彼女は泣かなかった。誰よりもシリウスを思ったはずの彼女は、どれだけ存在を無視されようとそれでも泣かなかった。そんな彼女がたった一度だけ泣いたのは、シリウスとの婚約を解消した時だ。

 最後の挨拶だといつもの無表情で僕たちの前に現れた彼女に、シリウスもまた無表情で対峙していた。そして「二人だけでお話が…」と言うとシリウスは面倒そうな顔をして彼女と共にどこかへ行ってしまった。そんな二人の後を、いけないことだと思いながらもこっそりとつけた。


「迷惑かけてごめんね」
「…………」
「私はこれ以上、両親を絶望させられないわ」


 初めて二人きりで向き合っている所を見掛けたのに、ずっと付き合って来たような二人の雰囲気に、僕は混乱した。無表情ながら、シリウスの彼女を見る目には悲しさが滲んでいる。それを見た彼女もまた、悲しそうに微笑んだ。

 唯一理解できたのは、シリウスと彼女は決して不仲ではなかったということだけだ。どうして、いつから、そんな疑問が頭に浮かぶ。…いや、頭の良い二人のことだ、きっと最初に彼女がシリウスに挨拶に現れた時には既に、二人はそういう仲だったのだろう。二人は秘密を共有し、周りの全てを騙していた。あたかも彼女は婚約者と上手く行っていないなかのように。けれど一体何のために。それだけがどうしても分からず、不粋とは思いつつ二人の会話を続けて盗み聞いた。


「シリウスのせいじゃないの、私が駄目だっただけで…っ」
「……いや、俺たちが子どもじゃなけりゃ、家なんて簡単に捨てられるのにな」


 とうとう泣き出した彼女を優しく慰めるシリウス。そこにはこれまで悉く彼女を冷たくあしらって来た彼はいない。彼女の髪を撫でる手も、彼女を見つめる目も、彼女に掛ける声も、全てが優しい。こんなシリウスを初めて見たことにも驚いたが、その相手が不仲だと噂だった婚約者だということが何よりも驚きだ。


「お前なら大丈夫だ」
「シリウス…」
「レギュラスのことよろしく頼む。お前たちならきっと良い方向に歩いて行けるさ」
「シリウスじゃなくても、私は幸せになれるわ。だからシリウスも」
「ああ、きっとお前じゃなくても幸せになる」


 泣きながら精一杯笑うと、二人はきつく手を握った。それ以上は何もしない。ただ、指を絡めてぎゅっと握り締めるだけ。それだけなのに、抱き締めるよりも、キスをするよりも、二人は強く思い合う恋人同士に見えた。








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(2012/3/7)