いつだって対等でありたい。そう思うのは厚かましい気がする。片や校内じゃ有名な野球部の主将。片や特に目立つこともない普通の女子生徒。ちなみに手芸部部長。
 野球部のレギュラーとなればうちの学校ではヒーロー中のヒーロー、しかも四番で主将となれば校内で知らない生徒はいないのではないだろうか。そんな有名人、結城くんと私は密かにお付き合いをしている。非常に清い高校生らしいお付き合いだ。
 当然、私たちの関係を知っている人は殆どいないと言って良い。










 今回の席替えはとってもラッキーだった。なんたって、結城くんの右隣の席を手にしたのだから。席を移動して、嬉しくてつい笑いかけると、結城くんも少しだけ微笑んでくれた。いつも真面目できりっとしている結城くんの珍しい表情だ。思わずときめいた。
 ささやかなお付き合いが始まったのはまだほんの一ヶ月前。結城くんが野球部で、主将で、大変なことは分かっている。けれど、初めて好きになった人だから!どうしても伝えたかった。絶対付き合えないと思っていたし、「当たって砕けて来い!」と友人であるにも背中を押されたのだ。それに、「好きだって言われて嬉しくない男はいない」とも言われ、覚悟して思い切って告白した。したら、それがすんなり「では付き合うか」ということになり、私もも夢かと思った。結城くんには天然なところがあるとは聞いたことがあるが、これはその一種なのだろうかと目をぱちぱちさせた。ぽかんと馬鹿口を開けていると、携帯を取り出した結城くんに「付き合うということは連絡先を交換しておくことが必須だろう」と言われ、難無くアドレスも番号も入手。

(さすがに毎日連絡取り合っているわけじゃないけど…)

 邪魔にならない程度に、「部活お疲れ様」なんてメールを送るくらいだ。結城くんからメールの返事が来るのもまたまちまちで、来る時があれば来ない時もある。私は結城くんが初めての彼氏だから、何が正解で何が間違いか分からない。正解不正解もないかも知れない。でも、今のこのペースが私には合っていると思う。いきなり進展する訳ではなく、スローテンポで。これなら周囲にもバレたりしない。周りには普通のクラスメートに見えているはず。けれど本当はもっと話がしたいし、結城くんのことを知りたい。席が隣になれば喋っていてもおかしくはないし―――ということで、この席替えに私は感謝した。

(あ…)

 退屈な地理の授業中、何となく右隣を見てみる。すると、結城くんの制服の袖のボタンが取れかかっている。結城くん、気付いているのだろうか。外れて無くしたらわざわざ購買で購入しなければならない。
 すっかり私の意識はそちらに逸れる。目だけは黒板を向いているけれど、結城くんの袖が気になって仕方ない。それくらい、休み時間に話し掛けても大丈夫だろうか。野球部だと身嗜みにも厳しそうたし、できることならボタンをつけ直してあげたい。いや、つけ直させて頂きたい。きっと男の子は裁縫セットなんて常備していないだろうし。
 そんなことばかりを考えていたら、あっと言う間に授業は終わってしまった。そこで私は勇気を振り絞って話し掛ける。交際はできれば内密に、とは言われたが、話し掛けるなとは言われていない。休み時間もあまり席から離れない結城くんの方を、思いきって向いてみる。

「あっあの、結城くん」
「なんだ?」
「制服の袖、ボタン取れかかってるよ」
「む…本当だな」

 言え、言うんだ私。ボタン付け直しなんて私には朝飯前ではないか、ほら、ほら。

「よ…かったら、つけ直させて頂きますが…」
「えらく腰が低いな、
「いや、えっ、そうかな…!」
「だがそうだな、頼む。裁縫道具は持っているのか?」
「私、手芸部だし!」

 そうだったな、と言ってまた小さく笑いながら制服のジャケットを脱ぐ。その一連の動作にすらどきどきしてしまう。そこら辺の男子生徒だってよくやっていることなのに、なんで結城くんがするとこんなにかっこよく見えるのだろう。一つ一つの仕種、動作にこんなにもどきどきしてしまうなんて、まるで病気のようだ。恋の病気、と名付けた人は天才だと思う。
 手元が狂わないように気をつけなければ―――そうして震える手でジャケットを受け取る。うわ、結城くんの体温だ、なんて変態臭いことを考えてしまった。結城くんの身につけているものに触れるだけでこんなにもどきどきするのに、あの手に触れることになったらどうなってしまうのだろう(つまり、まだ手も繋いだことがない)。
 煩悩だらけの中、しかしボタンのつけ直しなんて五分もかからず終わる。ボタンは無事元通り、すぐにジャケットは結城くんの元へ帰った。少し惜しく思いながら裁縫セットを鞄にしまう。

「ありがとう、気付かなかった」
「袖口だもん、自分じゃ分かりにくいよね」
「しかし器用なもんだな」
「そんな…褒められる程のことじゃないよ!」

 手をぶんぶん振って否定するが、「謙遜し過ぎだ」と言って再びジャケットを着用する結城くん。
 結城くんの言葉に嘘はない、それは分かる。この人は嘘がつけないのだ。嘘をつくとかお世辞とかってものがはなから頭にないのではないかと思うほどに、正直で誠実。
 だから余計、引け目を感じる。私、本当に結城くんと付き合っていていいのかな、彼女って思っていいのかな、と。メールも邪魔になってないかな、この時間に送って大丈夫かな、とメール一つにも悩んでしまう現状。本当だったら舞い上がるほど嬉しいことのはずなのに、こんな気持ちになってしまうのは私に自信がないからだ。だって、クラスにはもっと可愛い子や気さくな子、頭のいい子だっている。顔も並、頭も並、いや寧ろ地味な部類に入る私が、なんて。
 大きな仕事を終えたような気持ちになりながら、ポケットの中で震えた携帯を取り出す。するとそれは唯一私と結城くんの関係を知るからだった。

 ―――、結城くんと何話してたの?後で教えなさいよ!

 可愛らしく語尾にハートの絵文字がついたメールだ。思わず頬が緩んでしまう。そう言えば、初めて結城くんの私物に触れてしまったのだった。改めて思い返すと今度は顔から火が出そうになる。ああ、なんで一人で百面相しているのだろう、私。


「はいっ!?」
「いや、驚かせるつもりは」
「あっ私も驚くつもりは…」

 なんだこのやり取り。普段あまり喋らないせいで、苗字だろうといざ呼ばれると何事かと思ってしまう。どきどきしながらもう一度結城くんの方を見ると、結城くんの視線は私の手元にあった。手元、というか手の中にある携帯。何の変哲もない私の携帯だ。それをじっと見つめて、ぽつりと結城くんは言った。

「そのストラップも部活で作ったのか?」
「あ、う、うん。うちの部活自由だから、皆好きなもの作っていて…もああ見えて器用なんだよ。私はアクセサリーとかよく作るの」
「その鞄についているのもか」
「そうなの。これが一番新しくて、本当はビーズだけじゃなくてもっとラインストーンとか使いたいんだけど、なかなかラインストーンは値が張って、いつもビーズで代用してて、でもビーズも綺麗なものだとなかなか…」

 と、そこで私は一旦黙る。喋り過ぎだ、私。聞かれていないことまでぺらぺらと喋ってしまって恥ずかしい。結城くんは私の部活事情なんて興味ないかも知れないのに。急に黙った私を流石に不思議に思ったのか、結城くんは「どうした」と声をかけてくれる。
 本当は、私はとっても喋りたがり屋さんで、結城くんとたくさん話したくて仕方ない。傍から見ていれば私とではの方がよく喋るタイプに見えるけれど、実はそうじゃない。の方が口数が少ないくらいで、いつも私がにあれこれ話しているくらい。
 だから、足りない。本当は何もかも足りない。メールだけじゃ足りない。少ないメールじゃ足りない。私のことはともかく、結城くんのことが知りたい。もっと、もっと。部活のこととか、チームメイトのこととか、試合のこととか―――私は野球のルールについてはさっぱりだけど、部活をしている結城くんがとてもかっこいいのは知っているから、野球を好きなことを知っているから、それをもっと知りたいのだ。

「もっとよく見せてくれないか」

 そう言うと、結城くんは私の手から携帯を攫って行く。そしてまじまじとたった一つつけられたストラップを眺める。いろんな角度から眺める。触れてみたり、眺めてみたり、そして一言。

は本当に器用だな」

 ふと、少しだけ口元を緩める結城くん。そして、私の右手に携帯は戻って来た。
 初めて、そんな顔を見た。別に嫌われているとは思ってないし、これが元々の彼の表情なのだろうとは思っていたけれど、いや、そこがかっこいいのだけれど、今、確かに少しだけ笑った。初めて見た表情に胸が高鳴る。ぎゅうっと締め付けられるような、そんな感覚。周りの騒がしいクラスメートの声も、何もかも聞こえなくなるし見えなくなる。私の目に映るのは結城くんだけで、聴こえるのも結城くんの声だけ。

、頼みがある」
「な、に?」
「今度、レギュラーを取ったら背番号をつけて欲しい」
「背番号……え?ユニフォームの?」
「ああ」

 待て、待て待て待て。それってかなり重要な仕事なのではないか。ひと夏、そのユニフォームを着て野球のグラウンドに立つ訳だ。私の手元が狂ったりしたら大変なことになる。歪んだりしたら笑われてしまう。結城くんに恥をかかせてしまわないか。
 何を意図して私に依頼したのかは分からないが、突然の話に頭がついて行かない。よく漫画では背番号をつけるのはお母さんの仕事、みたいに言っているではないか。結城くんのお母さんは、結城くんの背番号をユニフォームにつけるのを楽しみにしていたりしないだろうか。その楽しみを奪ってしまって良いのだろうか。
 結城くんは本当に、私なんかで良いのだろうか。

は何を悩んでいる?」
「え…」
「いつも気を遣い過ぎていないか」
「そんなことは…」
「確かに俺は部活が中心の生活をしている。だがのことを疎かにしようとは思っていない」
「え…っと…」
「もう少しくらい、は自惚れてもいいと思うのだがな」

 私が言葉を詰まらせると、もう結城くんは前を向いていて、次の授業の準備を始めている。私も次の授業の教科書を出さないと、開いているノートをしまわないと、携帯もサイレントにしないと―――色々考えるのに頭の中で優先順位が決まらない。結城くんの言った言葉に何もかもが掻き乱されている。その一言一言が痛いほどに突き刺さる。傷付いた、そういう訳ではなく。私が引け目を感じていたことに、結城くんはとっくに気付いていたのだ。意外と、見られていた。意外と、見透かされていた。すると途端にまた、恥ずかしくなる。
 俯きながら私もちゃんと椅子に座り直し、ノートをしまい始める。次は最後、現国だ。

(自惚れて、いいって…)

 その言葉の意味を、考える。何度も何度も頭の中で反芻して、噛み砕こうとする。理解しようとする。けれどそうすればするほど、本当に自惚れてしまいそうで、期待してしまいそうで、それって良いことなのかな、とストッパーをかける自分がいる。そういうのは要らないと、結城くんは言ってくれているのだろうか。

(自惚れたい…)

 結城くんが好きだ。だからもっと知りたい。もっと話したい。同じように、もっと知って欲しい。もっと色々聞いて欲しい。私だけが一方的に好きなのではなくて、結城くんも同じなのだと思いたい。
 ただの願望でしかなかったのに、あんな言い方をされたら、もう自惚れる以外になくなってしまう。いいのだろうか、私で。私なんかで。不安になりながらちらりと右隣を向くと、結城くんは何かを熱心に書いている。私はなぜか気分が落ちて行くのを感じる。
 すると、突如右側からぽんと絶妙なコントロールで紙切れが投げられて来た。どうやら結城くんかららしい。もう一度ほんの少しだけ顔を右に向けると、結城くんは目だけで私を見て、目だけで「読め」と訴えていた。
 丁度その時、現国の先生が入って来る。起立、礼、着席―――そして私は結城くんから投げられた紙切れを広げた。その瞬間、悲鳴をあげそうになった。思わず口を両手で押さえて必死に留めたが、肩を震わせることを止めることはできない。もう、右を向く余裕なんてない。授業前に、結城くんは一体なんてことをしてくれるのだろう。

 ―――が思っている以上に、俺はに惚れていることは覚えておいてくれ。

 惚れている、だなんて。好きとか、そう言う言葉じゃなくて、惚れている、なんて。もう、心ごと持って行かれた気分だ。多分、だけれど、私と同じくらい結城くんも私を意識してくれている。この一文はそう受け取ってもいいということなのだろう。嬉しいとか、幸せとか、そんな言葉では表し切れない色んな感情が溢れ出て来る。
 この歳になってようやくの初恋なのに、いきなりこれはあまりにも刺激が強いと思った。








(2014/06/24)