最後の一歩


 どのクラスにも一人はムードメーカーな生徒がいるものだ。学園祭だとか、体育祭だとか、学校行事に張り切って中心的役割を果たす子。それはうちのクラスも例外ではなく、いつも明るくて周りに人が寄って来るような男子が一人、いる。それとは逆に、私はいつも目立たずクラスの隅で友人数人と固まっているような女子生徒で、長いものに巻かれるタイプだ。それでずっとやって来たし、今更私がクラスをしきれる程の行動力や決断力がある訳ではないから満足している。目立たなくても、何も支障はない。けれどもしも一つだけあるとすれば、恋に関してだ。あろうことか、私はそんな自分とは正反対の彼に恋をしている。
 そんな彼に、私は日直としての義務を果たすべく声をかけた。それだけでもう、心拍数は面白いくらいに上昇している。

「た、高尾くん!」
「はい?」
「ノートの、回収なんだけど、現代文の…」
「ああ、わりー!わりー!」

 高尾くんとは、高校で出会った。クラスで一番背の高い緑間くんといることも目立つ要因の一つだったが、何よりも明るく気さくな人柄の彼は、気付けばクラスの真ん中にいた。誰もがすぐに高尾くんのことを覚えただろうと思う。私ももちろんそうだった。
 人見知りなため入学以来なかなかクラスに馴染めず、挨拶すら儘ならなかった私。そんな四月半ば、登校して靴箱で鉢合わせした私に、「おはよう、さん!」と笑って挨拶してくれたのが、私と高尾くんのファーストコンタクトだった。その時ですらぎこちなくしか挨拶できなかったのに、そのまま喋りながら教室まで歩いたのは、今思うと夢だったのではないかと思う。あの日以来、高尾くんに片思いをしている訳だけれど、悲しいかな、あれ以来こういった業務連絡でしか話す機会がないのだ。何の接点もない、席だって近くない、なのにいきなり話し掛けるだなんて変だ。だから未だに一歩踏み出せずにいる。

「…あ」
「どうしたの?」

 ごそごそと机の中を探っていた高尾くんが手を止める。そして「マズイ」とでも言いたげな顔でぎこちなく笑いながら、そっと私を見上げた。そして一言、「忘れた」と。私たちのやり取りを見ていた後ろの席の緑間くんが、やれやれと言った風に溜め息をつく。

「これだから高尾は…」
「真ちゃんひどっ!さんごめん、俺代わりに職員室行くから」
「えっ、いいよそんな!先生には私から言っておくし」
「そんなわけにはいかねーって」

 半分ノート持つし、と言って立ち上がる高尾くん。そして私が止める隙もなく、私の手からひょいっとノートを半分以上取り上げてしまった。実はさっきから結構荷重がかかっていたため嬉しいのだけれど、半分以下に減ってしまったノートの山、いや、束を見て申し訳ない気持ちになる。
 教室を出ようとする高尾くんを慌てて追い掛けると、すれ違った友人が口パクで「がんばれ」と言ったのを見て一気に顔が熱くなる。余計なことを、と思いつつ、確かに高尾くんと二人になるのは随分久し振りなため、気持ちの殆どは嬉しいという思いで占められている。
 高尾くんは、私と一度だけこうして歩いたことを覚えているだろうか。あれがきっかけで高尾くんが気になった私は忘れるはずもないけれど、ただの目立たないクラスメートである私と話したことなんて、高尾くんにとってはもう記憶の遥か彼方かも知れない。名前は覚えてもらっていたにしろ。とりあえず、これはせっかくのチャンスだ。何か話したい、話したいけれど、こういう時って何を話すのだろう。部活どう?とか、授業難しいね、とか、馴れ馴れしいだろうか。

「あのさー」

 並んで歩いているにも拘らず、黙り込んでしまったまま喋れずにいると、高尾くんが先に口を開いた。

「俺って話しかけにくい?」
「へっ?」
「や、さんと普通に喋ったのって一回しかないよなと思ってさ」
「覚えてたの?」
「当然っしょ」

 どうしよう、とてつもなく嬉しい。思わず目を見開いて高尾くんを見上げた。私が立ち止まると、高尾くんも立ち止まる。私がびっくりしていることに高尾くんもびっくりしたらしい。「どうした?」と言いながら固まった私の顔を急に覗き込んで来たので、私は一歩、後ろによろけた。
 どきどきすると共にふわふわする。えっと、あの、と意味を持たない言葉ばかりが零れて来る。教室を出る時以上に顔が熱いのを自覚したので、私は俯いて顔を隠した。思った以上に嬉しくてどうにかなりそうだ。単純だからちょっとのことで舞い上がるし、嬉しいという気持ちしか浮かんで来ないけれど、だって、どうしようもなく嬉しいのだ。教室でも真逆の位置にいる私なのに、あの日、話してからもう一カ月以上経っているのに、こんなにも目立たない私なのに、好きな人に覚えてもらっていることがどれほど嬉しいか。

「…あのさ」
「う、うん」
「そんなカオ、他のやつには見せないで、ください」

 自分の顔に手を当てる。そんな、見ていられないような酷い顔をしていただろうか。
 高尾くんの言葉にショックを受けていると、それを察したらしい高尾くんは「違うって!」と叫ぶ。何事かと、そろそろと顔を上げた。そこには、やや顔を赤くした高尾くんがいた。しかし彼は両手が塞がっているため、私のように片方だけでも頬を隠すことはできないらしい。
 どうしよう、その一言を何度も何度も頭の中で繰り返した。私は単純で、馬鹿で、だからそんな顔をされたら、さっきの言葉の裏側に期待をしてしまう。どんな顔をしていたかは分からないけれど、目も当てられないから、じゃなくて、もっと違う意味だったんじゃないかと、愚かな勘繰りをしてしまう。だって知っているから、顔が赤くなる意味も、目を逸らす意味も、私は全て知っているから。それは私もしていることだからだ。

「高尾くん」
「ん」
「職員室、いこっか」
「おー…」

 そうしてまた、無言になる。これが最大級の照れ隠しだと言うことは、もうお互いに理解していた。








(2013/03/08)