この間の席替えで、私は火神くんの後ろの席になった。けれど端っこの列のため、黒板が見にくいと言うことはない。実は前から気になっていた火神くんと近い席になれてラッキー、なんて思っていた所だ。ここぞとばかりに、私はしつこく火神くんに話しかけたりしている。尤も、今は授業中のため、居眠りしかけている彼を起こすためなのだが。

「かーがーみーくん」
「あ?」
「次、当たるよ。56ページの和訳」
「マジか…サンキューな、

 どうやら本当に聞いてなかったらしい。バスケ部の練習は相当ハードだと言うし、居眠りしてしまうのは当然と言えば当然なのかも知れない。慌てて56ページを開く火神くんを、こっそり小さく笑いながら後ろから眺める。幸せな時間だ。
 火神くんの頭の中には8割がバスケのことで、多分残りの1.5割が食事、更にその残りの0.5割が勉強、ていう感じなんだと思う。部活はハードだと言うのに、ホームルームが終わると同じクラスの黒子くんを誘って真っ先に体育館へ向かう。掃除当番や日直の日は、それはもう「早く終わらせたい」オーラを全開に出している。
 私は、そんな火神くんが密かに好きだった。何かに一生懸命な人はそれだけでキラキラ輝いていてとても眩しい(たまにおばかさんな所もあるけれど、それすら愛嬌と言いますか)。私は帰宅部で、中学は園芸部で中庭の管理なんかもしたけれど、この高校は新設で園芸部がないらしい。文化部の種類が少ないな、と思う。

「じゃあ次火神、56ページ三行目、和訳してみろ」
「その鳥は世界でもスゲェ珍しくて、アメリカの鳥を保護する会が必死で守りたいと思っている」
「火神…それ思いっ切り意訳だぞ…。後ろの、正しい日本語訳を教えてやれ」
「え…っと、その鳥は絶滅危惧種で、アメリカの野鳥保護団体が守ろうとしている鳥です」
「いいかー、これが日本語訳だぞー。火神、テストでそれ書いたら三角だ」
「同じようなもんじゃねえか!…っですか!」

 火神くんの意訳にどっとクラスが湧く。どうやら帰国子女と言うのはスピーキングには長けているものの、日本人のようにリーディングやライティングはさほど正確じゃないらしい。「英語なんてフィーリングなんだよ」とぼそぼそ言うしょげた背中がまた可愛い。
 やがて英語の授業が終わると、珍しく火神くんの方からくるりとこちらを向いた。

、お前スゲェのな」
「え?」
「日本人の文法とスペルの正確さはアメリカ人を超すらしいけど、がクラスで一番なんじゃねーの」
「まさか、そんなことないよ!大林くんとか橋本ちゃんはもっと英語得意だし、私なんて全然」
「んなことねーって」

 自信持てよ、と言って長い腕を伸ばして私の肩をぽんぽん、と叩く。にっと笑ったその顔はまるで夏の太陽のようだ。梅雨の始まり、じめっとしたこの空気の中、ここだけが快晴みたいに思える。
 多分、火神くんは何気なく私の肩を叩いたのだろうけど、私にとっては大きな大きな衝撃で。これくらいのスキンシップ、チームの人たちとはしているのかも知れないし、アメリカではスキンシップの内にも入らないのかも知れない。それでも、私の心臓の拍動を速めるだけの威力は十分に持っている。
 嬉しくて、つい頬が緩む。

「ね、バスケ部って練習試合とかあるの?」
「あー…暫くはねぇかな」
「そっか」
「バスケに興味あんのか?」
「あっいやっ、体育でしか見たことないし、本物ってどんなのかなって…あはは」

 疚しい気持ちが全くなかった訳じゃない。けれど、火神くんをそこまで虜にするバスケとは一体どんなものなのか、バスケそれ自体に興味があったのも事実。そりゃあ、試合に出ている火神くんを見ることができたら、応援することができたらきっと素敵だろうけど、ただのクラスメートがいきなり「練習試合観に行っていい?」なんて言い出したら不審過ぎる。まあ、良くも悪くもちょっと鈍い火神くんは私の気持ちに気付くなんてことはないのだろうけれど。
 私の曖昧な返事に、「うーん」と真剣な顔で考え込むような仕種を見せる火神くん。すると、「お、そうだ」と何かを閃く。

「なら、とりあえずストバス見てみろよ」
「すとばす…?」
「ストリートバスケだよ。まあ、見りゃ分かる」

 出た、火神くんのフィーリング発言。私は苦笑いしながら頷く。突然目を輝かせた火神くんだが、果たしてそのストリートバスケとやらはどのようなものなのか。スポーツと一切縁のない私には想像もつかず、ストリートとつくからには屋内ではないのだろう、ということくらいしか分からない。
 でも、そんな訳の分からない所に一人で行くのは大変気が引ける。またもや曖昧に返事をしていると。

「体育館で見るより間近で見れっからよ」
「う、うん」
「二週間後の日曜はオフだったな…黒子とかに声かけとくからも来いよ。やれとは言わねぇからさ」
「へっ!?」
「あ、悪ィ、なんか予定あったか?」
「ないっ!ないけどっ!」

 お誘いを受けてしまった。黒子くんたちも、とは言え、れっきとしたお出掛けだ。学校の外で会うのだ。つまりそれは、火神くんの私服を見られると共に私の私服も見られると言う訳で―――。

(や、やばい、どうしよう!!)

 嬉しいと困惑が頭の中でまぜこぜになる。いつもバスケの話をする時のように目をキラキラと輝かせて私の返事を待つ火神くん。顔を押さえて「えーと、えーと」と返事を必死に考える。やっと緊張せずに火神くんと話せるようになったのに、また緊張の波が押し寄せて来た。
 これは、学校の外、プライベートで会うまたとないチャンスだ。期待に満ちた火神くんの顔を見れば、しかも火神くんがバスケをしている所を見られるとなれば、これはもう返事は一つしかないではないか。

「ルールとか分からないんだけど…いいのかな?」
「全然問題ねぇよ」
「じゃ、じゃあ、お願いします」
「おう」

 そこでタイミングよくチャイムが鳴り、次の授業が始まる。また元通り前を向く火神くん。大きな背中、そこに背番号を背負って試合に出る火神くんはどれほどかっこいいのだろう。私は試合中の火神くんを、限界まで想像を膨らませて考える。
 その背中に、どうしようもなく人差し指で「すき」と書きたくなった。







(2014/06/03 遅くなりましたがしきはさん、お誕生日おめでとうございました!)