とは高校三年の冬から付き合い始めた。お互いの進路が確定した頃だ。結城は都内の大学に進学したが、一人暮らしを始めた。片や専門学校に進学したは実家暮らしのまま。しかし、実家よりも結城の住むアパートの方が学校に近いからと、は度々泊まりに来ていた。さすがに結城の試験期間やの実習期間にはそれはなかったが。
 しかし朝晩を冷え込むようになった秋のとある日、日付も変わる頃に帰宅すると、実習期間中であるはずのがなぜか結城のアパートにいた。既にシャワーも浴びたらしいは、ローテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。このままでは風邪を引いてしまう、と半ば呆れながら荷物を床に置くと、その小さな物音では目を覚ましてしまった。

「あ…おかえりー…」
「実習中は来ないんじゃなかったのか」
「んー…そうだねえ…」

 半分寝ぼけているは、間延びした声で返事をする。そして首をぐるりと回すと伸びをして唸った。そして「まあ、哲也くんもシャワー浴びて来なよ」などとこの部屋の主のように言う。このままを放っておいていいのか悩んだが、寝ぼけている割に目が「早く入れ」と訴えていたので大人しくシャワー室へ向かう。
 洗面台に並んだ二つ目の歯ブラシ。結城の使うはずの無いクレンジングや洗顔料、化粧水なども洗面台の隣の棚に並んでいる。部屋の隅にはいくつか女物の服が置いてある。それらは全てのものだ。半分同棲とまでも行かないが、それなりの頻度で泊まりに来ていれば、の私物も増えて行く。最近ではローテーブルの上に専門書が置かれていたことまである。間違いなくが学校で使うものだ。
 けれど、全く嫌な気はしなかった。そこかしこにを感じるようで、咎めようと思ったことは一度もない。寧ろこうして、疲れて帰って来た時にに「おかえり」と言ってもらえることで、疲れなど吹き飛んでしまうくらいだ。だから、結城の試験期間が終わってもの実習期間が始まると会えない時間が長くなり、それなりに滅入ったり寂しくなったりすることがある。恐らくそれはも同じだろう。その証拠に、その間にから届くメールの数は急激に増える。かなり分かりやすい。

(…そういうことか)

 お互いが忙しい期間は決して邪魔をしないこと。これは二人の間で決めたルールだった。それを、この三年間一度も破ったことはない。けれど、初めての方が約束を破った。普段はへらへらしているが実はちゃんとしっかりしていて、約束なんて破ったことがない。寧ろ結城の方が突然練習が入ったりオフになったりと、を振り回してばかりいる。だから今回の件もを責めたり問い質すつもりは毛頭ない。
 そんな忙しい時期であるが今、結城の部屋に来たのはきっと何か理由がある。何せ分かりやすいだ、逆を言えば何もないはずがなかった。さっきもへらりと笑ってはいたが、目の下には隈ができていたし、元気もなさそうだし、寝起きとはいえいつも通りの笑顔ではない。


「早いね、もっとゆっくり入って来ていいのに」
「待たせると悪いかと思ってな」
「勝手に待っているだけだから気にしないでよ」

 そう言うと、立ち上がってやや覚束ない足取りで結城の元へ近付いて来る。そして結城の手からタオルを奪うと、はめいいっぱい背伸びをして結城の髪をがしがしと拭いた。
 ちゃんと拭かないと風邪引くよ―――結城の顔を覗き込みながらは言う。その瞬間、からふわりといい香りがする。きっとが持ち込んでいるシャンプーの香りだろう。これがなかなか厄介なもので、もう恋人と言う関係になって三年は経つと言うのに、未だにこの香りには慣れない。悪い意味ではなく、良い意味で心臓に悪いのだ。
 は満足したのか結城の髪を拭き終えると、「タオル置いて来るね」と言って結城から離れる。こんな時間に、眠いはずなのに、疲れているはずなのに、いつもこうしては気を遣う。タオルくらい自分で洗濯かごに放り込むし、髪だって自分で拭ける。に心配されなくてもこれくらいで風邪をひくような柔な体なんてしていない。心配なのはの方だと言うのに。

「待て」

 脱衣所に向かおうとするの細い手首を掴んで引き留めた。また、は痩せた。

「何か用があるんじゃないのか」
「いや…別に、特別何かは…」
「でも何かあるんだろう」
「…哲也くんには敵わないなあ」

 変な所で鋭いんだから。覇気のない声で悪態を吐くを、結城は後ろから抱き締めた。自分よりずっと小さく華奢な身体。少し力を入れれば、手首なんて簡単に折れてしまいそうだ。けれど、結城とは違ってちゃんと女性特有の柔らかさを持っている。それを言うと「デリカシーない!」などと怒られてしまうが、結城は抱き心地の良いこの身体が好きだった。けれど、前回抱き締めた時より確実に痩せている。結城も大学の野球は思った以上にハードだと感じているが、で相当ハードな毎日を過ごしているのだろう。自分の弱い所をあまり見せたがらないは、本当に最後の最後にしか結城の所へやって来ない。高校時代はあの多人数を抱える野球部の主将をしていたのだ、一人を抱えるくらい何ともないというのに。

「いろいろ、あったんだけど」
「ああ」
「哲也くんの顔見たら吹き飛んじゃった」
「嘘だろう」
「本当だよ。まあ、強いて言うなら抱き締めるだけじゃなくてキスして欲しいけど、なんて……んっ」

 冗談めかす前に、身体ごとこちらを向かせての唇を塞ぐ。に制止の声を出させる隙もなく、何度も何度もキスをした。それはもう、押し付けていると言ってもいいくらい強引に。
 本当に求めていたのは自分の方なのかも知れないと、ふと思った。でいつもと様子が違い変だが、自分もいつもと同じようでいてこんなにもに触れられることに幸せを感じる。
 二十歳を越えはしても自分たちはまだ学生で、未熟で、欠けている部分だらけだ。だから求め合うし与え合う。会わない期間も今は大切かも知れないが、それにしては今回は長過ぎたのだ。結城の試験期間と入れ替わりにやってきたの実習期間。しかも最終学年であるのこの一年は殆どが実習で、これまで以上に結城の部屋へ泊まりに来る回数がぐっと減った。まるで欠乏症のように、寂しさが二人を襲っていた。

「哲也くん」
「何だ」
「やっぱり、会いたくなったらここに来ても良い?邪魔はしないから」

 控え目にぼそぼそと訊ねる。そんなの額にまた一つキスを落として、「当たり前だ」と答える。そうして今日一番の笑顔を見せたを、結城はめいいっぱいの力で抱き締めた。








(2014/10/08 結城先輩誕生日おめでとうございます…!)