ピアスの穴を、空けた。お洒落をしたかった訳でもないし、痛いことをしたかった訳でもない。誰かに気付いて欲しかった訳でも、もちろんない。けれど目敏いあの人は、髪の隙間からきらりと光るピアスをすぐに見付けてしまったのだ。

「耳に穴なんざ空けてどうしたんだ」

 眉根を寄せて問う。私は答えあぐねた。これは私の中の問題であって、それを上手く説明できる自信がなかった。多分、強いて言うなら昨日までと違う自分になりたかったのだ。昨日の私とは違うその明確な証が。たった一つのものと完全に決別したくて。
 私は、その目敏い男―――リヴァイ兵長を尊敬していた。憧れもしたし、その末に恋もした。今もまだ恋心は奥底で燻っている。消えきらない小さな火が、この胸を焦がしている。けれど明日の生さえ分からない今この現実で色恋に現を抜かす訳にもいかない。本当は早くにそのことに気付いていた。彼に出会ったその時から分かっていた。
 私はきっと、この人よりも生き永らえることはできない。余りにも遠い背中、遠い世界。私は入団してから運で生きて帰って来られただけだ。運も実力の内とは言うが、それは本当に実力を兼ね備えた人のための言葉。私のような力のない人間のためにある言葉ではない。それなのに、分隊長なんてものを任されてしまっている。部下は私を慕ってくれ、ついて来てくれているが、私にそれだけの価値があるとは思えなかった。
 自分と彼の差を知れば知るほど苦しい。次の壁外調査が決まれば、そこが多分私と兵長の分かれ道。きっともう私に次はない。前回の壁外調査で負ったこの足の後遺症では、恐らく生き残ることはできないだろう。上手く隠して訓練はしているが、実戦で予想外の出来事には対応しきれない自覚がある。それでも駐屯兵団への異動願は出さなかった。最後まで少しでも、この人の力になりたかったから。
 そのためには、自分の気持ちなど邪魔なだけだ。それを切り捨てるためにピアスの穴を両耳に一つずつ空けた。

「似合いませんか?」
「そういう話じゃねぇ」
「空けたかったから空けた、それだけです。規則にピアスをつけてはいけないとはありませんよね」
「まあな…」

 そう言うと、兵長は私の耳にそっと触れる。今朝空けたばかりのそこが、触れられてずきんと痛んだ。

「ちゃんと消毒しとけよ、
「はい」

 何を思って私の耳に触れたかは知らない。痛そうに見えたのか、労ってくれたのか、他に何か言いたかったのかは分からない。けれど、痛い。兵長に触れられた左耳が酷く痛む。きっともう二度と触れない指先。たった一度きりの接触。それが、忘れられない感覚になってしまった。もう死ぬまで忘れられない、意外と温かかった硬い指先。いつまでも痛い。痛くて痛くて仕方ない。違う、痛むのは左耳だけじゃない。心がナイフで刺されたように痛い。
 私とリヴァイ兵長の関係なんて、仕事以外では何もない。上の人間とその下の人間、それだけだ。兵士長と分隊長、それだけなら接点はいくらでもある。会議でも顔を合わせるし、一対一で作戦について打ち合わせをしたこともある。けれど、分隊長の中でも一番年下で経験年数も浅い私が仕事の上でも深く関わったことは、はっきり言ってない。意見を求められたこともない。報告書の提出でも二言三言交わすくらい。こっちは彼がどのような人物か分かっていても、相手はそうではないのだ。いや、実力や能力といった意味では分かっているのだろうが。
 遠ざかるあの人の靴音を背に、私は胸元をぎゅっと掴んだ。息が詰まり、嗚咽が零れる。大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら呼吸を整える。涙が一筋流れ、頬を伝って落ちる。
 さよなら、と吐息だけで背中に呼び掛ける。その背を掴むことも、その手を握ることも私はできないから、死から逃れることはできないから。けれどできることなら、壁を越えたその先、自由を手にする瞬間に、あの人と生きていたかった。その最後まで、役に立つ駒でもなんでもいいから、あの人の瞳に映る存在でいたかった。
 引き攣る右足を摩る。この足はもう、壁の外じゃ役に立てない。だから消える。それだけのことだ、何も怖いことなどない。たった一度でもあの人に触れてもらえた、それ以上の痛みなどもうこの世のどこにもない。

(この痛みがあれば、あと一回くらい行けるわ)

 幸せだと思った。忘れられない痛みを植え付けられたことが。それがずっと恋の情を抱いて来た相手だということが。だから大丈夫だ、あと一回、あと一回なら私はまだ行ける。





もうじき亡霊になる
そうして、私にとっての最後の壁外調査が決まったのは、その日の夕方だった。





(2014/06/17 夢小説企画bitterさまへ)

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