結局、綺麗な子や可愛い子が好かれるのだ。仕事熱心だったり、親切だったり、優しかったり、いつも笑顔でいたり、それだけでは駄目で、結局最後の最後に顔が選ばれる。さっきも部署の綺麗な子がちやほやされていた所だ。ラウンドに行って来る、と告げて席を立った同僚こそ、その綺麗な子である。…ため息をついてパソコンのエンターキーを押した。カウンター正面の内側、二台あるうちの右側が夜勤での私の定位置だ。背もたれにもたれて腕をめいいっぱい伸ばし、そして大きく溜め息をついた。

「なに溜め息ついてんスか」
「…こんな時間にラウンドですか?」

 彼も当直なのだろうか、バインダーを片手にカウンターに現れたのは黄瀬さんだった。よく黄瀬さんとは勤務が被るようで、日勤帯だけでなく、夜間もよく出会うことがある。時計を見るともう深夜も一時になろうとしている。いつもは日付が変わる頃にこうして各部署を回って異常はないか確認するのが彼の仕事なのだが、そんなことをしなくても何かあればすぐ管理当直に連絡をするので、事務課の黄瀬さんがラウンドする意味は、実はあまりない。しかし、自分の部署くらいしか知り合いのいない私にとって、他部署の彼と関わりがあることは嬉しいことだった。

「事務課がトラブルあったんスよ。だからちょっと遅れたっス」
「心配しなくても特に異常はありませんよ。さっきまで慌ただしかったですけど」
さんは異常あるっぽいスけど」

 パソコンを操作する手を止める。何も考えてなさそうに見えて黄瀬さんは意外と鋭く、心の機微を読み取るのが得意だ。だから、こういう気持ちが揺れている時に会いたくない人物でもある。定期的に心の荒む時があるのだが、しかし、そういう時に限って黄瀬さんに出会う確率がなぜか非常に多い。黄瀬さんとの出会いは貴重だが、これは一つの悩みのタネでもあった。

 なんでもないですよ、と返し、また文章を打ち込む。忙しそうにしていれば早く立ち去ってくれるだろうか。今日はさほど記入量は多くないが、それでもダラダラしていればあっという間に朝が来てしまう。仮眠もとれないのは厳しい。けれど実はしぶとい黄瀬さんはなおも食いついて来る。カウンターに肘をついて、パソコンに向かう私を見降ろした。190cmほどあるであろう彼に見下ろされると、いくら笑顔とは言えかなりの迫力がある。

「知ってます?さんが何でもないって言う時ほど何かあるんスよ」
「そういうことは可愛い子に言ってあげたらどうです」
「なに、卑屈になってンすか」
「別に…」

 黄瀬さんだってきっとそうだ。こうやって会う度に挨拶したり少し話したりするけど、最終的に声をかけるならあの同僚のような綺麗な子なんだろう。男なんてそんなものだ、そう思うと男と関わるのなんて嫌になる。また気分が落ちて行くのを感じながら、タイピングの手を止めた。いや、自然と止まってしまった。そしてまた溜め息を一つ。

「男ってみんな馬鹿よ」
「それは、また…男を前に男前な発言っスね、さん…」
「可愛くて明るければ頭の中が多少空っぽでも構わないのでしょう」

 さすがに、その言葉には黄瀬さんも黙ってしまった。ひたすら無機質なタイピングの音が鳴る。彼の視線を感じながら、早く行ってくれと願い、一切彼とは目を合わせない。

 こんな可愛くないことを言うからだ、ということは分かっている。こういう発言の一つ一つが周りを遠ざけているのだということも。卑屈な発言が増えれば増えるほど自分を貶めている。それは勿体ないことなのだろう。こんな卑屈な性格ごと受容してくれる人なんてそう多い訳じゃない。引け目を感じて、負い目を感じて、自分から引いた線に結局後悔している。それは何も男だけじゃないのだ。後ろ向きな性格は、私をやがて一人にするのだろう。こんな自分を嫌だと思わない訳がない。けれど、自分の変え方すら知らない私は、自分を上手くコントロールして本音を出さないように生きるしかない。それでもこうして稀に本音が出てしまうから駄目なのだ。

「頭が空っぽな女ばっかじゃないように、何も見抜けない男ばっかじゃないんスけどね」
「…………」
「多少卑屈な方が人間味があって好きっスよ、オレは」
「…そうですか」

 くすりと、頭上で小さく笑う黄瀬さん。別に彼の好みなど聞いていないのだが、恐らく私を励ますための方便なのだろう。誰だって口ではそう言うのだ。…ようやく記載も八割を終え、パソコンとの睨めっこに終わりが見えて来た。ゆっくりと訪れる眠気に目をこすると、黄瀬さんはぽん、と私の頭に手を置いた。

「オレと試してみませんか」
「は…?」
「顔だけじゃないって身をもって分からせてあげるっスよ」
「なに、言って…」

 頭に置いていた手は、やがて頬をなぞり、顎へ。少し鬱陶しいその前髪から覗く目はまるで獲物を狙っているかのようで、私は思わず椅子ごと後ろへ下がった。すると簡単に黄瀬さんの手は離れる。代わりに、頬杖をついて口の片端を上げてじっと私を見た。さっきの私の発言に腹を立てた様子は感じられないが、もしかすると彼を挑発したと思われているのだろうか。そんなつもりは毛頭ないのだが。

「明日…や、今日の夜、ご飯でも行きませんか」
「行きません」
「7階の木村さんにしつこく誘われてて困ってんスよね。撒くの手伝って欲しいっス」
「はぁ?」

 木村さんと言えば、美人ではあるが男関係が派手なことで有名なスタッフだ。一夜限り、ということも何度も経験しているということは、全く会ったことのない私にも聞こえて来る噂である。黄瀬さんも黄瀬さんで、かなり整った顔立ちをしているということで有名である。私は興味がないためこんな風に多少乱暴な話もするが、他の女性スタッフであれば顔を赤くするほどかっこいい。確か元モデルと言うことだが、なぜモデル業を続けなかったのか甚だ謎なほどだ。なるほど、流石木村さんは黄瀬さんにも目をつけていたのか。…ではなく。

「木村さんは確かに美人だけど、ああいう何も考えてない女は生憎趣味じゃないんスよね」
「黄瀬さん、結構言いますね…」
さんには負けるっスよ」
「でもそれが私にどう得になるって言うんですか」
「美人なだけの木村さんより、オレはさんを選ぶ」

 腹が立っていたはずなのに、眠気も合わさって段々訳が分からなくなって来た。それで、私になんと返事をしろと言うのだろう。今問われても正常な判断ができないような気がする。けれど、黄瀬さんの目を見ていると、まさか嘘を言っているようには思えず、思わず頷いてしまいそうだ。

 どうスか、と小首を傾げて再度私を誘う。視線を彷徨わせた時点で、きっと私の負けだ。時計の秒針が私を追い立てる。早くしなければ、同僚もラウンドから帰って来る。早く返事をして帰ってもらわないと、私の仕事も進まない。言葉に出さずとも私にプレッシャーをかける黄瀬さんは、きっと私が首を縦に振る以外の返事を待ってはいないのだろう。

「…今日、何時ですか」
「18時に駅前はどうスか」
「大丈夫です」

 すると、タイミング良く黄瀬さんのピッチが鳴る。慌てた様子でそれに出ると、「そろそろ戻るっス!」と電話の相手に必死で言って早々に切る。なかなか事務課に帰って来ない黄瀬さんの捜索電話だったのだろう。「じゃ、18時に駅前で!」と再度確認すると、急いでその場を後にした。暫くぽかんとしていたが、「ただいまー」という同僚の声ではっとする。…尤もらしい理由をつけられているが、つまり、誘われたということで良いのだろうか。私を慰めるためとはいえ、誘われたということで合っているのだろうか。嘘か本当か、本気か正気か。黄瀬さんも当直で頭がぼうっとして判断力が欠けているのではないだろうか。呆けた私に不思議そうにする同僚にも、今は上手く誤魔化せる気がしない。

「当直ラウンドに何か言われたの?」
「……あのね、」
「うん」
「男って馬鹿だわ」





だって、ってるの。





(2012/12/19)