あの日の続きを、私は彼と生きたかった。

 余りにも早い互いの死には未練が多すぎたのだ。まだ彼とやっていないこと、行っていない場所がたくさんある。結婚式は盛大にやらなくていいから友人にだけでも祝ってもらいたいね、と二人で話していた。高価なものは無理だけどきっと君に指輪をプレゼントする、と彼は言ってくれた。不器用だけどこの人のために料理を上手になるんだ、と私は決めていた。

 その、どれも果たされるなく訪れた死は私を絶望のどん底に陥れた。彼もまたそう、叶えられなかった多くの夢をあっちへ残したままだったのだ。


 ―――やり直してみるかい?


 誘惑の声がした。やってみればいい、という声が聞こえたのだ。ただし大切なものを一つ差し出さなければならないが、と付け足して。私は記憶を差し出した。…よくある話だ。学生時代、似たような話を図書館で読んだことがある。自分の記憶全てを差し出す代わりに生き返り、愛する人と再会するのだと。そんな胡散臭い話が現実にある訳がない、本の中だけの話だ―――けれど事実、私と彼は生き返った。私の記憶を代償に。

 私たちを生き返らせた声の主は最後に言った。記憶を取り戻したら最後、それ以上は生きられないと。記憶のないまま彼と生き、愛し通すことができるか、それとも思い出を抱き死の世界の淵に留まるか、どちらの結末を迎えるだろうか―――声の主は見守ると言い、消え去った。


「寂しかったよ」
「ごめんなさい」
「いや、だけのせいじゃない。望んだのは僕も同じだ」
「…うん」
「でもやっぱり寂しかった。生きてる内に果たせない約束は山ほどあったけれど、と居られる幸せは何物にも代えがたいと分かったよ」


 指を絡め、また額を合わせる。目を閉じれば、その表紙にまた涙が流れる。それをそっと彼の指が拭うものの、止まることを忘れたかのように流れ続ける。泣き虫は変わらないね、と茶化して目を細める。貴方も度々泣きそうだったわよ、と言えば素直に「そうだね」と言われてしまい、私は言葉に詰まる。

 自分のことも、自分の気持ちも、彼のことも、彼を愛しく思う気持ちも、全てが私の中に戻って来る。欠落した感情はパズルのピースのように一つずつ嵌り、虚しさの穴を埋めて行く。


「貴方がいなければ、生きていても意味がないことが分かったわ」
「年甲斐もなく間違ってしまったね」
「私は言うほどの年じゃないわよ」
「それはすまない」


 笑い合い、言葉がなくなれば自然と唇は重なる。…不確かになっていた私が求めていたものは、ずっと私の傍に居てくれた。彼もまた私と思い出を共有できない虚しさを抱えながら、私を抱き締めていてくれたのだ。


「じゃあ行こうか」
「うん」


 互いの身体が色を失くして行く。大丈夫、もうこれからは二人一緒だ。ここではない場所へ行っても、もうあんな切ない思いをすることはなくなる。少し間違ってしまったけれど、やり直すだけの時間は無限にある。生きて果たせなかった約束の分だけ、新しい約束をしよう。もう絡めた指を離さないと。

 最後にもう一度渡り廊下を振り返った時、出会ったばかりの私と彼の姿を見た気がした。







FIN.

(2011/9/30)



Thanks irusu