人のことは言えないが、クラスに一際威圧感のあるやつがいる。そいつは女だ。いくら校風が自由だからって、そいつほど髪を染めている生徒はいない。ピアスも両耳合わせて4つ5つ開けてやがる。化粧は濃くないが元々派手な顔立ちなのだろう、薄いのに目立つ。入学式から一カ月経っても、そいつはクラスに馴染んじゃいなかった。女子でそんなやつは珍しいが、本人はまるで気にしていないようだ。遅刻やサボリもまあまあしていて、自らクラスに壁を作っている気さえした。僅かに親近感と同族嫌悪を覚えた。
 そんなやつとの接点などあるはずがなく、こっちはあっちの名前を知っていても、あっちは俺の名前なんて知らないだろう。その証拠に、当の本人は首を傾げて見せた。誰だっけ、と。

「青峰だ」
「あー…そんな名前だった気がする」
「嘘つけ」
「出席番号一番の名前くらい聞いたことあるよ」
「顔と一致してねぇけど」
「そりゃそーでしょ」

 クラスメートの9割は知らないわよ、と平然と言ってのけた。関わることなどないと思っていたそいつと出会ったのは、奇しくもサボリ場所の定番、屋上だった。屋上の扉を開けるとそいつが先にいたのだ。

「青峰くんだって私の名前なんて知らないでしょ」
「バーカ、てめぇほど有名なやつの名前くらい知ってるに決まってんだろ」
「あれ、そんな有名人だっけ」
だろ」
「すごーい、フルネーム!」

 パチパチと拍手を送る。なんだか、とてつもなく拍子抜けしてしまった。どんな不良娘かと思えばマイペースな女子高生かよ、と脱力する。誰もが話しかけるのを怖がっているが、実は構える必要など微塵もないただの女子生徒だなんて、誰が夢にでも見ただろうか。
 今日はえらく風の強い日で、の長い髪は風に流されて鬱陶しそうだ。やがてポケットから髪ゴムを取り出すと、手櫛で適当にまとめた。会話が止まると、は僅かにまぶたを伏せて長い溜息をつく。そして見せた愁いを帯びた表情と、緩く崩した襟元に落ちるおくれ毛から、なんとなく色気を感じる。そう思ったのも束の間、次にがポケットから取り出したのは煙草とライターだった。

「…吸うのかよ」
「好きじゃないけど」
「じゃあやめとけ、体に悪ィぞ」
「意外、青峰くんて吸いそうだと思ってた」
「一応気ィ遣ってんだよ」
「あはは、実は良い人なんだね」

 俺がバスケ部だということを当然知らないは言いたい放題だ。明るく笑いながら煙草を一本取り出すと、慣れた手つきで火をつける。しかししばらくすると、はゲホゲホと盛大に咳き込み出した。何だよ、かっこつけかよ、などと呆れていたが、はそのまましゃがみ込み、煙草を屋上のコンクリートに押しつけた。

「あ゛ー…まず…こんなもの好きなやつの気が知れない」
「お前言ってること訳分かんねぇぞ」

 まずいと毒づきながら吸う煙草。の気の方が知れねぇ、と言うと、だろうね、と力なく笑う。に近付いて隣に腰を下ろす。まださっきまでの煙草のにおいが強く残っていて、俺は顔を顰めた。は消した煙草を持っていた携帯灰皿に入れると、またポケットにしまう。そして新たにスプレーを取り出し、自分の制服に振りかけた。消臭スプレーまで用意して、なぜそこまでここで吸うことに拘るのだろうか。しかも咳き込んでまで見せて、煙草を吸い慣れているやつのリアクションではない。
 まだ少し咳をしながら、はぺたりと座った。また俯いて、膝に顔を埋めてしまう。やっぱり訳分かんねぇ、と隣をじっと見ていると、やがて聞こえていたのはすすり泣く声だ。

「お、おい…」
「ばーか、なんで今日に限って人がいんのよ…」
「…そりゃ悪かったな」

 ぐすぐすと泣き続けるをどうすればいいか分からず、かと言って放って立ち去る訳にも行かず、気まずい中で何も言わずにただそこに居続けた。泣いてるやつの隣で携帯を触れるほどデリカシーをなくせなかった俺は、手持無沙汰な両手をポケットに突っ込んだ。と、今朝なぜかさつきに渡された棒キャンディーが入っている。「おい」「なに」「やる」「は?」それをにやった。顔を上げたの目は真っ赤で、その真っ赤な目を丸くして俺の差し出した棒キャンディーを見つめた。そりゃびっくりするだろう、いきなり棒キャンディなんて渡されれば。

「煙草なんかよりは体にいいだろ」
「ふ……は、はは!ありがとう、もらっとく。でもね、やめられないんだ、煙草」

 ぱり、と早くも受け取ったキャンディを開けて口に咥える。どこか遠くを見ながら、は訳を話し出した。

「中学卒業してすぐ…いや、高校入る直前か。お姉ちゃんが死んじゃってね」
「……ふぅん」
「私より4つ上なんだけど、頭悪いしよく騙されるしロクな仕事ついてないし男見る目もなくてね。でも私にとっては優しい、たった一人のお姉ちゃんだった」

 の姉の死因は、交通事故だったらしい。信号無視をした飲酒運転の車に撥ねられたという、毎日ニュースで聞くような事故だ。犯人は捕まり、運良く飲酒運転が立証されたそうだが、当然遺族であるやその家族の負った傷は深い。それ以来、は姉の影を追うようになったのだと言う。中学時代の自分は正反対だった、と昔撮ったらしい家族写真を見せられた。そこには、今の以上に派手な制服姿のの姉と、地味で絵に描いたような優等生の面をしてるがいた。「お姉ちゃん、ワルイ女だったの」写真をしまいながらにやりと、だが誇らしげに笑う。そしてその赤い舌が、レモン色の飴を舐めた。飴から口を離すと、煙草の煙を吐き出すみたいに細く長く、息を吐き出す。

「この煙草はね、お姉ちゃんが最後に残した煙草だったんだ。ぐちゃぐちゃの鞄の中から見つかったの」
「で、代わりに吸ってやってんのか?」
「ん。ヘビーじゃないけど好きだったからね。お姉ちゃん以外家族はみんな煙草嫌いだから、家では吸えないし」
「だからもこんなとこで、か」
「そう」

 立ち上がって伸びをするに倣って俺も立ち上がり、なんとなくそいつの頭に手を伸ばした。くしゃりと撫でてやると、見た目通り細くて柔らかい髪の感触だった。背も小さい。手足も細い。強く握ったら折れそうだし、蹴ったら簡単に転びそうだ。そんな弱そうなやつが強がり過ぎなのだと思う。姉に憧れてたんだか何だかは知らないが、一人で抱え込んで悩むばかりに、立ち上がれなくなってるのではないかと、そんな風に思う。
 背負い過ぎなんじゃねーの。そう思ったことをに言ってみたが、反応がない。まさかそれだけで傷心したのか、と面倒くさく思いながらの顔を覗き込んだ。「…おい」「み、見ないでよ…」または泣いていた。どんだけ泣けば気が済むんだ、こいつは。

「毎日、毎日ここで煙草吸う度に、思い出して、泣いてんのよ…」
「そうかよ」
「めんどくさいって思ったでしょ」
「まあな」
「…………」
「でも、姉貴思いの良いやつなんじゃねーの」

 涙を流し続けるを軽く抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩く。すると逆効果だったようで、ますますしゃくり上げて嗚咽を繰り返す。…多分に、泣いてると言っても盛大には泣けていなかったのだろう。精々ぐずる程度で、こんな風に止まらないほど泣いていた訳ではなさそうだ。根はさっきの写真の通り真面目な生徒で、自分一人で起き上がらなければ、などと周りを頼らなかったに違いない。

「なんなのよ、もう…青峰くんに惚れそう…」
「おーそうしとけ」
「ほんき?」
「そうなんじゃね」

 なにそれ、と言いながら、まだ半分泣きながらは腕の中で少し笑った。まあ泣いてるよりは笑ってる方が幾分かマシか、と思いながら、もう少しだけこうしておいてやろうと思った。








(2013/02/02)
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