そんなロマンチストじゃないけれど、これは奇跡か運命か、と思った。部活帰りにコンビニで遭遇したのはあの“姉ちゃん”―――サンだったのだ。たった一度、雷市に弁当を届けに来ただけの雷市のお隣さん。サンからすれば俺はただの雷市のチームメイトで、もしかすると顔すら覚えていないかも知れない。いや、その可能性の方が高い。何せ、あの時はかなり距離があったから。それでもちゃんとさんの顔を覚えてる俺と来たら、と乾いた笑いが漏れる。
 パンの棚の前でかなり真剣な表情をしているサン。それがあまりにおかしくて思わず小さく噴き出すと、こっちを見られてしまった。やばい。

「す、すんません」
「あれ…?君、確か雷市の先輩?」
「へ!?覚えててくれたんっすか!?」

 身を乗り出して訊ねると、あの時と同じように明るい笑顔で「あははっ」と笑って見せた。相変わらず向日葵のように笑う人だ。こんな笑顔を前にドキっとしない高校生男子がいたら見てみたいくらいだ。

「覚えてるよ、近くで見るとますます背高いね。それに雷市からもよく話聞いてるし」
「はは…そりゃアテになんないすね」
「んーん、すごい先輩がいるんだぞーって自慢げに言ってたよ」

 雷市のことだ、擬音とフィーリングで言っているに違いない。すごいって何がどうすごいかは伝えてないんだろうなあ、と簡単に想像がつく。
 それにしても、サンはかなり気さくな人だ。悪く言えば危機感がないってことなんだけど、まあそれも魅力の一つと言うか。この時、頭の片隅に“庇護欲”という言葉が浮かび上がる。すげぇ言葉だな、という理由だけで覚えていた言葉だ。サンは雷市からみるとしっかり者の頼りになるお姉ちゃんなのだろうが、こうして見ると体は華奢だし、そのせいか危なっかしそうに見える。

「えーと、真田くんだっけ」
「そこまでご存知ですか」
「うん、轟のおっさんもべた褒めらしいしね」
「おっさん…」

 サンでもおっさんとか言うのか。口が悪いとかそういうのじゃなくて、あまりに意外な単語が、言わなさそうな単語が飛び出したため驚いてしまった。
 話せば話すほどさんは“普通”だ。普通の学生で、普通の女の子で、顔も普通、スタイルも抜群にいいかと言われれば普通(あ、でも腕は綺麗だな)。そんな至って普通なサンにどきどきしている自分がいる。どうしても頭から離れないのは、この人の笑顔。自分より年上の人に使う形容詞ではないかも知れないが、こんな無邪気な笑顔は見たことがないのだ。
 うっかり長話してしまったが、そう言えばサンはパン棚の前で悩んでいたのだった。

「ところで、何悩んでたんですか?」
「明日の雷市のおやつ、何にしてあげようかなって」
「お弁当以外におやつまで…」
「轟のおっさん、雷市に碌にご飯食べさせてあげないからねえ…。成長期の男子高校生は食べても食べてもまだ食べるし」
「はは、まあ確かに。こぶし大のおにぎり四つ、ぺろっと食べましたからね。更にバナナも…」
「えっ!待って待って、アレ見たの!?」

 途端に焦り出すサン。その顔は真っ赤だ。うわ、そんな顔するとか卑怯。ていうか、俺、何か悪いことでも言っただろうか。あのおにぎりは確かに驚く大きさと具だったが、そこまで恥ずかしがるようなものなのか。

「やだー…真田くんにまで見られていたなんて…」
「いや別に、何とも思ってませんって」
「だって真田くん、料理得意だって雷市が言ってたんだもの。そんな人から見たらあんなのお弁当じゃないでしょ…」

 雷市の奴、そんなことまでペラペラ喋ってんのか。これはうっかり雷市と雑談できなくなって来たぞ。
 けれど、雷市はあのおにぎりをご馳走のように喜んでいたし、美味しい美味しいと言って完食していたし、それでいいんじゃないのか。事実、サンは忙しい中であれを作ってくれていると雷市も言っていた。きっと専門学生なんて自分のことで精一杯だろうに、加えて身内でも何でもない雷市のことまで気にかけている。それだけで十分だろう。それに、あのゴロゴロおにぎりが羨ましく思えたのも事実である。まあそれは俺がサンにちょっとばかり気があるせいかも知れないけれども。

「だからと言って普通のお弁当作るだけの余裕はなくてねー…」
「良いと思います」
「でもなあ…もっと良いお弁当作ってあげたいのも山々で」
「雷市、喜んでましたよ。それが答えなんじゃないっすかね」
「…真田くんでもあんなおにぎりもらって嬉しい?」

 突然、俺への質問に切り替わる。予想だにしない展開に思わずどきっとする。けれど、反射のように口から言葉が飛び出して来る。

「当たり前ですよ!」

 笑ってそう答えると、サンも「そっか」と言って白い歯を見せて笑った。本当は「俺も作ってもらいたいくらいです」と続けて言いたかったが、さすがに言えない。俺はサンにとっては“弟の先輩”くらいの人間なのだから。いくら雷市から話を聞いていようと、まだ“知っている”程度の関係。
 何とか進展しないものか―――そう考えている内に、「決めた!」と言ってパンを二つ、カゴに放り込んでレジに向かうサン。何となく用もなくコンビニ立ち寄った俺も、ここまで来て何も買わない訳には行かず、水を一本手に取ってレジへ。
 さて、ここからだ。言え、言うんだ俺。進展させたいんだろ、サンとの関係を。

サン」
「なに?」
「もう遅いし、家まで送りますよ」
「え、方向大丈夫?逆じゃない?」
「同じっす」
「じゃあ…お願いしちゃおうかな。いつも帰り一人だし嬉しいなあ」

 きっとサンにとっては何でもない言葉、意味を持たない軽い言葉。けれど俺にとっては重い重い一言で、“嬉しい”というだけの言葉が胸の真ん中に居座る。
 ああもう本当に、どこかにこの人の笑顔を一人占めする方法はないのか。そんな風に悩む俺のことなど露知らず、「じゃあ帰ろっか」とサンはコンビニのドアを開けたのだった。








(2014/07/08)