風光に消える

 恋人と瓜二つ、いや、全く同じ顔だが全く別人が現れた。容姿はコピーしたかのように同じの癖に、見せる表情のためか雰囲気はまるで違う。どこか私を馬鹿にするように口角を上げ、薄い笑みを浮かべている。

「君だってこちら側のはずなのに」
「私はソレスタルビーイングの人間です」
「分かってないだけだよ、ティエリアと同じで」

 やはり知り合いか。推測が事実となった。
 最近ティエリアがおかしいのは、目の前の人物に会ったからなのだろう。そしてあの潜入捜査からこっち、ティエリアはますます様子が変だった。訳を聞いても話してくれず、ずっと心配していたのだが、そんな折り、頭の中に誘いの声が響いた。そう、この人物からの誘いだ。もし彼がもっと厳重に武装して来ていたなら、私の命はなかったかも知れない。なぜなら私もほぼ丸腰だからだ。「話がある」との言葉に応じたのは一種の賭けだった。だから彼が非武装で現れたのを見た時には、密かに胸を撫で下ろした。

「君たちはなぜそっちに居たがるの?人間なんていう愚かな生き物の中に」
「私たちだって愚かなことに変わりはない」
「でも最早ソレスタルビーイングはイオリアの計画から外れている」

 馬鹿にするように肩を竦めて笑って見せる。確か名はリジェネ・レジェッタと最初に名乗っていた。生憎彼らの仲間になるつもりは毛頭はないので、名前を教えられた所で特に意味はないのだが。
 私は視線をリジェネ・レジェッタから空へ移した。抜けるような晴天とはこのようなことを言うのだろうか。風は強いが日差しは暖かいため寒さは感じない。強く風が吹く度に、一面に広がる緑の匂いが鼻を擽る。その自然の全てを、瞼を閉じて感じる。宇宙育ちの私にとっては、何度でも何もかもが新鮮に感じるのだ。そんな私を益々愚かしいとでも言いたげに、先程までとはうってかわって、リジェネ・レジェッタがこちらを睨んで来た。

「君たち二人は間違っている」
「何が間違ってるとか、何が正しいとか、そんなの誰にも分からない」
「いや、君だっておかしい。人間に何を言われたの?何を許したの?」
「そんなの…」

 ティエリアに聞いて、と言おうとしてやめた。確かにCBに残ることに決めたのは私だ。けれどその最大の理由になったのはティエリアだ。私だってティエリアがあんなにも変わった理由がやはりまだ分からない。分からないから傍にいて知りたかった。そして触れて知った体温に、いつの間にか恋しいという気持ちが生まれたのだ。私は間接的に影響を受けただけで、直接何かを受け取ったのはティエリア。やはり今の私はまだ人間になりきれていないと思い知らされる時はある。まだ全てが自分の中でも消化しきれず、疑問にぶつかることは度々だ。だから目の前にいる相手の言うことは手に取るように分かった。けれどそれでも決定的に違うことがある。

「人間でないものが人類を導くことはできない」
「だから人間になりたいのかい?あははっ!滑稽だよ!」
「じゃあ貴方は哀れだね」
「…哀れ?」
「そう。愛すること、愛されることを必要としない貴方は哀れでしかない」

 少なくとも、私はもっと色々な気持ちを知っている。愛しいということも、寂しいということも、恋しいということも、苦しいということも。目の前の彼よりはずっと様々な感情を知ったのだ。リジェネ・レジェッタは知らなさすぎる。きっと彼自身がまだ自分のことをよく知らないのだ。脳量子波など人間関係を築く上では何の必要もないことを、何の役にも立たないことを、きっと彼は知らない。

「愛だとか何だとか、下らないよ」
「その下らないもののために争いは起きる。貴方が知らないだけ。だから私はそっちには行かない」
「感情なんかに振り回されるつもり?」
「少なくとも貴方たちが感情を軽んじている間は、何の魅力も感じない」

 すると、苦虫を噛み潰したような顔をした。なんだ、そんな表情もできるんじゃない、と気付かれないようにため息をつく。
 そうか、彼はまだ子どもなのだ。自分のいる籠の中しか知らない子ども。まるで、外の世界に興味を持たず、母親の元を離れようとしない小さな小さな子どものよう。外を知らなければ自身の足元の正誤を問うことはできない。比較ができなければ本当の価値すら分からないのに。

「私はそっちには行かない」

 再度、念を押すように言った。曲がらない私の意思を汲み取ったのか、リジェネ・レジェッタは愕然としてそこに立ち尽くした。そして体の力が一気に抜け、その場にへたり込む。私はゆっくり近付いて地面に膝をつくと、彼の頭を腕に抱いた。

「ごめん。でも、ティエリアも渡さない」
「嫌だ」
「私だって嫌だ。私はもうティエリアなしでは生きられないから」
「僕だって、」
「イノベイターの哀しきは、対の存在がいること。対の存在がいればそれで満足してしまうんだ、きっと。他には要らないって。だけどそれは大きな間違いね」
「じゃあ君がこっちに来てよ。ティエリアも来ればいい」
「それは無理。ティエリアはもう、人間に根を張ったから」
「君は?」
「私ももうじき根付く」

 人を引き込もうとする癖に、自分は動こうとしない。その姿は、外界を恐れる子どもと同じだ。リジェネ・レジェッタも、既にイノベイターというプランターに根を張っている。苗ではなく成長したそれを植え替えるのは容易なことではないのだ。私ももう、今更別のプランターへ移ることはできない。けれどそれを後悔してはいない。一人ではないから。

「本当は貴方だって知っている」
「何を」
「イノベイターだって一人じゃ生きられないことを」
「………………」
「だから私やティエリアを引き抜こうとした」

 ごめんね、ともう一度呟く。すると意外にもリジェネ・レジェッタは私を抱き返して来た。しかし驚いてバランスを崩した私はそのまま前に倒れ込んでしまった。地面にぶつかる、と思い目を閉じたが、リジェネ・レジェッタが受け止めてくれたらしく、どこも打撲せずに済んだ。彼の方も、剥き出しの地面ではなく草花の生えているお陰で、ダメージは少なくて済んだようだ。そのまま私が上体を起こすと、ティエリアと全く同じ、ルビーのような紅と目が合った。何を言いたいのか読めない表情に、私も黙ってしまう。

「謝らないでよ」
「え?」
「どっちが正しいわけでも間違ってるわけでもないんだったら、謝らないでよ」
「うん」
「僕を一人にさせることに負い目を感じるのなら、ティエリアを捨ててこっちへ来る覚悟くらいしなよ。そんな中途半端な気持ちで僕と敵対することは許さない」
「…うん」

 そしてようやく起き上がり、身体中についた葉っぱや土を手で払う。少しの間見つめ合うと、どちらからということもなく背を向けて反対方向へ歩き出した。一度だけ振り返ろうとしたが、やっぱりしなかった。きっとそれすら脳量子波なり勘なりで気付いて、また小言を言われるだろう。だから振り返らない。

「誰と会っていた?」

 リジェネ・レジェッタの姿など随分前に見えなくなるほど歩き、待ち合わせていた場所に着くとティエリアがいた。少し不機嫌そうに腕を組んで立っている。私は小さく笑って駆け寄ると、体当たりでもするようにティエリアの胸に飛び込んだ。

「ただいま」
「答えになってない」
「帰って来たからいいでしょ?大方予想どおりだから」

 私の言葉に盛大な溜め息をつくティエリア。くすくす笑って離れると、背伸びをしてキスをせがむ。その時、また強く風が吹いて互いの髪が流れた。耳元を切っていく風の音は、さっきまで会っていた彼の泣き声のようにも聞こえた。


(2009/6/19)