衝 動





 と話すようになったきっかけは覚えていない。さつきにくっついていつの間にかそこにいた。仲が良い訳でも悪い訳でもない。そこそこ話もするし悪いやつでもなかった。ただ、今時珍しく驚くほど純粋なやつで、ちょっとからかっただけで顔を真っ赤にしていた。下世話な話をしていようものなら近付いて来すらしない。だからといってはオレと関わることをやめなかったし、いつもさつきの後ろに隠れてオレの所へやって来ていた。マネージャーの仕事やバスケのルールを覚えるために一生懸命になっている姿は、まあ嫌いではない。
 いつの間にかだ。いつの間にかあいつは、さつきなしでもオレをはじめ他の部員とも普通に話せるようになっていた。部活帰りも最初は後ろの方で何も言わずついて来ていたが、今ではどうやらテツと打ち解けたらしい。紫原に餌付けされている所もよく見かける。

「あ…青峰くん…」
「なんだよ」

 そんな、最近のにオレはイライラしていた。加えて足の不調があり、ストレスは高まるばかり。
 喜ばしいことのはずだろう。遠慮ばかりして誰にも声をかけられずに寂しそうにしていた頃より、笑顔でいることが増えたのはあいつにとって良いことだ。ようやく部活にも居場所を見つけられ、毎日楽しそうだろう。なのに、そんな状況にも、それを面白くないと思うオレ自身にも、イライラして仕方なかった。
 そんなことを知りもしないは、ほいほいと一人で声をかけて来る。慣れたとはいえ、部活中にさつきなしで声をかけに来るのは珍しいことだった。しかも距離を詰めて小声で話す。そんなことをしなくとも、休憩中で騒がしい今なら誰もオレたちの話なんか聞いちゃいないというのに。…一つに腹が立つと、こいつの言動一つ一つが気に障る。

「あの…」
「早く言えよ」
「あ…足……」
「あ?」
「足、おかしくない?」

 消え入りそうな声で、遠慮を顔に浮かべて聞いて来る。いけないことだと思うなら聞かなければいい。足のことに気付くなら、上手く隠していることも察していたはずだ。他の誰も気付かないのに、なんでが最初に気付くんだ、なんでがそんな顔するんだよ。…我に返った時には遅かった。オレは利き手でオレよりも随分小さなを思い切り引っ叩いていた。体育館に突如響いた乾いた音に、他の部員たちもこちらを振り返る。

「わ…わり、」
「だいちゃん!?」

 謝ろうとするもさつきに遮られ、それは不発に終わる。結局、は終始何も言わず、人形のように固まったままだった。さつきに半ば無理矢理引きずられて行くのを、掌に熱を感じながら見つめているだけだった。
 痛いのはの方のはずだ。それなのに、オレは右手に確かに痛みを感じていた。本当はあいつは泣きたいほど痛かったはずだ。男だってオレに殴られたらとてつもなく痛いはずなのに、あんな華奢な体でそれを受け止めたのだ。いよいよはオレに近付かなくなるだろうか。

「びっくりしました」
「…………」
「青峰くん、さんとは仲が良いと思っていたのですが」
「叩きたくて叩いた訳じゃねぇよ」

 何も考えていなかった。咄嗟に手が出た。それは紛れもなくただの衝動だったのだ。あんな風に乱暴なことをしたいだなんて思ったことがない。寧ろ本当はもっと気にかけてやりたいくらいなのだ。さつきや他の女子とは違う、あいつは大事にしたいはずなのに。

「優しくしたいはずなんだ…」
「だったらすぐに追い掛けるべきです」

 誰に言った訳でもなく零れた一言に、テツは小さく笑って返す。そうだ、今を逃せば謝る機会を逃してしまう。もう二度とオレに声をかけてくれなくなるかも知れない。また出会った頃のようにびくびくして、さつきなしでは話せなくなるかも知れない。
 危機感を抱いたオレは、すぐに控室に向かった。さつきを追い出して改めてそいつの顔を見ると、痛々しく真っ赤になっていた。目を逸らすな、オレがやったことだ。…二人になったはいいものの、何を言えば良いか分からず黙り込んだ後、ようやく「悪かった」の一言を絞り出した。

「気にしてないよ」

 気丈に、笑いながら返すに、オレはまた腹が立った。いや違う、謝罪した所でこいつなら笑って許してくれるだろうと、心のどこかで思っていた。そんな甘えた考えをしている自分に腹が立ったのだ。にはオレの予想を裏切って欲しかった。いっそ泣いてくれた方が良かった。強く肩を掴んで迫ってみても、は表情を少しも変えない。

「もっと俺を責めろよ!」
「責めて欲しいの?」
「っお前、自分のされたこと分かってんのかよ!」
「分かってるからだよ」

 するとあろうことか、細っこい腕でオレを抱きしめて来た。しかも、どこにそんな力を隠していたのかというほど、意外にもその力は強かったのだ。ようやく振り払うと、やっと泣きそうな顔をした。望んだ通りに、悲しそうに眉を八の字にして。そして思いもよらぬ言葉を口にする。

「青峰くんが好きなの」

 何言ってんだ、と思った。オレに打たれた後だろう、何考えてんだ。予想だにしなかった展開に、オレは言葉をなくす。するとますますは悲しそうな顔をした。
 それから何を言われたかあまり覚えていない。に促されるまま控室を出て、けれど暫くその場を動けなかった。もう休憩は終わっていて、体育館からはまた練習の音が聞こえて来る。けれどドア一つ隔てた向こうから聞こえるの泣き声が気になり、頭を離れてくれず、結局練習は集中力散漫で注意を受けてばかりだった。
 あいつはその日、体育館に戻って来なかった。








 

(2012/09/26)