最後の約束 会議が終わると必ず医務室に立ち寄る。今日会議があることを知っているは、きっと今頃、茶の一杯でも用意しながら待っていることだろう。そう思い医務室の扉を開ければ、薬品独特の臭いの奥から微かに甘い香りが漂う。そして、ティーカップを片手には笑って言った。「会議お疲れ様でした」と。すっかり俺の定位置となった医務室の椅子に座り待っていると、紅茶を注いだカップを俺に手渡す。同じカップを手に、はすとんと隣に腰を下ろした。そしてぽつりと言う。 「今でも覚えているわ」 は大抵、いつも唐突に話を始める。しかも要領を得ないものだ。そうしてあれこれと話し出す。けれど決まってそこに未来の話はない。いつも過去の話だ。俺たちが未来の話をしても何の意味もない、それを俺たちはよく知っている。戦場の最前線に立つ俺も、生死を彷徨う兵士の一番近くに立つもだ。 「過去最悪の大怪我をして壁外調査から帰って来た時があったわね」 「ああ…あの時か」 「その時、ボロボロになりながら言ってくれた」 もうこれ以上の怪我はしない―――初めて俺と言う怪我人を前に泣きそうな顔をしたに、唯一俺が言うことのできた“未来”の話だ。未だ、その約束を破ったことはない。さすがに、あの時は俺も死が一瞬頭を過った。いや、いつ誰が命を落としてもおかしくない壁の外、常に死と隣り合わせなのは分かっていた。けれど何があろうとあの壁の外で生きるのだと、それまでは死ぬわけにはいかないと使命感を背負い、なぜか生きて帰れると思っていた。 「あれ以上の恐怖を、感じたことはなかったわ」 「…そうか」 もで辛い思いは山ほどしているはずだ。医務室職員になるまでだって、決して平穏に暮らして来た訳ではない。それなのに、俺の怪我以上の恐怖はないと言い切る。 また約束を破る訳にはいかなくなってしまった。俺とは基本的には何の約束もしない関係だ。一応恋人同士という関係ではあるが、将来の約束も何もしていない。ただ、今現在恋人であると言うだけで。自由と言えば響きは言い。束縛も何もない。けれど、指輪の一つも贈ってやることのできない俺を、はどう思っているだろうか。そういった形あるものに縛られることで、俺に万が一のことがあった時ににとっての重荷になってはいけないと、そう思う自分がいる。 だから、俺たちの間に約束はない。たった一つを除いては。 「リヴァイ、今日何の日か知っている?」 「いや…」 「あなたが、あの約束をしてくれた日よ。私に初めて、そして最後の約束をくれた日ね」 は賢い女だ。全てを見通している。自分自身のことも、俺のことも全て。だから、笑う。俺が見たいのはの笑っている姿だと言うことを知っているから、たとえ俺の機嫌が悪かろうと、疲れていようと、何があっても俺には笑顔を見せる。これだけ出来た女、俺の傍に置いておくなんて本当は勿体ないくらいだ。もっとまともな男の所へ行けばきっと幸せになれるはずなのに。あのたった一つ以外の約束をくれてやることのできない俺の、一体どこがいいと言うのだろうか。 「あなたからは、それ以外何も要らないわ。あの約束一つで、私は生きて行けるから」 は強い。そんなことを言うから、言ってくれるから、俺がを手離せなくなってしまっていたんだ。は物理的な距離ではない一番近くにいて、振り返れば笑って背中を押してくれ、転んでいれば一緒に立ち上がってくれる。きっと何があっても、例えば情けない所を見せたとしても、見捨てたり離れて行ったりしないだろうと。俺に失望することはないだろうと。 を守るつもりが、いつの間にかに支えられていた。 「」 「うん?」 「お前がいて良かった」 「ふふ、今日はなんだかおかしな人ね」 そう笑ってくれることが、どれだけ俺の救いになっているか、が知る日は来ないのだろう。そう思いながら、残りの紅茶を一気に飲み切った。 |