部活が終わってから高尾に「ごめん真ちゃんに借りたノート教室に忘れて来た!」などと言われた。ふざけるなと言うと、「でも更にごめんもう俺帰らないと約束が!」そう捲し立てて走って帰ってしまった(逃げ足だけは早い奴め…)。部活後にあれだけの早さで走って帰れるなら、もっとメニューに負荷をかけても良い気がする。今度主将に進言してみるか。
 仕方なく、暗くなった校舎に足を踏み入れた。毎日遅くまで部活をしているが、教室に寄って変えることなど滅多にない。階段を上る足はいつもに比べ随分と重い。人のノートを忘れ、あまつさえ自分で取りに行かず俺に取りに行って帰れなど良い身分ではないか。苛々としながら思いっ切り教室のドアを開けた。バァン、と大きな音が立つと共に、「ひぃ!?という」女子生徒の悲鳴が聞こえる。

「誰だ!」

 真っ暗な教室に誰かがいるだなんて夢にも思わない。慌てて電気を付けてみると、眩しそうにぎゅっと目を瞑るがいた。
 とは席替えで席が近くなってからよく話すようになった。部活には入っていないそうだが、一体こんな時間まで何をしていたのだろうか。何をしている、と声をかけると顔を赤くしてはにかんだ。まさか、ホームルームが終わってから今まで眠りこけていたなんてことはないだろう。

「い、委員会で遅くなって…疲れて…」
「寝ていたのか?」
「う、うん」
「こんな時間まで?」
「…お恥ずかしいながら」

 気まずそうには視線を逸らす。俺は呆れて溜め息をつき、自分の席へと向かった。机の中に手を突っ込むと、確かに高尾に貸した数学のノートがある。それを確認して益々深い溜め息をついた。そんな俺を、は棒のように突っ立ってじっと見て言う。
 こんな時間まで一人で教室にいるなど、誰かを待っているのだろうか。しかし、真っ暗になるまで残っている人間と言えば、熱心な部活か教師くらいである。委員会が終わって教室に戻り、疲れて寝過ごすなどはしそうになかったのだが、意外と抜けている生徒なのだろうか。クラスの女子生徒の中ではしっかりしている方だと思っていたのだが。

「いつまでいるんだ」
「へ?」
「もう外は暗いぞ」
「緑間くんは、部活終わったの?」
「終わっ……いや、俺のことはどうでもいいのだよ」

 上手く話を逸らそうとしたようだが、そう上手くはさせない。更に問い詰めてやれば、もう帰る、と慌てて言い出す始末。今度は慌てて俺がを引きとめた。

「待て、!」
「なっなに!」
「外はもう暗いのだよ」
「さっきも、言ったね」
「一人で帰る気か」

 訊ねると、数度瞬きをして、視線をあちこちへ彷徨わせ、うんと悩んだ後に小さく頷く。
 馬鹿か、と思わず口走ってしまいそうになった。もこの近くに住んでいるとは言え、こんなにも暗くなってから一人で帰るなどあまりにも危ない。不審者や変質者は季節に関係なくあちこちに湧いて出る。も女子生徒なのだ、いつ危ない目に遭わないとも限らない。しかしは俺がわざわざ「一人で帰るのか」と聞いた意味を理解していないらしく、目を瞬かせている。「一緒に返ってやると言っているのだよ!」「はっはいっ!」…意外と抜けているではない、意外とかなり抜けている。
 誰もが嫌がる委員会の仕事も、掃除当番も誰より真面目にこなし、授業中もうとうとしている様子すら見せない。放すようになったのは最近だが、まさかこんな一面があったとは。
 はもごもごと何か不明瞭な言葉を呟いた後、「ごごご一緒させて頂きます」とまるで壊れたラジオのような返事をした。ぎこちない動きで荷物を纏めると、教室を出る俺の数歩後ろをついて来る。しかも後ろから非常に視線を感じて気になる。それほど速く歩いていないつもりなのだが。立ち止まって振り返り、

、」
「緑間くん!」

 俺の声との声が重なる。だが、は大きな声を出したため、俺がを呼んだ声は聞こえてなかったらしい。遠慮なしに言葉を続けた。それは思わぬ内容だった。

「今日、誕生日、て、聞いて!」
「は?…あ、ああ…そうだな…」
「おっおめでとう!」
「あ、ありがとうなのだよ…」

 突然何を言い出すかと思いきや。しかもこの近距離で、そんなにも必死になって大きな声を出さなくても聞こえている。
 言うだけ言うと、それ以上何も考えていなかったのか吹き飛んでしまったのか、「えーと、あの、そのー…」としどろもどろになる。行く場がなさそうに組んだり握ったりしているの手。それがの動揺している心情をよく表していた。

「だから、えっと、緑間くんと、帰りたくて!」
「別に、構わないが…というか、見つけた時点でそのつもりだったのだよ」
「えっ」
「もうとうに八時を超えている。家の人が心配するんじゃないのか」
「友達と遊んで帰るって言ってあるし」
「…そういう問題ではないのだよ」
「そっそう!そういう問題じゃなくて!」

 前言撤回。何が何だか、そろそろが分からなくなって来た。一人で百面相を繰り返すにもう何も言えない。だがまたしてもの口からとんでもない言葉が飛び出す。

「一度で良いから緑間くんと帰りたかったの!」
「それはさっきも聞いたのだよ」
「だから!緑間くんが好きだから!帰りたかったの!」
「は…?」

 とうとう前後の文章が繋がらなくなったらしい。薄暗い廊下でも分かるほど顔を真っ赤にして叫ぶは、言ってることと言い方が合致していない。半分怒りながら叫ぶに、俺は開いた口が塞がらなかった。
 いや、だってこれまでにそんな素振りを見せたことが一度でもあっただろうか。お陰で非常に重大な告白をされたのだが現実味が湧かない。返事もできずに固まっていると、まだ真っ赤で険しい顔のまま「かっ帰ります!」と言って俺を追い抜いて行く。の背中が少し遠くなってからやっと我に返った俺は、急いでの後を追う。それと共にも加速するが、この身長差でが俺から逃げ切れるはずがない。すぐに追いつくとの手首を掴んだ。…細い。

「一緒に帰ると言っただろう」
「い、いいよ!大丈夫!」
「大丈夫じゃないから言っている」
「私は大丈夫!」
「良いから話をさせるのだよ!」

 つられて俺も大声を出せば、びくりと肩を震わせ、情けない顔をする。すっかり憔悴の表情になったをぐいぐい引っ張って取り敢えず外に出る。学校の敷地内の街灯は頼りなく、敷地内と言えどを一人で帰らせるなどという真似はできるはずがない。やはり無理矢理引っ張ってきて良かった。
 すっかり大人しくなったを振り返ると、俯いたままとぼとぼと付いて来ている。距離が離れすぎないように俺も歩く速度を落とした。


「…はい」
「俺は一度で済ますつもりはない」
「は、え…っ!?」

 裏返る声を背中に聞きながら、とうとう俺も動揺して口が滑ったと後悔してももう遅い。しかしそれと共に、さっきより少し近くにの気配を感じて悪くないと思う自分もいる。
 の勢いに押されただけか、気の迷いか、無自覚だったのか、自分の言葉の責任の所在が不明確になる。ただ、さっきより随分と嬉しそうな空気を醸し出しているを見て、どうにかなるだろうと珍しく楽観的になった。




星が輝く空の下




(2013/07/07 緑間誕生日おめでとう!)