ひたひたと裸足で廊下を進む。その冷たさが直に伝わって来て、冷たいと言うよりも寧ろ刺すように痛い。けれどそれも暫くすれば麻痺して来たようで何も感じなくなる。吐き出した白い息が寒さを物語っていたが、それよりもここを抜け出すことに必死になった。今夜中にここを出て行く。右も左も分からない、けれどどこかに出口はあるはずだ。

 見知らぬ建物のはずなのに、私の足は迷うことなく出口へと向かっていた。直感だろうか、それとも頭の深い深い所に眠っている記憶がそうさせているのだろうか、迷子になってしまうのではないかという不安は微塵にもなかった。不思議だ、知らないはずなのに懐かしい。


(もう随分歩いたんじゃないかしら…)


 流石に疲れてしまい、私は足を止めた。寒さは感じなくなった代わりに息が上がっている。心臓が忙しなく拍動し、どくんどくんという音が脳に響くようだった。はあ、と大きく息を吐き出し、そこで気付く。ここは私が最初に居た渡り廊下だ。ここで彼に見つけられ、私は彼の手を取った。

 何気なく空を仰げば闇にぼんやりと浮かぶのは半月で、冬の澄んだ空には無数の星も輝いている。暫く見惚れていると、不意に声をかけられる。


「こんな夜更けに散歩かい?」


 驚いて声のした方を振り返った。そこには、私と同じように息を切らした彼がいた。肩で息をしながらなおも私に近付くと、強い力で抱き締める。


「消えてしまったのかと思った」
「……そうしようと思ったのに…」
「馬鹿なことをしないでくれ」
「どうして…だって私は要らないのよ」
「要らない訳がないだろう!」


 彼の叫んだ声を、初めて聞いた。真夜中の廊下に響くそれは、余りにも悲痛でそれ以上私は何も言うことができなくなる。骨が軋むほどの腕の力は文字通り私を逃がさんとしているようで、身じろぎ一つできず、捕らえられた私は彼のなすがまま。

 もう二度と居なくならないでくれ。殆ど吐息だけで囁く彼は、あんな風に笑っていながらも私以上に寂しいのかも知れないと思った。凍るような空気の中、耳に掛かるそんな彼の時は、火傷しそうなほどに熱い。ごめんなさい、と返事をすればゆっくりとほどかれる腕、けれど今度は指を絡め、元来た道へと誘導して行く。

 私の逃避は失敗だ。次に部屋に戻ってからは、今度こそ逃すまいと彼は私を抱き締めたまま眠りについた。私は様々な感情に苛まれ、一睡もできないままだった。







 

(2011/09/30)