「愛情ってどんな色だろうね」

 図書館で同じ講義のレポートをしていると、唐突にはそんなことを言った。シャーペンを持つ手は止まっているが、手元のレポート用紙を覗いてみると、のレポートは殆ど終わっているらしい。彼女は成績は目立って良い訳ではないが、後々溜めるのを嫌うタイプらしく、いつも課題などは早々に終わらせている。その中身が果たしてどれだけのものかは分からないが、今日できることを明日まで延ばさないと言う姿勢は評価している。
 だが、一つ困った所を挙げるとすれば、彼女の空想癖についてだ。今のように、何の脈絡もなくおよそ科学的根拠のない返答を要する問いかけをして来ることがある。僕が一番苦手な領域だ。彼女もそれを分かっているのか、特に返答を求めて来たことはないが、結局僕が一番それについて悩まされることになるのだから堪ったものじゃない。

「見たことがないから分からないな」
「目に見えるものしか信じない?」
「そうとは言っていない」

 だとすればと恋人になどなっていないし、恋人らしいこともしていない。恋の情と言うものは確かに存在し、愛しいと言う気持ちも存在する。ただしそれらは決して触れられるものでも目に見えるものでもない。確かなのはという存在のみなのだ。ただ、その彼女自身もどこかふらふらと頼りなく、ともすれば指の隙間からすり抜けて行きそうな危うさを含んでたりいる。失うかも知れないという焦りを覚えたのは初めてだったかも知れない。を手に入れるまで、先に他の男に奪われはしないかと毎日焦っていた。
 恋人となってからもそうだ。友人は多い方ではないものの、それなりに整った容姿をしたはよく男に声をかけられている。二人で出掛ける時も、待ち合わせにが先に着いた時には見知らぬ男に絡まれていたことがある。

「悲しみはよく青で表現されるのに、どうして青い鳥は幸せなんだろう」
「個々人の感覚だろう」
「それじゃあ思いの外、感情って共有できないのかもね」

 もしかすると、私と征十郎だって。その言葉に僕もレポートを書く手を止めた。ちらりと目だけで彼女を見ると、窓の外をぼんやりとした目で眺めている。
 は平気でそんなことを言う。からかっているのか、楽しんでいるのか。時折僕を手のひらの上で転がしたがるような、そんな一面が見え隠れする。それが酷く僕を焦らせるのだ。そして疑心暗鬼に陥る。は僕にさほど好意を抱いていないのではないかと。一方的に僕がを繋ぎとめているだけで、実際は僕に興味などないのではないかと。だって分からないではないか、人の心など読めやしないのだから。それこその好きな空想の世界の話だ。

「征十郎は何色だと思う?」
「何がだ」
「愛情の色」
はどうなんだ」
「どうだろうねぇ…」

 今度は溜め息をつく。さっきから一度も目が合わない。物憂げに外を眺めては、右手でシャーペンを弄ぶ。もう殆どレポートは終わっているものの、“早く終わらせたがり”のにしてはここで集中力が切れるのは珍しい。
 愛情の色―――そんなもの考えたことがない。だから、僕も返答を避けただけに過ぎないのだが、もまた答えをはぐらかす。これではいつまで経っても堂々巡りだ。はどう思っているのだろう。の目には愛情や幸せは何色に映っているのだろう。感覚を共有できないことを、こんなにももどかしく思ったことがない。の好きな色、好きな食べ物、好きな場所、そういうものは全て分かるのに、肝心の気持ちは見えないのだ。

「…嫌だなあ」
「どうした」
「征十郎に見えているものが、そのまま私にも見えればいいのに」
「…………」
「例えば、同じように薔薇を見ていたとしても、それが本当に同じ薔薇とは限らないじゃない?私にとっての赤い薔薇は、征十郎からすれば金色の薔薇なのかも知れない」

 クオリアか。いつだったか覚えた言葉が頭をよぎる。そうなると哲学的な、いや、科学ていな問題となって来るが。だがそれよりも、もっと重要な言葉を今聞いた気がする。

「征十郎の世界は征十郎のものでしかないから、共有できないじゃない」

 驚いた。これまで一切執着を見せたことがなかったが、初めてそうと思われる言葉を発した。付き合わないかと言った時も、初めて手を繋いだ時、キスをした時、身体を重ねた時、そのどれを思い出しても動揺の欠片も見せなかったというのに。もちろん嬉しい時は笑うし、美味しいものを食べた時などは特に幸せそうな顔がする。けれどそういうプラスの感情以外の波はほぼ平坦なのだ。そんなが見せた表情は、拗ねているとでも言えば良いのか。
 もしかすると、返答に困るような問いをずっとして来たのは、考えを共有したかったからなのか。同じものを同じように見つめたかったのか。そう思っていたのが僕だけではなかったのだとすれば、僕の不安や焦りは見事なまでに解消されることになる。そして何よりも。

「いや、意外と同じものが見えているのかも知れないよ」

 つい、口元が緩む。幸せの色も、悲しみの色も、分からないままだ。考えたこともないし、これからも深く考えることがあるのかどうか分からない。僕が興味があるのは、そんなことよりもの考えていることだからだ。それが幸せの色についてであれば僕も考えるのだろうが、きっとの言いたいことはそんなことではない。もっと奥底の、心の本質的な部分なのではないのだろうか。
 今日、少しの感情と僕の感情が繋がった気がした。







(2014/11/08 のり太さん誕生日おめでとうございます!)