衝 動





 純粋な好意を跳ね退けたことに、罪悪感を抱かなかった訳ではない。むしろ後悔すらしている。最初こそ冗談かと思ったが、が余りにも真剣な顔をするから疑えなくなった。けれど、突然のことに困惑したのも事実だ。一度突き放したら二度、三度繰り返し、取り返しのつかないところにまで来てしまう。
 それでも良いだろう。とはヒビが入って困るような関係ではない。またただの同級生に戻って、関わらなくなって、話さなくなるだけだ。そんな同級生山ほどいる。その中のただ一人なはずだ。放っておけばいいのに、どこか煮え切らない。

「――も、寂しいです」

 いつもより早く部活に行くと、部室からはテツの話し声が聞こえた。どうやら中には他にも誰かいるらしい。ただならぬ空気を感じ、居心地の悪さを感じた俺は、他の部員が来るのをその場で待つことにした。薄く開いたドアからは声が漏れて来るが、その内容までは確実に聞こえる訳ではない。けれど、聞こえて来るもう一つの声には酷く覚えがあった。

「青峰くんが好きなの」

 の声だ。よく知ったあいつの声で、二度目、同じ言葉を聞く。…冗談だろ、と心のどこかで思っていた。あいつに好意を向けられるようなことなんて何一つしていないからだ。初めてその言葉を聞いた日なんて、を叩いたではないか。痛いのに我慢している理由を好意として誤魔化されたのかとも思った。いや、そんなことを言うようなやつじゃないことは分かっている。けれどなぜかの気持ちを否定したかったのだ。それなのに、あいつはまだオレを好きだなどと言うのか。

「もう言ったよ」
「…彼はなんて?」
「聞いてない。聞けない。元からどうこうなりたかった訳じゃないから、いいのそれで」

 膨らむ罪悪感、萎んで行く猜疑心。こんなにも純粋に思ってくれる相手を突っぱねて、今更どうすればいいのだ。だからってそんな気持ちで返事をしていいのか。…とテツの会話を聞いて放心してしまったオレは、ずるずると壁にもたれたまましゃがみ込む。そして、部室のドアが開いたことに気づかなかった。

「青峰、くん…」
「……いちゃ悪ィかよ」
「そ…うじゃなくて…!あの、…うん…」

 気まずそうにあちこちへ視線を彷徨わせる。発言もしどろもどろだ。恐らくさっきの会話を聞かれたのではないかと気にしているのだろう。制服の裾をぎゅっと握って、視線を逸らしながらも時々こちらを窺ってみせる。何を考えているのか、勝手に赤くなったかと思えば青くなるは、不謹慎だが面白いとしか言いようがない。「おい」「え?」「こっち」適当な口調で自分の隣を指差す。すると、さすが察しの良いは黙ってオレの横に腰を下ろした。0.5人分くらいの奇妙な隙間を空けて。

「…さっきテツと喋ってたこと、聞こえたんだけど」
「うん…」
「どこが良いわけ?オレなんかよりテツのがよっぽど優しいだろ」
「青峰くんも、優しいよ」
「だからどこがだよ」

 別にその答えを聞きたかった訳ではないが、半ば呆れながら聞き返すと、肩をびくりと震わせた後、僅かに顔を赤く染めた。慎重に言葉を選んでいるのか、は何度も何かを言いかけてはやめる。いつもだったらイライラするはずなのに、なぜか急かす気にもなれない。そしてようやく、ぽつりぽつりと話し始めた。

「…ノートをね、運んでくれたんだよ」
「は?」
「まだマネージャーをする前だから、青峰くんは覚えてないだろうけど…」
「…………」
「先生に頼まれて山積みのノートを教室まで運んでたの。そしたら、青峰くんがほとんど持って行ってくれて」

 その後、さつきとオレが話している所を見かけ、さつきにオレのことを聞いたらしい。は入学してすぐにさつきと仲良くなったそうだが、あまり周りに興味のないオレはを知らなかったという訳だ。それがきっかけでマネージャーになった訳ではないそうだが、さつきの方に何か企みがあるのではないだろうか。もう何も返せずにいると、「青峰くん」と呼び掛けられる。オレの方を見ないまま、こぼすように言った。

「青峰くんは気持ち悪いかも知れないけど、見てるだけで本当に良かったんだ」
「は…」
「好きだなんて言うつもりなかった。マネージャーとして関われたらそれで良かったんだよ」
「…………」
「返事なんて聞こうと思ってない。だから、だからね…」

 頬を一筋、涙が伝った。乱暴にごしごしと手で擦るが、の涙は止まることはない。もう、冗談だなんて疑うものか。そもそもこいつが嘘なんかつくはずがなく、軽い気持ちで言うはずがないのだ。オレは逃げていたのだとようやく気付いた。向けられたことのない真っ直ぐで無垢な気持ちにどうすれば良いか分からず、だから拒絶をした。それでがどれだけ傷付くかなんて知りもせずに。…やがて、泣きじゃくりながら言葉を繋げた。

「まだ、好きでいていいかな…っ」

 気付いた時にはオレの体が動いていた。けれどあの時のような拒絶ではなく、受け止めるためだ。答えを、返事を考えた訳じゃない。何も考えず、それは衝動のように、泣きながら問うを力いっぱい抱き締めた。








 

(2012/11/22)