クランベリーアルコール



 その寒い雪の降る夜、私はルーピンさんと街へ出ていた。と言っても、生徒に見付かっては何かと面倒なため、わざわざマグルの街に出て来たのだ。周りからはどんな風に見えるのだろうかと、そんな呑気なことを考えながら連れて来られたのは、人生で初めて入るバーだった。通されたカウンター席に並んで座ったが、意外と隣との距離が近く、彼の呼吸まで間近に感じる。淡い照明のせいか、このような場は初めてなせいか、いや、両方だろう。そのせいでこの距離に少し緊張する。

 もちろん、どこへ行っても恥ずかしくないよう、私なりに精一杯着飾って来たつもりだが、私がお酒を一滴も飲めないことを知っている彼に、まさかこのような店へ連れて来られるとは夢にも思わなかった。しかしそこは配慮してくれ、ルーピンさんは私にはノンアルコールどころかソフトドリンクをお願いしてくれた。目の前におかれたのは紛うことなきクランベリージュース。そのかなり濃そうな色に少し引いたが、彼の期待に満ちた視線を受け、恐る恐るグラスを手に取る。少し唇に近付けただけで、みずみずしい果実の香りが鼻腔を通り抜けた。

「どうだい?」
「とても美味しいです。クランベリーそのままのような味なのにくどくない」
「君にこれを飲ませたかったんだ」

 テーブルに片肘をつき、私の顔を覗き込む。…ルーピンさんは知っているのだ。私が彼のそういった仕草に弱いことを。「あ、ありがとうございます」誤魔化すように顔を背け、またグラスに口をつける。喉を通っていく冷たい爽やかさに、少しは冷静さを取り戻せるかと思ったが、思えばこのお店へ入った時から既に冷静さなど一欠けらも残っていなかったではないか。

 ほどなくしてルーピンさんの前にもグラスがおかれる。お酒のことは全く知らないから、そのグラスに入った液体が何という名前なのか、どれほどの価値があるのかは知れない。ただ、お互い手持ちも少ないため、さほど高価な飲み物でないことだけは理解できた。それでも、カウンターの照明を受けて輝くグラスの中身は、小さな泡が動く度に宝石のように綺麗に光る。

 しばらく何でもない会話を続ければ、ようやく私も緊張が解け、いつもの調子が戻ってきた。そんな中、会話が途切れた間にルーピンさんはぽつりとこぼした。


「誰かといると孤独をより感じるね」

 それは余りにも唐突な告白だった。勿体振ってほんの少しずつ口をつけていたクランベリージュースも、もうあと少ししかグラスに残っていない。私はグラスから手を離し、自身の膝の上でぎゅっと手を握り締めた。再び訪れた緊張に胸を締め付けられながらも、ゆっくりと問い掛ける。

「私といても、ですか?」
「君といる時が一番」
「………」
「君のせいじゃない」「自分の気持ちの問題だと、そう言いたいのでしょう?」
「そうだよ」

 彼が人の何倍もの劣等感を抱えていることは十二分に理解していたつもりだ。けれどそれは私の単なる思い込みだったのだろうか。何か言いようのない寂しさに襲われ、涙が出そうになる。話の途中で泣いてはいけないと分かっているが、口を開いてしまえば大きな一滴が落ちて来そうな気がした。

「不安になるんだ」
「…………」
「目の前にいる君がいなくなってしまったらどうすれば良いのだろうか、てね」
「……順当にいけば、先生の方が私より先に召されますよ」
「そうすれば君が寂しいだろう」
「じゃあそんなことを考える暇もないくらい、今、愛して下さい」

 お酒など一滴も入っていないというのに、自分でもとんでもないことを言っている自覚はあった。まるで三流の恋愛小説にでも出て来そうな台詞だ。この場の雰囲気が上手く流してくれるのではないかという期待をした。ルーピンさんはお酒のせいか、少し虚ろな目をしている。ならば尚更、お酒から醒めれば忘れているかも知れない。

 けれど私の一言にはさすがに驚いたらしい。グラスを持ったまま固まっている。目を見開き、私をじっと見つめて固まってしまっているのだ。そんなルーピンさんを無視して、私は完全にクランベリージュースを飲み干すと再び乞い願う。

「愛して下さい、今」

 カラン、とグラスの中で氷が動いた。店内はゆったりとしたジャズが流れており、私たちを急かすものなど何もない。他の客たちも皆一様に自分たちの世界に浸っており、そこへ耳をそばだてるなど不粋以外の何者でもないのだ。だから、平気でそんなことを言えたのかも知れない。私も、そして彼も。

「もちろんだよ」

 落ち着いた、いつも通りのやわらかい声で答えてくれる。そっと私の頭を抱き寄せると、もう片方の手でグラスを掲げ、残り僅かとなった名前も知らないお酒を彼は飲み干す。微かなアルコールの匂いでさえ、私には毒なのかも知れない。私の本心をさらけ出す、まるで真実薬のようだ。

 ルーピンさんは私の髪に指を通し、言葉もなく何度も梳く。その手の心地好さに眠気すら舞い降りそうになっていると、断ち切るかのようにルーピンさんは突然喉を鳴らして小さく笑った。何がおかしいのか、次は私が彼の顔を覗き込む。

「駄目だね、年をとるとアルコールが回りやすいらしい」
「なら、さっきの言葉は酔ったがゆえの妄言?」
「まさか。でも……」

 ぐいっと肩を引き寄せると、殆ど耳に唇で触れながら彼は言う。

「君も酔っただろう?」

 吐息がそのまま耳に伝わり、恥ずかしいやら何やらで真っ赤になる。

 酔わないわけがない。彼の弱音、愛の言葉、執拗に触れたがる指、唇の形も温度も知った耳、その全てが私にはアルコールだ。いや、アルコール以上にタチが悪い。だからきっと何度でも何度でも私は求めて彼にねだるのだろう。

「もっと欲しい」

 慣れない台詞すら口にして。










(2012/05/31)