分の思う通りに行かないとすぐにへそを曲げるし、我儘だし、ああいう末っ子気質は私とは馬が合わない。 今日も朝から成宮についての愚痴を言っていた。 「とか言っても、結局成宮の世話焼いちゃうのがだよねえ…」 やれやれ、と言った風に隣の席のが言った。とは2年に上がって知り合った仲だが、出会ってすぐに意気投合し、今ではすっかりクラスの中では二人で一人のような扱いを担任からもされている。つまり、私と成宮の諸々も全て筒抜けな訳だ。中学三年間も、そして高校に入ってからもずっと同じクラスであると言う、腐れ縁という以外ないような私と成宮の関係を。 「焼いてないし」 「昨日も助けてあげたんでしょ?」 「巻き込まれたと言って欲しい…」 そう、昨日も練習前にギャラリーの女子たちに絡まれていた所を偶然通りかかってしまい、「おっいい所に!」なんてギャラリーの遠巻きにいた私に声をかけて来やがったのだ。女の子にちやほやされるのが好きな癖に、たまに「面倒臭い」なんて気まぐれに私は巻き込まれてしまうのだ。「ごめんちょっとに呼ばれてて〜」とかなんとか言って私を平気で野球部のグラウンドまで引き摺って行かれてしまった。なんて自分勝手な奴なんだ。もうあの、女の子たちの恨めしそうな顔と来たら怖いのなんの。 「ー!宿題見せてー!」 「何、またやってないの」 「古文意味不明!」 「はあ…」 ほら、と言ってノートを差し出す。すると「ありがとなー!」と陽気に言いながら自分の席へ戻って行った。古文は午後からだから昼休みにでもノートは返って来るだろう。中学の時はまだこれほどではなかったが、高校になってから「宿題見せて!」率がとんでもなく上がった。これで一体何度目のやり取りになるやら、数えるのも馬鹿らしい。 私に野球の云々は分からないが、とにかくうちの高校の野球部は東京三強に名前を並べるくらいだから、成宮は進路には悩まないのかも知れない。多少成績が悪かろうと赤点さえとらなければ先生も監督も何も言わないらしいし、そもそも彼ら野球部は私たちと違って野球をするためにこの高校に来ているのだ。 そういう、部活に本当に一生懸命であることをなまじ知っているため、成宮に甘い所があると言われれば、ある。 「ほらまたそうやって成宮甘やかすー」 「あー、うん、そうねー…」 「、損してるって分かってる?」 「損?」 思わぬ言葉がから飛び出す。損、損、と頭の中で繰り返した。そう言えば、別にそのようなことは考えたことがなかった。成宮があれしてこれしてそれ貸してあれちょうだいなんて言って来るのはいつものことだし、もう習慣の一つのようになっている。慣れとは、恐ろしい。 「私だったら宿題見せるごとに何か見返り貰うね」 「さすが」 「いやがズレてんのよ。あとで成宮がノート返しに来る時になんか要求してみたら?」 「要求して呑むような性格の成宮だと思う?」 「やってみないと分からないでしょ」 だったら言えるんだろうなあ、と頭の端を掠める。だがもう中学時代と合わせて五年、こんなことを続けて今更「ノート見せてやったんだからどれそれ奢りなさいよ」なんて言えそうにない。そこでまた機嫌損ねてへそ曲げられたら余計に面倒だ。 ピッチャーは気持ちを顔に出してはいけない。それは野球ド素人の私でも聞いたことのあるフレーズだ。だが成宮はどうだ。我儘放題じゃないか。練習試合を何度か観に行ったことはあるが、途中で交代させられると途端にぶすくれた顔になる。「こりゃあ監督もキャッチャーも大変だわ…」と溜め息をついた覚えがあった。そんな成宮に「ジュース奢りなさいよ」「お昼にパン奢りなさいよ」なんて言えるだろうか。あの我儘末っ子めが。私は長女だから余計に分かる。しかも成宮は拗ねたら長い。 「私思うんだけどさ」 「うん」 「成宮ってのことめっちゃ好きじゃない?」 「はァ!?都合の良いパシリくらいにしか思ってないでしょ」 「いや、私の見立ては結構当たる。成宮がに絡んで来る時、絶対テンションいつもより高いから」 いつも高いんだけど。そう言いたかったが、丁度予鈴が鳴ってしまったため、そこで会話は中断される。 そこからは授業に集中できなかった。さっきが言っていた「成宮はが好き」っていうのは、つまり、そういうことなのだろう。友達だとか、クラスメートだとか、そういう意味でではなく。そう思うと急に頭の中がぐるんぐるんして来た。だって、あの成宮だ。私を一度として女の子扱いしたことないし、時には男子より酷い扱いをされたりもする。 私の斜め前の成宮の後ろ姿をじっと見つめる。ああ、またうとうとしている。あんな、何も考えてなさそうな―――いや、野球のことしか考えてなさそうな成宮が、恋愛沙汰なんてあるのだろうか。いやまあ、女の子にちやほやされるのは好きだ。誰かに告白される度にニヤァと笑いながら私に報告をして来るくらいには、満更でもないらしい。「ああそう、よかったねえ」というテンプレートな返事しかしないことを分かっていながらも、成宮はいつも言いに来る。ついでに「ちなみにそのチア部の子は可愛かったんだけどさ〜」なんて感想付きで。 (……うん?) 例えば、だ。私の自意識過剰も自意識過剰かも知れないが、仮にだ。仮に、の言う通りだとして、これまでの成宮のそういう、「また告白されちゃったよ」報告は私に対する何かしらのアピールなのだろうか。いやいや、そういうのを自慢したがりの成宮だ、チームメイトにも言い触らしているだろうし、の予想は外れて私じゃなくてへのアピールかも知れない。知れない、が。 さっきはうとうとしていたかと思えば、はっとして何やら内職を始める。おい、それ私の古文のノートな。見つかったら私のノートなのに没収されるやつな。 席がせめて隣とか前だったらガツンと椅子を蹴って「授業中はやめなさい」と止めるのだが、如何せんここからでは睨むことしかできない。とにかく先生に古文の宿題を写している所がばれてしまわないことを祈るしかない。…なんで私はこんなに成宮のことで悩まないといけないのか。 「じゃあもう貸さなけりゃいーじゃん、手っ取り早く」 昼休みになり、悶々とした気持ちで午前の授業を受けていたことをに話した。まあ確かに、彼女の言うことも一理ある。けれど問題はそこではなくて。 「、ノート返す!」 「…そりゃ、どうも」 そう言っていつも通り受け取る。大体成宮は、「ありがとう」をあんまり言わない。これはもう諦めた。この鼻もプライドも高いワガママ王子にお礼を言われようとするなんて、あまりに無謀なのだ。 そう、そこまではいつも通りだった。しかし今日はから無言の圧力がある。「言え、言うんだ、ジュースでもパンでもお菓子でも何でもいいからたまには奢れって言うんだ」と目が訴えている。同じ女子に対する例えではないが、猛禽類のそれによく似ている。 成宮との間で板挟みになるも、どっちが怖いかと言われれば、断然だ。 「な…るみや!」 「ん?」 「あ、あのさ」 「おー」 「たまにはお礼しなさいよ」 よくやった、とは私の脇をつつく。ていうか私も何なんだ、「お礼しなさいよ」って。女王サマか私は。成宮がワガママ王子なら私は上から目線の女王サマか。 あっこれ終わったな、と一瞬終わった。ぴくり、と成宮の片眉が上がったからだ。機嫌を損ねたかも知れない、怒ったかも知れない、まずい、ものすごく面倒臭い―――色んな言葉が瞬時に頭の中を駆け巡る。しかし、私の予想していた最悪の展開とは裏腹に、にやり、と成宮は笑った。いや、笑ったと言っても怖い部類に入る方の笑いだ。何か、含んでいるような。 「まあまあ、そのノート見とけって。それでチャラな」 「は、ちょっと成宮!」 びしっと人差し指でノートを指すと、制止の言葉も聞かずに教室を出て行ってしまった。本当に人の言うことを聞かない。 思わず立ち上がったまま固まった私の古文ノートを、は先にぱらぱらと捲る。そして、突然「ぶっは!!成宮やっば!!」と笑い出した。訳が分からず、ノートを離さないまま笑い続けるからノートを奪い取る。ちょっと皺が寄ってしまっている。まあいい、それくらいは許容範囲内だ。成宮にテスト前ノートを貸すともっと酷い状態になって返って来ることがあるのだから。 私もに続きノートを捲って行った。悪戯か何かをするのだとしたら、多分今回の宿題の最後のページだろう。そこまで辿り着いて、私は手をぴたりと止めた。ついでに息も止まった。唯一心臓が拍動する音だけが聞こえてくるようだった。 確かに私のものではない酷く雑な筆跡で書かれた一言に、私は体温が急上昇する。 ―――稲実のエースが惚れたんだから光栄に思えよ! 何だこれ、何だこれ、何だこれ。見返りでも何でもないじゃないか。こんなふざけた告白があるか。あってたまるものか。 「あっはははは!さすが成宮、一味も二味も違うわ!」 「笑い事じゃないって!」 「だから言ったじゃん、成宮ってのことめっちゃ好きだよって!」 「だからってこんな、ふざけて!からかってんじゃないの!」 「確認して来たら?教室出たとこの廊下にいるでしょ、成宮のことだから」 「あぁもうっ!」 成宮!!―――叫びながら教室の扉を開けると、の言った通り、成宮は廊下の壁に凭れていた。そして、私の顔を見て不敵な笑みを見せる。こんな顔、知らない。私の知ってる成宮はこんな顔をしない。 若干熱くなった頬。どくんどくんと早鐘を打つ心臓。そんな私に近付きながら、成宮は言った。 「チャラになっただろ?」 |