夢であれば良いのにと何度も願った。彼女が兄さんとの婚約を解消して、僕と婚約するだなんて、そんなこと夢であればと。少なくとも僕は彼女が本当に兄さんに恋をしていたことくらい分かっていたから。そして、そんな彼女だからこそ僕もまた惹かれたのだから。

 そして僕は、兄さんが彼女と思い合っていることさえも分かっていた。あんなのでも一応は僕の兄だ。幼い頃から一番近くで過ごして来た兄のことくらい嫌でも分かる。

 それでも、彼女の顔が曇ることのない日々を送れればそれで良かった。家同士が決めたこととはいえ、事実兄さんと彼女は公認の仲となったのだから。それなのに、終わりは突然だった。


『レギュラス、あなたは彼女と婚約するのです』


 母の容赦ない声は忘れもしない。子どもなどただの家の駒のように扱うみたいな言い方だった。そこには彼女に、まして僕への配慮などこれっぽっちもないのだ。その瞬間、僕は絶望を見た。この件を聞いたら彼女は一体どうなってしまうのだろうか。もうこれまでのような彼女の明るい笑みを見ることはできないのだろうか。

 しかし予想に反して彼女は冷静だった。ともすれば僕以上に現実を見て、受け入れていた。「レギュラスの婚約者になっちゃった」と何でもないことのように告げる彼女を見て、ますます落ち着いていられるはずがなかった僕は、手加減なしに彼女を抱き締めた。それが、僕から初めて彼女に触れた出来事だったと思う。


「知らない振りをしてくれていたのね」
「何のことですか」
「…レギュラスは、自分が思っているよりもずっと嘘が下手よ」
「じゃあ貴女は自分で思っているよりずっと弱いひとですね」


 知らない振りをすることが、誰もが一番幸せになれる道だと思った。彼女と兄さんの本当の関係に気付いた人がみな知らない振りをすれば、密かに始まり、終わっていた恋はたった二人だけのものになる。彼女と兄さんの関係は、他の誰も触れてはならない聖域のようなものなのだ。弟である僕だって、そこに口を挟む資格はない。ずっと秘密であるならば、誰も深手を追わずに済む。


「僕が貴女を幸せにします、必ず」
「私もレギュラスを幸せにするわ」


 目を背け、瞼を閉じる。彼女は賢い人だから、僕と兄さんを重ねたりしないし比べたりしない。だから僕は、彼女が隠さんとする事実など見て見ぬふりをする。それが、互いに傷付かずにすむ方法。これから歩いて行くためには一番良い選択なのだ。

 いつかは笑って話せるだろう。そんなこともあったと、笑って話せる日が来るだろう。彼女は兄さんを追い掛け、僕はそんな彼女をずっと見ていたことを、いつか、優しい陽の光の射す場所に並んで座って話すのだ。僕は彼女の手を握りながら。

 不毛な恋をしたこともあったと、いつか。








FIN.

(2012/04/01)