やかな忘却

 すり抜けて行くの。掴みかけた幸せが、全て流れ落ちて行くの。あの目も、あの手も、あの腕も、あの声も、あの唇も。全てが記憶、過去の堆積物になって行く。嫌だ、まだ思い出なんかにしたくない。そう思えば思うほど、あの体温を私は忘れて行く。どんな風に笑い、どんな風に触れたか、私の幸せを型どっていたものが、段々と遠ざかって行く。消えかける。あなたを取り戻すためなら何だってしたのに。
 ねえ、あなたは誰よりも人間だったよ、ティエリア。誰よりも人間で在りたいと願い、人間からかけ離れていく私とは違って、人間らしくなって行った。あなたになら、私の残りの命を引き渡したって構わなかったのに。
 もうあなたは、いないんだね。


(2009/6/5)