愛してるっていう言葉は、一体何歳になったら使って良いんだろう。 思えば、「好き」と言われた回数はもう数え切れないほどだけど、「愛してる」とは言われたことがない。もちろん、軽々しく言っていい言葉ではないことは分かっている。けれど、例えば友達が「最中に彼に愛してるって言われちゃった」なんて頬を赤らめて言っているのを聞くと、正直羨ましい気持ちもある。 別に彼の気持ちを疑っている訳じゃない。彼の性格を考えれば慎重になっているのかなとか、もっと特別な間柄になった時に言ってくれるのかなとか、色々私だって考えた。けれど結局答えは出ないままで。 「ちゃん?どした?」 「ううん、何でもないよ」 一緒にゼミの課題をやってる和成くんは、私の手が止まったのを見て訊ねて来る。今まさにあなたの事を考えていました、なんて口が裂けても言えない。いつになく真剣に課題に取り組む和成くん。留年がどうとか、騒いでいたっけ。 大学の図書館は高校とは比べ物にならないほど大きくて、人の出入りも多い。そんな中、隅っこの席を選んだのは和成くんだった。「静かな方が集中できる」とかなんとか言っていたけれど、彼の用紙を見ると手の止まっていた私より進んでいないようだ。今回は興味ない、と言いながら課題を見た瞬間に顔を歪めていたのを私は覚えている。興味あるないの問題じゃないよ、と私が窘めたことも。 和成くんと出会ったのは大学で、「ああ、なんかすごく社交的な人がいるな」程度の第一印象だった。だから友人といつも隅の方で講義を受けている私には縁のない人物だと思っていた。が、どうもそんな私を見られていたらしく、ある日突然アドレスを聞かれ、話すようになり、自然と付き合う流れになった。まるで少女漫画のようだ。こんなことが自分の身に起こるなんて夢にも見なかった。 「最近暗い顔してるからさ、心配じゃん」 「んー…もうすぐ梅雨だなーと思って」 「ああ…ジメジメしてるの嫌いだな、オレ」 この容姿と明るさとコミュニケーション能力の高さから和成くんは男女問わず人気で、有名で、私とは釣り合わないくらい。それは交際がもうすぐ一年になろうとしている今でも消えないコンプレックスだ。友達は「のことを見た目で選んだんじゃないから」と言ってくれるけれど、それって逆を返せば容姿に魅力がないと言うことだ。 じゃあなぜ、和成くんみたいな人が私を選んだのだろう。悩みは尽きない。 「六月だったよな」 「え?」 「オレらが付き合い始めたの」 「え…っと、そうだね…もうすぐ一年かあ」 私は中学高校と女子校育ちのため、男の子との接し方も分からず外部の大学に飛び込んだ。最初は本当に怖くて怖くて、友達の後ろにしかついていけなかった。その友達も高校からの付き合いだから同じような感覚で、だから講義も一緒に隅で受けていたのだ。人を寄せ付ける何かを持っている和成くんを見ては、「すごい人がいるもんだね」と噂していた。 いまいち大学になじめなくて、友人もできなくて、サークルには入りづらくて―――そんな私に声をかけた意味、とは。もうすぐ一年、という言葉を頭の中で繰り返す。その間、和成くんはゆっくりゆっくり進めてくれた。「ちゃんのペースで良いから」と何かを強いることは決してしなかった。大事にされているんだ、と感じる半面、私も和成くんを段々好きになっていたことは伝わっているのかとか、キス以上に進展しないのは私にそれ以上の興味がないからなのかとか、考えても仕方ないことばかりを考える。 和成くんは、本当は私と付き合っていることをどう思っているのだろう。例えば、講義の前に男の子たちが「お前の彼女ほんと可愛いよな」「羨ましいよな」なんて会話をしているのを聞くと、私はどうなのだろう、と思う。私は周りから見てちゃんと和成くんの彼女として相応しいのだろうか。 「ちゃん、今変なこと考えてたっしょ」 「え?えぇ?」 「誰に何言われたか知らないけどさ、俺はちゃんが好きだよ」 「わ、私も…」 「“私も”?その続きは?」 「…和成くんが好き」 こういうやり取りもよくする。まるで、確認作業のように。好きと言われる度に嬉しいはずなのに、最近は不安で仕方がない。なんでだろう、こんなにも和成くんは優しくて、大事にしてくれて、行きたい所に一緒に行ってくれたり、傍にいて欲しい時はいてくれるのに、私はこれ以上何を望んでいるのだろう。 「だからさ、それいいじゃん」 「え?」 「あれが好きこれが好きって、オレ結構言うかも知れないけど、ちゃんに好きって言う時はいつも緊張してるんだけどなあ」 「う、うそだ…!」 「いや、マジだって」 オレそんな軽く見える?―――私の顔を覗き込んでそう訊ねて来る。 なんで、全部分かっちゃったんだろう。私、そんなに顔に出やすい性格だったかな。むしろ分かりにくいと言われるくらいだったのに、和成くんはいとも容易く私の悩みや不安をほいほい当てて行く。私には、まだ和成くんのことがたくさん分からないのに。 ああ、ずるいな、と思った。和成くんばかりが私を見透かして、ずるい。不安になればなるほど、心配になればなるほど、胸はぎゅうっと苦しくなる。困った顔をして和成くんを見つめ返すと、和成くんも苦笑いをする。 「好きじゃなかったら一年も彼氏でいたいなんて思わないし、もーちょっとくらい信じてもらえませんかねぇ…」 「し、信じてない訳じゃないよ…!でも私、いろいろ和成くんを待たせてるのかなとか、気を遣わせてるのかなとか…」 「ちゃんってさ、スゲー心配性な。男と付き合うのもオレが初めてだっけ?」 小さく頷くと、ぽんと頭に手を置かれる。そしてそのまま、髪がくしゃくしゃになるまで撫でられる。ぽかんとしてまた和成くんを見る。その顔は、もうさっきみたいな苦笑いじゃない。「好き」と言ってくれる時の優しい顔だ。私が一番好きな、和成くんの表情。 何も心配することはないのだろうか。待っててくれると言うなら、ある程度待っててもらっても大丈夫なのだろうか。私から望んだら、そのようにしてくれるのだろうか。例えば初めて、手を繋いで欲しいとねだった時みたいに。 「初めてって、何事でも大事じゃん」 「うん」 「オレ、ちゃんの中で酷い男になりたくないし。それに今のペースが良いからやってるわけ。分かった?」 分かった。そう返事をすると、「いい子いい子」と今度は優しく乱れた髪を直してくれる。触れてくれる手も、かけてくれる温かい言葉も、どれ一つに嘘はないと和成くんは言う。私は彼が言うとおり心配性だし、よく不安にもなるし、言葉にされないと余計に疑心暗鬼になってしまう悪い癖がある。それをも見透かして私だけにくれる言葉があるなら、私はそれを信じることが唯一できることなのかも知れない。 「ねえ和成くん」 「ん?」 「私、和成くんのそういうところが好き」 今度は和成くんが目を見開いて驚いたような顔をする。“そういうところ”がどこかを考えているのかも知れない。けれど次の瞬間、また愛しいとでも囁くように微笑んで彼は言う。 「オレも」 |